みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#408 神の法第三戒

2019年09月11日 | 神の法
第3戒
呪誓(誓い)と革命
 
p108~
Swearing and Revolution
The Third Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇


ナボテは、ステパノ(使徒6:11)やイエス・キリスト(マタイ9:3、26:65~65、ヨハネ10:36)と同じように、涜聖の濡れ衣を着せられた(第一列王記21:10~13)。

キリストの奇跡を、本来それが神の霊によるものであるのにもかかわらず、サタンの力によるものであると述べたことが聖霊に対する涜聖であるとされた(マタイ7: 22~32、マルコ3:22~30)。

モンタギューによると、近年この悪習に染まる女性が多くなってきた。

英語を話す人々の集まるスラム街において、女たちが互いに極めて品性の劣る冒涜の言葉や猥褻な言葉を交すことがあった。

どのような種類の悪い言葉でもタブー視される風潮がヴィクトリア時代さながらの厳格な掟として残っていた文明的な英語圏の村落において、そういった言葉を耳にすることはめったになかった。

ソ連において最近見られる冒涜への嫌悪の傾向は興味深い。

冒涜は、社会の混乱や堕落と密接な関係がある。

違法な呪誓は、その本質において必然的に宗教と結びついている。

違法な呪誓は冒涜、すなわち神とは無関係に、また、神に逆らって行われる行為。

間違った呪誓において、神の御名は非合法的に使用されている。

それは神への敵意に基づき、神の御名を汚す行為。

モンタギューが引用している数多くの古代及び現代の呪誓の多くは冒涜というよりもむしろ猥褻。

現代だけではなく古代の呪誓においても、性や排泄に関する言葉や対象が引き合いに出される。

神の御心に適った呪誓は厳粛かつ重要な宗教的行為。

人は、神の権威の下に服し、神の義に従うために自分の身を整え、神が御言葉に忠実に従われるように、自分の立てた誓いを守る。

神の御心に適った呪誓は一種の誓約(vow-taking)である。

しかし、神の御心に沿わない呪誓は、誓い(oath)や誓約(vow)の目的を意図的に世俗化(profanation)すること。

神の御心に沿わない呪誓は、軽々しい誓いや侮蔑を目的とする誓約。

神への侮蔑心を表わす。

神の御心に沿わない呪誓は、単に消極的・敵対的な役割に留まらず、究極的存在である神を否定。

神の玉座に他の神を究極者として据えることを意味する。

神の御心に適った誓約において、人はその確証と力を天の神に求める。

神の御心に適わない呪誓において、人はその力を下の世界に求める。

この「下の世界」は紛れもないマニ教の概念、つまり物質。

それゆえ、神の御心に適わない呪誓は、その力と下の世界をセックスや排泄物に求める。

神に従わない人々は、聖書に記されているピューリタン的倫理を非難しつつも、性と排泄は、互いに緊密に結びついており、それらは無意識や原始が支配する、

生命に満ち溢れた下の世界のパワー。



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