The Healing of the Deaf Mute (Mark 7:31–37) — A Sermon by R.C. Sproul
訳出時間枠:14分44秒から20分38秒まで
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足萎えは喜びのあまり飛び跳ねる。
今朝朗読したように、マルコがこの箇所を書く時、イエスとつんぼで口がきけない人との出会いについて心に思い巡らせていたことは間違いないと思うのであります。
さて、テキストに戻りましょう。
私がしていることをあなたがたもやってみて頂きたいと思います。
早速、見ていきましょう。
「すると、イエスは群衆から彼を脇へと連れ出して、ご自身の指を彼の耳の中に入れた。そして、唾を吐いて、彼の舌に触れた。」
この男はデカポリス地方の出身、つまり異邦人の国とされ、汚れていると宣言されていた土地の出身であったということに注意したい。
最初に見ておくべきことは、イエスが群衆から彼を脇へと連れ出して、彼に触れたということ。
そして、イエスはご自分の指を彼の耳に入れた。
そして、ご自分の手に唾を吐いて、その唾を取った。
その唾とは、ユダヤ人の浄化の法によれば、汚れた排出物と考えられていました。
イエスはご自身の手に唾を吐きだし、唾を取り、それをその男の舌に付けたのです。
さて、古代世界において、治癒能力を与えられた人は、連れて来られた人々にその力を伝達するために、唾を仲介物として使う言い伝えがありました。
イエスは、ご自分が人を癒す方法を知っていることを、この男に確信させようとしたのかもしれません。
苦しむ人々に贖いをもたらすために、イエスがご自身の唾を使ったということに、極めて深い意義を見いだそうとする人たちもいます。
それは、彼の体から流れ出る別の液体、彼の血潮を予め示していたのかもしれません。
私たちの口だけではない、ご自身の民のためにみずから注ぎ出す時、私たちを救い出してくれる主の血潮であります。
いずれにせよ、イエスのこうした処置から生き生きとした描写を読み取ることができます。
そして、この男の舌に触れた時、イエスは天を見上げました。
続いて、聖書には「彼は大きなため息をついた」とあり、つまり、心の中でうめいたのです。
すなわち、御父に介入して下さるように激しく嘆願したのです。
彼はその男の舌に触れた。
その舌には鎖が巻かれていた。
われらの救い主は大きくため息をついて、一言言った。
マルコ伝の原典に残されているそのことばは、単純に「開かれよ」を意味することばであります。
イエスの命令によって、音を聞き分けることができずに塞がれていた耳と、鎖が巻き付けられていて明瞭にしゃべることができなかった舌は解き放たれた。
男の耳は開かれ、聞くことができるようになった。
聴力の賜物が与えられただけでなく、彼は今やしゃべることもできるようになった。
聞き取ることのできない話し方ではなく、神の栄光を明瞭に表現できる舌が与えられたのです。
本来の意味において、ここで起こったことは、すべてのクリスチャンに対して起こるべきことであります。
このかわいそうな男がことばによるコミュニケーションが全くできないつんぼであったように、聖霊が神の事々に対して私たちを開いて下さる前には私たちも神のことばを聞くことのできない者でした。
聖霊が私たちの心を清めて下さり、私たちの魂を再生して下さる前、私たちの心に浮かぶことはみな汚れたことばかりであり、コブラの毒が私たちの唇の下にありました。
そして、私たちの舌は神を冒涜するために使われていました。
罪の鎖から解放されるまで、その舌は毒そのものでありました。
直ちに彼の耳は開かれた、とマルコは伝えます。
そして、彼の舌の障害も解かれたのです。
聖書に書いてあることに注目して下さい。
単に「そして、彼は話した」とは書かれていない。
その言い方は注目に値します。
「直ちに彼の耳が開かれ、彼は聞くことができた、そして、しゃべることができた。」
しかし、マルコはそれ以上のことを告げます。
イエスは彼の舌に触れて、命令するとすぐに、直ちに、彼はしゃべることができて、明瞭にしゃべることができた。
そこにあった病理が取り除かれ、彼は言いたいことを正確に表現した。
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