みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#629 神の法第六戒

2021年01月08日 | 神の法
第6戒
生かすために

245~
“To Make Alive”
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

明らかに、この要素はルターには存在していた。

しかし、それは全体像ではなかった。

クリスチャン王子、クリスチャン学者、クリスチャン国家、クリスチャン聖職者は、みことばの研究を強調するという広い意味において、ドイツ宗教改革において、ルターにとって2つの中心的機関であった。

しかし、ルターをはるかに超えて、われわれは国家の責務を神の支配下(教会の支配下ではない)にある行政機関であることを強調する必要がある。

そして、悪や不正を処罰するというネガティブな仕事は、ポジティブに言えば、法秩序を確立するという意味であり、これにより敬虔な人々は栄え繁栄する。

以前に見たように、市民的あるいは他の権威は、神の召しと祝福によって、神の権威ある統治の業をシェアするという点で、神々(gods、エロヒム)と呼ばれている。

神は、モーセを通して宣言した。

申命記32:39
今、見よ。わたしこそ、それなのだ。わたしのほかに神はいない。わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、またいやす。わたしの手から救い出せる者はいない。 

これと同じ宣言が第1サムエル2:6とイザヤ43:13にも見られる。

モーセの歌の中にあって、これが神の法と関係しているのは明らか。

主は偉大な法提供者であり裁判官、だからこそ殺し、生かし、傷つけ、いやす力がある。

この力は、神の法言において使用されるように人の権威に委任されている。

したがって、すべての権威は、程度の差はあれ、 一方で、制限を加える、殺す、傷つける力を有しており、他方において、神の法秩序とことばを促進させることにより、癒し、生かす力も有している。

明らかに、この機能は国家と教会に属している。

罪を赦し、神のみことばによって罪を縛るために教会に与えられた鍵のパワーは、殺し、そして生かすために任された権威の一面。

マタイ18:18
まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。 

マタイ16:19
わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」 

ヨハネ20:23
あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」 

神のことばが赦しを宣言するなら、教会は罪を赦すことができる。

そして教会は、その赦しが天の前にあることを知る。

神の法の状態が満たされていないなら、その赦しが天において否定されていると確信し、教会は赦しを拒絶することができる。

みことばの働きと聖餐式によって、教会は生かす。

命を伝搬する力が教会にはあるからではない。

みことばが真に宣べ伝えられているところでは、神はご自身のことばに忠実であるから。

参考:

信条の重要性

法治主義

体制と宗教

神の国について



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