一日中
ちょっと起きられなかった…自己嫌悪。
そうしてる間に明日は早く会社に行かなきゃ…だったりするし。
たまにはこういう日もないといけないんだろうけど
あまりにも楽しいことがない(楽しいことを作っていない)毎日。
このごろの日記は特に愚痴を書いてる気がする。
『誰もわたしに触らないで』
心のなかでは実はそんな風に思っていることが多いんだ、と気がついた。
同じ“ヒト”で、同じように感情があって…
なのに相手に踏み入れられたくない、自分を守りたい。
そういう欲がある。
でもほんとのほんとは
それも疲れるから
普通に優しさを持って、誰かと共感しながら交流したい。
相手がわからない、からしんどいのかなあ。
リーダーシップ、というか、自分がちゃんと前を切ってやらなきゃいけないしんどさ。
今に始まったことじゃないのに…いまのとこ全然できてないし。
責任持つのがそんなに嫌なのか?(いや、そりゃ誰だって嫌だろうが)
この年齢だから、ね…。
なんにもしたくない。が本音かなあ。
できることなら引きこもってみたいよ。できるんならね。
そういうことか。
引きこもりたいのは、自分の中だけの世界にいたいからなのね。
外の多様で複雑な世界では傷つくし、自分のしょうもなさもわかっちゃうもんね。
引きこもるって、イメージとしては安心な繭の中にいる感じがするんだけど、はたして繭の中が居心地よすぎたらその中で死んでしまうのでは?
それとも人ってそのうち繭の中も飽きて自然に羽化して飛ぼうとするものなんだろうか。
それは個々の生命力による、か…。
実際引きこもるひとは精神的にはわたしがこう思うより複雑なところもあるのかな…。
アホな元彼も、ショックを起こしてもまあ無理ない…という出来事があって引きこもっていた時期があったし…。
いまの歳になっても同じような嫌になるほどの弱さ(よく言えば繊細な部分)があるのは他人の私から見るといただけないが。
引きこもりたいと言っているわたしも、他人から見るとまあいただけないと思われてるかな。
…ここで別の話題に切り替わります。
『素直になるポイント』
学生のときに、『あの場面で素直になっていれば たぶん現在がずいぶん変わっていた』
というポイントを感じた時があった。
いまも時々、間違えてるなー…と思う時がある。
素直に行けばこういう選択にはならないはずなのに、と。
なんかへんな自分。
素直になるとどーなるかやってみる?
やっぱ失敗はすんだろな。結果を引き受けるのは自分だし。
そしてまた別の話題。
最近、すこし好きかも、なひとがいて(いい歳して奥手なわたしは接点がそこまでないそのひとのことを、いまのとこ一人でそう思ってるだけ、なのですが)
悲しいけど気持ち的に執着していたひとのこと、こうやってぶつかりもせず忘れてしまう自分になるのかなあ…と思いました。
現実的には、今更どうにもなりたくもない相手なんですが
それでも好きではあったので、縁があった人なのかな、と思っていて
(実際、いい時には自分に色々教えてくれたひとでした。彼が自分に向き合ってくれてる時にはとても優しく。ただあっさり他のひとに鞍替えしたあとには私への扱いがその前と比べてかなりぞんざいになり、いい加減だよな…と感じたので離れましたが。)
…まあせっかく、自分に色々なことを教えてくれるいい縁、の人だったかも知れないのに
自分の状況や自分の性格、相手の性格でこうなって、わたしは彼を罵ったり、ほんとの気持ちも少しも言えず、こうやって中途半端なまま終わって
心変わりをしようとしている
嫌がっていた彼らと同じようなことをしようとしている自分なのね、と。
だからって今更自分こうこうでした、なんて説明するとしたらあほだし…
ただ…なんというか。
わたしは好きなものは好きで、あまり心変わりなんてしたくないし
目先の幸せに釣られてほんとの気持ちにフィルターをかける、とか好きではないのですが。
幸せそうな光、みたいなもの(ヴィジョン)が見えたら、そっちに飛びついちゃいそうだな、いま。要するに、あれだけ嫌ってた 自分の幸せしか考えない奴らと同じようなことをするんだろう。
そして思ったのは
やっぱり上のひとのことは、好きだったけど執着でもあって
自分の女性としての年齢や持ち上げておいて結構な落とされ方をした、というプライド、とか…
要は、純粋に好きなとこもあったけど、単純に自分のために執着していた
という部分もあったんだ、と思いました。
逃した魚だったから惜しくなった。
それだけではないけれど、そんな部分も結構あった。
と思ったのです。
あー、なんとこれから遅い時間の洗濯。
今の職場の教えてくれる人が言ってた。
もーひとり、あの人がこの部署に来ないかなあ、って。
花形でばりばりやっとるあの人が、どーして私が左遷されてきたこの部署に来るんやっちゅーねん。無理やっちゅーねん。
まあそれも私が頼りないって言いたいのの裏返しの言葉なのだ。
うーん、イラッとする。(笑)
私はそんなに天然でもないし、のろまでもないよ。
と思うがそれも自分基準で…
確かに大人らしいそぶりが苦手で悪い意味で常識はずれだからな。
(そう、だからこの歳でこんなことを書いている。人から見ると中学生みたい、なのだろう。)
でもいい。演じてでもこんなしょーもないまんまでも
どっちにしてもやったるかんね。
そしてそれは試行錯誤。
失敗してまたやっての繰り返し、なのだ。
あー、ずいぶん書いちゃった。
書いてる間はなんか好きなんだけどな、書いた後はどーなるんだか。
現実逃避だから好きなだけなのか??
まあまあ。
槇村さんの本にあった言葉。
『なりたい自分になるのが人生だよ』
とゆーことで。
おやすみなさい…。〓
ちょっと起きられなかった…自己嫌悪。
そうしてる間に明日は早く会社に行かなきゃ…だったりするし。
たまにはこういう日もないといけないんだろうけど
あまりにも楽しいことがない(楽しいことを作っていない)毎日。
このごろの日記は特に愚痴を書いてる気がする。
『誰もわたしに触らないで』
心のなかでは実はそんな風に思っていることが多いんだ、と気がついた。
同じ“ヒト”で、同じように感情があって…
なのに相手に踏み入れられたくない、自分を守りたい。
そういう欲がある。
でもほんとのほんとは
それも疲れるから
普通に優しさを持って、誰かと共感しながら交流したい。
相手がわからない、からしんどいのかなあ。
リーダーシップ、というか、自分がちゃんと前を切ってやらなきゃいけないしんどさ。
今に始まったことじゃないのに…いまのとこ全然できてないし。
責任持つのがそんなに嫌なのか?(いや、そりゃ誰だって嫌だろうが)
この年齢だから、ね…。
なんにもしたくない。が本音かなあ。
できることなら引きこもってみたいよ。できるんならね。
そういうことか。
引きこもりたいのは、自分の中だけの世界にいたいからなのね。
外の多様で複雑な世界では傷つくし、自分のしょうもなさもわかっちゃうもんね。
引きこもるって、イメージとしては安心な繭の中にいる感じがするんだけど、はたして繭の中が居心地よすぎたらその中で死んでしまうのでは?
それとも人ってそのうち繭の中も飽きて自然に羽化して飛ぼうとするものなんだろうか。
それは個々の生命力による、か…。
実際引きこもるひとは精神的にはわたしがこう思うより複雑なところもあるのかな…。
アホな元彼も、ショックを起こしてもまあ無理ない…という出来事があって引きこもっていた時期があったし…。
いまの歳になっても同じような嫌になるほどの弱さ(よく言えば繊細な部分)があるのは他人の私から見るといただけないが。
引きこもりたいと言っているわたしも、他人から見るとまあいただけないと思われてるかな。
…ここで別の話題に切り替わります。
『素直になるポイント』
学生のときに、『あの場面で素直になっていれば たぶん現在がずいぶん変わっていた』
というポイントを感じた時があった。
いまも時々、間違えてるなー…と思う時がある。
素直に行けばこういう選択にはならないはずなのに、と。
なんかへんな自分。
素直になるとどーなるかやってみる?
やっぱ失敗はすんだろな。結果を引き受けるのは自分だし。
そしてまた別の話題。
最近、すこし好きかも、なひとがいて(いい歳して奥手なわたしは接点がそこまでないそのひとのことを、いまのとこ一人でそう思ってるだけ、なのですが)
悲しいけど気持ち的に執着していたひとのこと、こうやってぶつかりもせず忘れてしまう自分になるのかなあ…と思いました。
現実的には、今更どうにもなりたくもない相手なんですが
それでも好きではあったので、縁があった人なのかな、と思っていて
(実際、いい時には自分に色々教えてくれたひとでした。彼が自分に向き合ってくれてる時にはとても優しく。ただあっさり他のひとに鞍替えしたあとには私への扱いがその前と比べてかなりぞんざいになり、いい加減だよな…と感じたので離れましたが。)
…まあせっかく、自分に色々なことを教えてくれるいい縁、の人だったかも知れないのに
自分の状況や自分の性格、相手の性格でこうなって、わたしは彼を罵ったり、ほんとの気持ちも少しも言えず、こうやって中途半端なまま終わって
心変わりをしようとしている
嫌がっていた彼らと同じようなことをしようとしている自分なのね、と。
だからって今更自分こうこうでした、なんて説明するとしたらあほだし…
ただ…なんというか。
わたしは好きなものは好きで、あまり心変わりなんてしたくないし
目先の幸せに釣られてほんとの気持ちにフィルターをかける、とか好きではないのですが。
幸せそうな光、みたいなもの(ヴィジョン)が見えたら、そっちに飛びついちゃいそうだな、いま。要するに、あれだけ嫌ってた 自分の幸せしか考えない奴らと同じようなことをするんだろう。
そして思ったのは
やっぱり上のひとのことは、好きだったけど執着でもあって
自分の女性としての年齢や持ち上げておいて結構な落とされ方をした、というプライド、とか…
要は、純粋に好きなとこもあったけど、単純に自分のために執着していた
という部分もあったんだ、と思いました。
逃した魚だったから惜しくなった。
それだけではないけれど、そんな部分も結構あった。
と思ったのです。
あー、なんとこれから遅い時間の洗濯。
今の職場の教えてくれる人が言ってた。
もーひとり、あの人がこの部署に来ないかなあ、って。
花形でばりばりやっとるあの人が、どーして私が左遷されてきたこの部署に来るんやっちゅーねん。無理やっちゅーねん。
まあそれも私が頼りないって言いたいのの裏返しの言葉なのだ。
うーん、イラッとする。(笑)
私はそんなに天然でもないし、のろまでもないよ。
と思うがそれも自分基準で…
確かに大人らしいそぶりが苦手で悪い意味で常識はずれだからな。
(そう、だからこの歳でこんなことを書いている。人から見ると中学生みたい、なのだろう。)
でもいい。演じてでもこんなしょーもないまんまでも
どっちにしてもやったるかんね。
そしてそれは試行錯誤。
失敗してまたやっての繰り返し、なのだ。
あー、ずいぶん書いちゃった。
書いてる間はなんか好きなんだけどな、書いた後はどーなるんだか。
現実逃避だから好きなだけなのか??
まあまあ。
槇村さんの本にあった言葉。
『なりたい自分になるのが人生だよ』
とゆーことで。
おやすみなさい…。〓
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