つぶやき

平々凡々なアラフォーのひとりごと

ちょっと弱ってます。

2020-07-15 01:00:49 | 日記
なにがって言うと、ちょっと気持ちが弱っています。

ふたつ前の日記の件、どうやら相手のひとがよかったみたいで

まだ安心できないのかなという不安もぬぐい切れはしないけど

それでも相手のひとに感謝している自分もいます。

こういうあたたかい気持ちを持つことをしたい。

けれど実際は。

なんだか少し、疲れています。

また少しだけ間が空いてこっちに来てみたら、ふと見ると『ブログの解説から3648日』となっていました。

あと2日で、丸10周年。

うるう年もあるから正確には…(366日って歌もあるし、366日の1年もあるんですよね?)

もしや 今日でちょうど10周年。(ちょっと驚く。)

うわあ。


…10年前、歳を取った取ったと書いていても、私はまだ若かったです。

30代のアラフォーなんて、言ってもまだ綺麗だと思います。

女性としての美しさは、まだ残っていたと思うし、体力的にもいまと比べたら驚くぐらい元気でした。

いま、10年が経って、確実に下り坂を下ってきている感覚があります。

人生で言うと、この10年はほんとうに折り返し地点の前と後に差しかかる10年だったのだと思います。

消えそうなろうそくのようだけど、まだ灯火が残っていたような美しさ。

いまは、衰えが見えてまだみずみずしさのあったきれいさが、まるで乾いたドライフラワーになったように感じます。

手もほんとうに枯れ木のよう。

かさかさとしていてしわだらけ。

…花といっても、私はドライフラワーには生花ほどの魅力を感じません。

『花だった』ものと言ってしまいたくなります。

それくらいに、私の思う花は生花で、ドライフラワーは自分の中の花の定義からは外にはずれているのです。

それと同じように、自分はもう女性としての度合いは少なくなっているのではないか、女性と呼ぶには女性的な要素がなくなってきているのではないか、と自分の中で 思うのです。

…と、自分程度でナルシストがすぎてるのでしょうが、若さをなくしていく気持ちについて書いてみました。

そんなふうに 歳をとる中、ちょっと疲れてしまいました。

以前はきれいと言ってもらえたこともある容姿、老いさらばえていくのを昔のわたしのイメージで見ている以前からの知り合いや友達には、あまり見られたくないな、と。

それを期待してる人や昔の私で見ている人に、いまのくたびれた自分を見られるのが怖い。

かと言えど、もう無理して美しく見えるようにと見栄を張って水面下の白鳥の足みたいに必死にじたばたするのも、そんな努力をしたところで自分の思うほどにはきれいになんてならないだろうし、なんだか焦って人にはよく見せようと必死に虚勢を張るのがぶざまでいやだな、と思います。

そして連絡をくれている相手に対してもそう、

ほんとうに安心して心からなにかを言えている感じはしなくて

なんとか自分で処理しようと踏ん張っている感じがあって

そうじゃなく、安心して心から頼れるひとがほしい。

いまの相手でそうするようにするのか、ほかの人にそれを求めるのか最終的にどうするのかは自分でもまだわからないんだけど。


体力的にも…そして前頭葉の衰えで、仕事では出さないよう気をつけているにしても、ほんとうに怒りの感情がコントロールできなくて脳が委縮が始まって.いるのではないかという不安もあって(実際、すぐに短期のつい最近のことを忘れそうになる自分を感じる。以前は手帳などなくても頭に予定をなんとなく持っていられたのが、いまは手帳に書かないと危ないと感じる。)

もう今までのやり方では無理だ、もっと自分を自分以上に見せようとしない方向で行けないものかと思っている。

そういう自分で相手が受け入れてくれるかどうか、それが相手への自分の押しつけにならないかとうかがわからないけど。

実際、最近姉に会って自分がどうも姉の負担になっていそうと感じて距離を置こうかと考えているけれど。

要するに、『こんな自分は姉をしんどくさせているかも知れない、だから姉は私をうっとおしく思っているかも知れない、と。

思ったまま、脈絡もなく吐き出してしまった。

あまりよくない感じなのだろうけど、ちょっと疲れたから怠けてしまおう。

だらけてしまった。

ちょっとこのまま寝てしまいたい。

なにかするのがいやだな。

負の方向の言葉の多い日記でした。

もうこれで。

やすもう。