続いて、John MacArthur師の見解を聴く。師はプレミレを信じている。
☞ Why Christians Submit to the Government wirh John MacArthur
最初から7分7秒まで。
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ローマ書13章が、クリスチャンと政府というタイトルで本日見ていくテキストです。
やや遅れて、税金に関してお話をします。
第1節から始めて、この本当に重要なテキスト全体を学んでいこうと思います。
ローマ書13章。
1節による始めのことばについては、前回考察しました。
この節だけで、すっかりと時間を要してしまいました。
万人は統治権威に服さなければならない。
これは、いわれのない陳述です。
統治権威とは誰なのか定かではないし、服従とはどういう意味かも定かではありません。
それ故、それが如何なる権威であろうとそれに対して服従しなければならないという穏やかではない命令を受けているのです。
これは使徒パウロとペテロから発せられました。
彼らは類似した指導を私たちに与えています。
第1ペテロ2:12~15
異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行ないを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、 また、悪を行なう者を罰し、善を行なう者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。 というのは、善を行なって、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。
つまり、使徒パウロも使徒ペテロも、私たちの責務は統治権威に従うべきであることを明確に示しています。
前回このことを検証しました。
パウロは第1節から開始して、何故私たちがこのことをすべきなのか7つの理由を掲げています。
理解し易いように部分部分に分けて、それらを分解する方法を取りました。
この箇所は注目すべき聖句です。
主が「これをしなさい」というのなら、説明なしでも十分です。
しかし、パウロは説明をしながら、政府に関して、神が与えたもうた責任を明らかにします。
歴史的に見ても、政府は、私たちの社会のみならず私たちを取り巻く世界に対しても、過剰と思えるほどの権限を持っています。
神によって遂行するように定められている政府の事々があります。
そして、私たちには政府の権力に従う義務があります。
第1に、政府は敬虔なる法令によっているとパウロは言います。
政府は敬虔なる法令による、とは。
第1節に戻ります。
「神に由来しない権威はない。」
「存在する権威は、権威(複数形)、何処の権威だろうと、どのような権威であれ、神によって確立されている。」
「世の権威、政府の権威は、直接神から来る。」
神によって設置された施設が社会にはもう2つあります。
ひとつは結婚によるもの、もうひとつは教会、
神は社会的単位、社会的構成要素を定めました。
人間の幸福のために。
政府、教会、そして結婚。
健全な結婚は悪を食い止める。
健全な教会は悪を食い止める。
健全な政府も同様です。
神に由来しない権威は存在しません。
神から離れて存在する世の政府はありません。
詩篇62篇11節、「力は神のもの。」
政府を確立する力は神に属しています。
使徒17章、「国民の時代は神によって決定される。神は国民の始めと終わりを決定する。」
ダニエル4章17節、「いと高き方が人間の領域を支配し、これをみこころにかなう者に与え、また人間の中の最もへりくだった者をその上に立てる。」
政府とその中で権力を行使する人間は、神によって選ばれている。
政府の権力と政府の権威の賜物は、神の賜物である。
神の許可なしに、権力を握ったた暴君はいないと結論することができます。
施設としての政府は神によって定められたのであり、神のご計画とは別に運営される政府は存在しない。
神の目的に反して運営される証印のない政府は存在しない。
政府理論が何であれ、政府形態がどうであれ、神の目的とは無関係の政府は存在しない。
ひとつ付け加えておきます。
政府理論について聖書は何も語っていません。
数世紀にわたりヨーロッパを支配した君主政治を聖書は支持していない。
民主政治も聖書は支持していない。
民主的社会構造なるものを聖書に見出すことはできません。
共和国制やあらゆる形態の君主政も聖書には書いていません。