第3戒
呪誓(誓い)と革命
p107~
Swearing and Revolution
The Third Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony
◇◇
モンタギューは、呪誓を様々なカテゴリーに分類した。
swearing(呪誓)は攻撃的感情を言葉によって表現する行為。強烈な感情を呼び起こす言葉を出すことができなかった場合に発せられる。
cursing(呪言)は、swearing の同義語として使用される言葉。swearing の一種。cursing において、なにか邪悪なものが呼び出され、curseされた対象に襲いかかるということが起こる。この点で、それは swearing と区別される。
profanity(冒涜)は、swearing や cursing の同義語としてしばしば使用。宗教的な人物や物の名前及び属性が口にされる。
blasphemy(涜聖)は、cursing や profanity と同義とされる言葉。尊敬されている宗教的な人物や物を中傷したり、嘲る行為を指す。
obscenity(猥言)は、汚い言葉や文句を使用するswearing の一種。
vulgarity(卑言)は、bloody(血まみれの)など露骨で粗野な言葉を使用。 swearing の一種。
euphemistic swearing(婉曲的呪誓)は、swearing の一種であるが、その中ではもともとの強烈な表現の代わりに、穏やかで、曖昧または堕落した表現が使用される。
もちろん、このような区分は聖書的ではない。
聖書において禁止されているのは間違った呪誓や間違った呪言だけ。
聖書では、主の御名をみだりに唱えること、すなわち御名を冒涜的に(バークレー訳)使用することが禁じられている。
あらゆる呪誓や呪言が禁止されているわけではない。
聖書の視点に立てば、あらゆる間違った呪誓や呪言は profane(冒涜)であり、それゆえ、冒涜(profanity)は独立して分類されるべきではない。
profane という言葉はラテン語のpro(前)と fanum(寺院)に由来している。
つまり、寺院の前や外という意味。
それゆえ、冒涜(profanity)とは、神とは無関係に発せられるあらゆる言葉、行為、生活を意味する。
冒涜(profanity)には、汚れた言葉、間違った呪誓や呪言だけではなく、神と無関係に発せられ、神の主権を認めない丁寧で礼儀正しい言葉や行為も含まれる。
正当な呪言の中で、それを行うことがけっして許されないものが一つある。
呪言は、悪者の頭上に神の裁きを下する。
自分の両親がどんなに邪悪であり、どんなに裁きに値する人々であったとしても、自分の父や母を呪うことはできない。
出エジプト記21:17
自分の父や母を呪う(またはののしる)者は死刑に処せられなければならない。
両親に対する尊敬は神的社会の基礎であり、どんなに極端な場合であっても、息子や娘が自分の親を呪うことはけっして許されない。
未成年の子どもは両親に従わなければならない。
成人した子どもはただ両親を敬うことが求められている。
親と意見が一致しないことが時にはあるだろう。
また、そうしなければならない場合もあるかもしれない。
しかし、自分の親を呪うことは、秩序と権威の基本的な原則を冒す行為にほかならない。
涜聖(blasphemy)は、単に神の御名をみだりに唱えることに留まらない。
それは、神に対して発せられる侮辱的で邪悪で、反逆的な言葉。
関連聖句
詩篇74:10~18
イザヤ552・5
黙示16:9、11:21
これは死をもって罰せられるべき罪(レビ記24:16)。
呪誓(誓い)と革命
p107~
Swearing and Revolution
The Third Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony
◇◇
モンタギューは、呪誓を様々なカテゴリーに分類した。
swearing(呪誓)は攻撃的感情を言葉によって表現する行為。強烈な感情を呼び起こす言葉を出すことができなかった場合に発せられる。
cursing(呪言)は、swearing の同義語として使用される言葉。swearing の一種。cursing において、なにか邪悪なものが呼び出され、curseされた対象に襲いかかるということが起こる。この点で、それは swearing と区別される。
profanity(冒涜)は、swearing や cursing の同義語としてしばしば使用。宗教的な人物や物の名前及び属性が口にされる。
blasphemy(涜聖)は、cursing や profanity と同義とされる言葉。尊敬されている宗教的な人物や物を中傷したり、嘲る行為を指す。
obscenity(猥言)は、汚い言葉や文句を使用するswearing の一種。
vulgarity(卑言)は、bloody(血まみれの)など露骨で粗野な言葉を使用。 swearing の一種。
euphemistic swearing(婉曲的呪誓)は、swearing の一種であるが、その中ではもともとの強烈な表現の代わりに、穏やかで、曖昧または堕落した表現が使用される。
もちろん、このような区分は聖書的ではない。
聖書において禁止されているのは間違った呪誓や間違った呪言だけ。
聖書では、主の御名をみだりに唱えること、すなわち御名を冒涜的に(バークレー訳)使用することが禁じられている。
あらゆる呪誓や呪言が禁止されているわけではない。
聖書の視点に立てば、あらゆる間違った呪誓や呪言は profane(冒涜)であり、それゆえ、冒涜(profanity)は独立して分類されるべきではない。
profane という言葉はラテン語のpro(前)と fanum(寺院)に由来している。
つまり、寺院の前や外という意味。
それゆえ、冒涜(profanity)とは、神とは無関係に発せられるあらゆる言葉、行為、生活を意味する。
冒涜(profanity)には、汚れた言葉、間違った呪誓や呪言だけではなく、神と無関係に発せられ、神の主権を認めない丁寧で礼儀正しい言葉や行為も含まれる。
正当な呪言の中で、それを行うことがけっして許されないものが一つある。
呪言は、悪者の頭上に神の裁きを下する。
自分の両親がどんなに邪悪であり、どんなに裁きに値する人々であったとしても、自分の父や母を呪うことはできない。
出エジプト記21:17
自分の父や母を呪う(またはののしる)者は死刑に処せられなければならない。
両親に対する尊敬は神的社会の基礎であり、どんなに極端な場合であっても、息子や娘が自分の親を呪うことはけっして許されない。
未成年の子どもは両親に従わなければならない。
成人した子どもはただ両親を敬うことが求められている。
親と意見が一致しないことが時にはあるだろう。
また、そうしなければならない場合もあるかもしれない。
しかし、自分の親を呪うことは、秩序と権威の基本的な原則を冒す行為にほかならない。
涜聖(blasphemy)は、単に神の御名をみだりに唱えることに留まらない。
それは、神に対して発せられる侮辱的で邪悪で、反逆的な言葉。
関連聖句
詩篇74:10~18
イザヤ552・5
黙示16:9、11:21
これは死をもって罰せられるべき罪(レビ記24:16)。