みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#28 救いの達成:The Narrow Way Dr Steven J Lawson, NO. 14 

2023年09月30日 | 救いの達成

The Narrow Way Dr Steven J Lawson

 

50分46秒から53分50秒まで。

◇◇

門は狭くて、道も狭い。

小さな門は狭き道へと続く。

小さな門は広き道へ通じていない。

もしも今宵広き道の上にいるのであれば、あなたは狭き門を通ってはいません。

広き門は広き道へと通じています。

狭き門は狭き道へと通じています。

如何にその道を全うするか慎重に明示する必要があります。

この狭き道の上を生きるということは、新しい命を進んで行くということ。

それは新しい道であり、新しい命。

それは全く別の命であり、イエスキリストにあって溢れんばかりの命。

それは聖の追及であり、義の追及。

但し、残りの人生において罪を犯さないということではない。

そんなことは百も承知。

狭き道を歩むとは、人生の完成ということではない。

それは、生き方の方向性を言ってるのです。

あなたが今歩んでいるのは、新しい方向を向いている新しい道であります。

罪を犯す時、あなたはその罪を楽しむことができない。

その罪を悔い改めて告白するまで、恥辱と罪の意識が起きます。

14節にあるように、命へと至る道が続きます。

広き道は破壊へと通じる。

その道は地獄へと通じる。

狭き道は命へと通じる。

それは限定的で、あなたを引き留めようとするかもしれない。

引き留めようとするのは、あなたに害が及び、破滅をもたらすから。

神が狭き道へと留めようとすることは大変良いことです。

狭き道に留まるということは、神のみ旨という善のど真ん中に留まるということ。

狭き道に留まるということは、緑の牧草地へと導かれること。

そして、静かな水辺へと導かれること。

神を賛美せよ。

狭き道に留まるということは、この世の汚れに触れないということ。

その道は命へと通じる。

この道の上に留まらなければ、あなたは命を失い、ゾンビのようにさまよい歩く。

心は空虚となり、内に神の霊の事々に関する真実がない。

クリスチャンのふりをして、この世に存在しているにすぎない。

しかし、新生という命がない。

新生させた命とは、神の命であり人の心。

新生された命とは、永遠の命であり、霊的命であり、超自然的な命。

それは、あなたの中で溢れんばかりの命となる。

主イエスキリストにあって生きることの何と素晴らしいことよ。

「私は道であり、真理であり、命である」と聖書に書いてある。

御子を持つ者は命を持つ。

命はほかにはない。

この命こそ正真正銘の命。