みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#181 終末預言 黙示録20章再考 NO.1

2023年11月15日 | 終末預言 

初めに、前回記事に訂正があります。

オーガスティン→アウグスティヌス

パウロは未知の義(alien righteousness)と名付けた→ルターは未知の義(alien righteousness)と名付けた。

◇◇


黙示録20:1~10
また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。
彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、
底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。
また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。
この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。
しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、
地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。
彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。
そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。


黙示録の「愛された都」とはどこを指すのか。


黙示録20章までは、すでに紀元70年以前に起きている。

なぜならば、黙示録は小アジアに住む7つの教会のクリスチャンに向けて書かれた「手紙」だから。

ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。(黙示録13・18)

ヨハネを通じてイエスは「数えなさい」と誰に命令したのか。

紀元1世紀の手紙の読者である。

それゆえ、黙示録19章までの大患難は、紀元70年までに起きたと信じなければならない。

ディスペンセーション主義が未来預言として解釈しているこれらの終末の記事は、「旧約のイスラエルと当時の世界に対する裁き」についてである。

黙示録20章からは、紀元70年以降についてである。

フルプレテリズムは、この千年もすでに紀元70年までに起きたと解釈するが、間違いである。

いくらなんでも「千年」のタイムスケールを、ヨハネからの手紙を受け取ってから紀元70年までの10年未満に適用できるわけがない。

カルヴァンは、この千年を「戦う教会の時代」と解釈した。

つまり、われわれが生きている時代である。

ディスペンセーション主義の人々は次の箇所のゆえに、今が千年王国ではないと主張する。

「また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。
彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、
底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。」

「サタンが縛られている?この悪魔的な世界で?」と。

たしかに現状を見ると、「諸国の民を惑わすことのないように」されていないと感じる。

2つの可能性がある。

(1)

「いや、世界は惑わされていない。聖書が世界中に行き渡り、ネットで誰でも自由に読める時代になっているではないか。」という立場。

(2)

「文字通り紀元千年までは惑わされていなかった。しかし、十字軍なるシオニズム運動が開始されてから、サタンは活動を再開した。十字軍に端を発し、フリーメイソンやイルミナティ、タルムードユダヤ教徒たちがエルサレム奪還、イスラエルの建国、神殿を建てて、偽メシアを擁立しようとしてきた」という立場。

私は、以前は(1)を採用していたが(2)の可能性もあると考える。

ディスペンセーション主義を通じて、クリスチャンすらも騙されて、シオニストにされている。

世界各国には、中央銀行が設立され、不換紙幣によって、国民は合法的に略奪されている。

現在、世界は、エルサレムを中心とした世界政府樹立に向かって進んでいる。

4.

いずれにしろ、解放されたサタンができることは限られている。

しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、
地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。
彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。

偽書「シビュラの託宣」では「ゴグとマゴグ」をモエシアとダキアとして描いている。

これらの地域は、現在のブルガリアやルーマニアの地方であり、いわゆる東欧系ユダヤ人の故郷である。

タルムードユダヤ教を信じる東欧系ユダヤ人は、ドイツを経由してアメリカに移民し、現在のハリウッドを作った。

メディアが左翼によって牛耳られているのは、彼らシオニストたちが支配者だからである。

クリスチャンに対する攻撃は「天からの火」によって「焼き尽くさ」れる。

ディスペンセーション主義は「愛された都」をエルサレムと言うが、今のエルサレムを支配しているのは、シオニストとタルムードユダヤ人であり、イエスを十字架につけたことに賛同する人々である。

これをエルサレムと解釈すると、シオニストの罠に巻き込まれる。

5.

「千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした」とある。この箇所は、「千年が終わると、サタンは解き放たれて、その惑わしは限定されつつも激化する」と言い換えることができる。

911のあたりから、敵の惑わしや悪業、反聖書的な考え方やイデオロギーは明らかに激化している。これまでは水面下で行われていた悪行も大っぴらに行われ、この世はサタンの軍勢のやりたい放題の場と化している。つまり、千年王国の時代は終わり、最終段階である最後の審判に向かって進んでいる可能性が高いのではないかと思う。

そして、人類史(新約の時代)の終焉、新天新地の樹立、主イエスキリストの再臨second comingが続く。

その間、人類はどのような経過を辿るのだろうか。

いずれにせよ、この世がどうなろうと、何が起ころうと、われわれクリスチャンは粛々と聖化の道程を歩み、自らの救いを達成する以外になすべきことはない。

 

 

 

 

 

この記事についてブログを書く
« #43 救いの達成 R.C. Sproul:... | トップ | #44 救いの達成 Galatians - ... »