みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#628 神の法第六戒

2021年01月04日 | 神の法
第6戒
生きるために

244~
“To Make Alive”
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

これまで見てきたように、国家とは、神の絞首刑執行人以上の存在。

正義を促進することによって、敬虔な生き方を保護するための神の道具であるのが国家。

ルターが書いた書物には多くの注目すべき点、すなわち絞首刑執行人であるべき国家の任務を弱める意味合いを持つ大意となっているように思える点があるけれども、ルターの実際の効果は違った意味で長く続いた。

Rosenstock-Huessyは次のように述べた。

市民的下僕は、王子が彼らの特殊な改革を実行するといった普遍的改革に関するルター預言の相互浸透の結果から生まれた。

この市民的下僕とは、普遍的真理の預言的声をまず最初に聞き、後に改革において一役を担うために世俗権威の公共サービスに参加する者。

ドイツ改革派における2つの重要な機関は大学と国家。

この2つは、キリスト教国に深く根差している原則に従って前進している。

「王子は、個人的友人として、ルターを保護しようとはしなかった。彼は、自分のテリトリー内にある権威ある大学をかくまうために、高位行政長官の権利のために戦った。」

しかし、神の御名によって、ルターは、神の下僕として自身の保護をFrederick(王子)に申し出た。

「最も信じている者が、最も保護するたろう。閣下がいまだに信仰において弱いと思いますので、閣下が私を保護したり助けたりする人と考えることはどうしてもできないのです。」

ドイツにおいては、「大学は司教や司教座cathedraの相続人となってしまった。教授のイスはKathederと呼ばれた。」

Rosenstock-Huessyによると

あの王子は大学を掌握していなかった。ただの不器用な職人にすぎなかった。大学はドイツ国民における聖霊の命を象徴していた。信仰の説教者や教師がいなければ、王子と彼の国家は、宗教に関する事柄においては盲目であり死んでいる存在だった。国家と政府はルターによって名誉を与えられることはなかった。「王子とは神の絞首刑執行人であり看守」と、ルターは言った。

コメント:

>市民的下僕は、王子が彼らの特殊な改革を実行するといった普遍的改革に関するルター預言の相互浸透の結果から生まれた。
この文章の意味について:
ルターが預言した宗教改革の中身が国家(地上)の王子に託され、国家(地上)において実践されていく。つまり、主の祈り「御心の天にあるごとく、地にもなせたまえ」の実行。王子は、ルターによって語られた神のことば(預言)を実行しなかった。

参考:

われわれは戦場のただ中にいる

霊的な知識の重要性

プレ・ミレは、クリスチャンのあらゆる営為を無益にする

悪魔がばらまいた騙しであるプレミレ教の上にあるのは悪魔の国、神の国ではない。







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