☞ 御霊の賜物を生かして地上を御国に変えるために働こう
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異端者による荒らし行為対策のためにリンク先に飛べない仕掛けがしてある。
全文転載する。
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1.
預言は、法的な宣告である。
神は預言者を送って、王や権力者に御言葉を告げられる。
神の言葉は絶対なので、その言葉が発せられたときに生まれる「法的現実」は「実際的現実」になる。
日本では、被告に対して最高裁が「上告棄却」と述べたら、そこで刑は確定する。
死刑が確定したら、必ず死刑になる。
裁判官の言葉による「法的な現実」は、「実際的な現実」になる。
戦争などが起きて日本が滅亡しない限り、この流れは止まらない。
絶対者なる神が宣告したら、それは絶対に起きる。
そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。(イザヤ55・11)
2.
今、日本も世界も、時代の転換点を迎えようとしている。
これまで、政治はマスコミの情報操作で動いた。
情報発信を独占していたマスコミは、自らの操作で選挙民の意見を自由に変えることができた。
インターネットによってマスコミが流したウソがすぐにバレるようになった。
とくにtwitterとYouTubeの影響力は大きい。
それゆえ世論操作をもくろむ人々は、これらの内部に入り込んで意に沿わない情報を遮断しようとしている。
もしこれらが真実を伝えられなくなったら、人々は別の手段を構築して真実を発信するだろう。
BAN祭りとかやっても、無駄である。イタチごっこ。
インターネットによって、実質、バベルの塔は崩壊したのである。
虚偽と操作によって築かれるはずの塔は、真実発信の手段としてのインターネットの登場により、崩れた。
騙されているのは、インターネットをやらない世代だけであるが、時間の経過とともに消えていく。
3.
インターネットを通じて、われわれは聖書に記されている真理を伝えている。
1で述べたように、神の真理は法的宣言であり、それは、必ず現実化する。
それゆえ、われわれが聖書の真理を伝えた瞬間に、それが現実化することは確実であり、この流れを変えることはできない。
4.
これまで教会は敵の情報操作によって虚偽を吹き込まれてきた。
教理が不純になった。
アルミニウス主義とディスペンセーション主義、モダニズム、バルト主義などにより、世俗思想が混入した。
しかし、このような時代も終わろうとしている。
聖書的ではない教えは、必ず捨てられる。
神の御心ではない教えは、滅びる。
毒麦は必ず捨てられて、燃やされる。
5.
神は天地を創造され、人間を作って「地を従えよ」と言われた。
人間の使命は、天で神の御心が行われているように、地でも行われるようにすることである。
「いわゆるキリスト教」が広まっても、「いわゆるクリスチャン」が増えてもダメである。
「御霊によって生まれ変わった人々」が増えなければならない。
超自然的に復活した人々が増えなければならない。
なぜならば、生まれながらの人間は御霊を持たず、「肉の動機」で生きるからである。
肉は神の国を求めることができない。
考えることすべてが「自分の王国建設」のためである。
御霊によって生まれ変わった「本物のクリスチャン」はひたすらに神の国を求める。
神の国を地上に打ち立てることにしか関心がない。
なぜならば、「本物のクリスチャン」の内側におられる御霊がひたすらに神の国を建設しようと望んでおられるからである。
6.
イエスは「律法と預言者(旧約聖書)を成就するために」来られた。
そして、十字架上で「完了した」と宣言された。
つまり、紀元1世紀に、律法と預言者は成就したのである。
「地を従えよ」との命令は成就した。
古いアダムが失敗した使命は、新しいアダムであるイエスによって成就した。
これは「法的成就」である。
当時、まだ世界は「実際的には」反キリストの状態にあり、地は従えられていなかった。
しかし、法的現実は実際的現実に必ず変わるのであるから、イエスが人間の使命を成就されたことは、実際に成就されたことを意味する。
紀元1世紀の「法的な神の国の成就」は、歴史を通じて徐々に現実化する。
神は、時代時代において、必要な人を起こされ、神の国の前進のために用いられる。
7.
神の国建設に召された人は、それを行おうとする内的な衝動を抑えられない。
私は、「主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい」と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。(エレミヤ20・9)
預言者として選ばれた人は、預言しないではいられない。
自分で違う道を選んでも、いずれもとの場所に戻される。
神の国の前進は、神の計画であって、人間の願望は、この計画に対して無力である。
8.
神の国建設のために、すべての「本物のクリスチャン」には御霊の賜物が与えられている。
自分にはどのような賜物が与えられているか理解し、それを生かすべきである。
あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。
みなが使徒でしょうか。みなが預言者でしょうか。みなが教師でしょうか。みなが奇蹟を行なう者でしょうか。
みながいやしの賜物を持っているでしょうか。みなが異言を語るでしょうか。みなが解き明かしをするでしょうか。
あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。(1コリント12・27-31)
神の国は人体のようなものであり、構成員は、互いに有機的に関連し合っている。
自分が目なのか、耳なのか、腕なのか・・・、判断していただきたい。
そして、自らに与えられた使命を果たし、地上を御国に変えるために働こう。
2019年9月30日