The Narrow Way Dr Steven J Lawson
50分46秒から53分50秒まで。
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門は狭くて、道も狭い。
小さな門は狭き道へと続く。
小さな門は広き道へ通じていない。
もしも今宵広き道の上にいるのであれば、あなたは狭き門を通ってはいません。
広き門は広き道へと通じています。
狭き門は狭き道へと通じています。
如何にその道を全うするか慎重に明示する必要があります。
この狭き道の上を生きるということは、新しい命を進んで行くということ。
それは新しい道であり、新しい命。
それは全く別の命であり、イエスキリストにあって溢れんばかりの命。
それは聖の追及であり、義の追及。
但し、残りの人生において罪を犯さないということではない。
そんなことは百も承知。
狭き道を歩むとは、人生の完成ということではない。
それは、生き方の方向性を言ってるのです。
あなたが今歩んでいるのは、新しい方向を向いている新しい道であります。
罪を犯す時、あなたはその罪を楽しむことができない。
その罪を悔い改めて告白するまで、恥辱と罪の意識が起きます。
14節にあるように、命へと至る道が続きます。
広き道は破壊へと通じる。
その道は地獄へと通じる。
狭き道は命へと通じる。
それは限定的で、あなたを引き留めようとするかもしれない。
引き留めようとするのは、あなたに害が及び、破滅をもたらすから。
神が狭き道へと留めようとすることは大変良いことです。
狭き道に留まるということは、神のみ旨という善のど真ん中に留まるということ。
狭き道に留まるということは、緑の牧草地へと導かれること。
そして、静かな水辺へと導かれること。
神を賛美せよ。
狭き道に留まるということは、この世の汚れに触れないということ。
その道は命へと通じる。
この道の上に留まらなければ、あなたは命を失い、ゾンビのようにさまよい歩く。
心は空虚となり、内に神の霊の事々に関する真実がない。
クリスチャンのふりをして、この世に存在しているにすぎない。
しかし、新生という命がない。
新生させた命とは、神の命であり人の心。
新生された命とは、永遠の命であり、霊的命であり、超自然的な命。
それは、あなたの中で溢れんばかりの命となる。
主イエスキリストにあって生きることの何と素晴らしいことよ。
「私は道であり、真理であり、命である」と聖書に書いてある。
御子を持つ者は命を持つ。
命はほかにはない。
この命こそ正真正銘の命。