つぶやき

平々凡々なアラフォーのひとりごと

ひどい

2015-10-24 22:27:23 | 日記
かも知れない。


わたし、もう信じていないかも知れない。


人として、それではいけない…と思うけれど。


自分にいいところなんてない、と思う。



ものすごい上から目線で人を見てしまう。



自分自身は、大したこと、ないのになあ…。



それを笑えればいいのに、笑えないわたしがいる。



自分を信頼する



相手を信頼する


なんにも信じられていないのは


自分を信じることができていないからだ、と思う。



このプライドの高さ…



もうコレ、一生直んないのかなあ…。



自分がほんとにしたいことって、なに?


心の底から納得できることって、なに?


別に嫌われてもいいし、誤解されてもいい、って



思ったりもするけど



どうしたいんだ


単に人嫌いなだけじゃないか



自分からはオープンにしないのに、人にはオープンにしろって?


それは、ないよね。



おばはんなのに青くさい。



全然、成熟してない。



単に…




プラスもマイナスも、間違えてても自分を出すってこと


それができてないってことか。



ひとに嫌われても、自分が好きな自分


好きになれる自分


ずっと書いてることなのに…



ほんとうのわたし、嘘のわたしとかじゃないらしい。


ただの素の自分。



単なる無責任な野放図ってダメだと思うし

思いやりは必要だと思うけど



わたしに思いやりはないんじゃないだろうか。



自分が苦しんで助けられたら、その有り難みがわかるはずなのに…


手を汚さない冷たい復讐をつい考えてしまうわたしがいる。


わたしって、冷たい。

感傷的

2015-10-19 22:29:16 | 日記
今日は疲れた。


くだらないことなのに、ちょっとしたことでがくがくと崩れてしまうメンタルの弱さ。


もうおばさんなのに…。
なんか思春期の女の子のようなこの頼りなさ、不安定さ。


ほんと、絵にならない。
というか、ひとから見たら、気持ちわるいだろうな。



このごろはほんとにごくたまにしか音楽は聴かないんだけど、今日はとにかく底まで落ち込みたくて、そういう曲を選んで聴きました。



落ち込む、というのとはちょっと違うかと思うけど


聴いた曲の中で一曲、とても哀しくなる曲がありました。


哀しい、じゃないな。せつない、か。


とてもせつなくなる曲、



杏里さんの『夏の月』。


これはわたしがほんとうに若い女性だった頃に聴いていた曲です。


元々、その頃のカメラのCMに使われていた曲で、そのCMも見てたしぼんやりとは知っていたと思うんだけど


どうしてこの曲をCDレンタルしたのかは
(↑その昔にレンタルCDからテープに落としたものを今までずっと持ってて、時々聴いているのです。


よく覚えていない。


カラオケ(その時代はカラオケに行く機会が多かった)で上手く歌いたいから覚えたい、みたいなのもあって、そのころの流行りや好きな曲をいくつかレンタルショップでCD借りてテープを作ってたから、店頭のディスプレイで目について、たまたま選んだのかな。


それとももう記憶にはないんだけど、CM以外でどこかで耳にして(ラジオとか有線とか…)どうしても聴きたくて借りたんだろうか。



いやそれとも、CMで聴いた時点でものすごく好きになって、それで選んだんだっけ…


↑なんかこの理由だったような気がするけど。実際はやっぱりよくわかんないな。


すごくいい曲なんだけど、TVの音楽番組や歌番組ではそこまでばんばん流れてはいなかったような気がするし


いい曲なんだけど周りの認知度も意外と低くて(←わたしの周辺では、だけど。なんていうかある程度は知ってる人もいるけど、そこまでメジャーじゃないというか。)


カラオケでも『ほとんどの人が知ってて誰かが歌う、おなじみの曲』ではなくて、歌うと『へぇ~、こんな曲あったんだ』みたいに思われる曲というか。


で、とにかく…


CD借りて初めてまともにその全曲を聴いた曲だったと思うんだけど


この曲のせつない感じ、


ほんとうにそのころの若い自分なら似合う年齢だったんだ、と今は思わされるような曲。


まだ恋愛の似合う若い年齢。


その頃はこの曲を聴いて、色んなそのときの気持ちを味わっていたと思う。


…歳をとったら恋愛しちゃいけないのかというとそういうわけではないけど


本当に好きになったり、ものすごく感傷的になったり…恋愛で大きく感情が動いたり、『人生』が大きく変わりそうに感じたり、なにより明日には何かが変わっているかも知れない、という未知や可能性があったり…。


そういうのはやっぱり、若いときならではのことなんだと思う。


実際のそのころのわたしは、中身があまりにショボくて(今もそうだけど)
情けないくらいショボい恋愛のまねっこ、みたいなことしかできていなかったけれど。


いや、そのまねっこですらろくにできなかったけれど。



ただ、もっと高いものは見つめていたと思う。


今みたいに生活に追われているだけではなく。



…私のただの個人的なイメージや固定観念なのかも知れないけど、いまくらいの年齢になると、誰かのことを好きだと言ってもそれは恋愛よりは人間愛みたいな…なんていうか生活感に満ちたものというか…。


男女の、っていう部分の気持ちは若い頃より強くない気がする。


生活も考えて、現実的に考えていると思う。


今日この曲を聴いて、思ったのです。


この曲を聴き出した若い女性だったころ、恋愛に対してもほかのことについても


もっと生活よりなにか高いものを見ていた気がするし


誰かと別れても自分を大きく変えることも夢見られたし、実際にもうちょっと自分を信じていればできたかも知れないのに、とか


昔は、恋愛も似合う若さを持っていて…若いときならではの美しさや、若いときならではの強い感性も持っていたのに


もうそれは過ぎ去って失ったもので、二度と戻らないものなのね、と。


感性なんかは思い出しても、いまこの歳では似合わない、と思う。


『夏の月』というのは、月以外は誰も見ていないような、ふたりだけしか知らないふたりだけの時間、ふたりだけの関係、というような意味を歌っていますが


そんな風に、もう自分しか知らない若いころの自分や若いころの夢や思い出


それはもう自分の心の中だけの、美化された美しい風景なんだな、と思うと


ほんとうに胸がいたくなる感じです。誰も知らない。
そしてそのまま、現実にはシワシワに老いていく。


現実的に書くと、いまかいてることって、当たり前のことをただのひとりよがりにヒロイン気取りで書いてる気持ちわるい世界だと思うのですが


とても感傷的になって、書きたくなってしまったので書いてみました。


しかしこんなに感傷的になったりしても…


ああ気分が落ち込んで、憂さ憂さするだけだと、困るだけなのよね。


なんかでもちょっと現実逃避…してもいいんだけどし過ぎて現実に戻りたくなくなるとそれは困るから


老けた外見には似合わなくても心の中にはそういう慰めになる美化された世界も持ちつつ


表ではそんな気持ちの悪いものは出さずに、たくましく生きていかにゃいかんのよね。


ただ、今はもうちょっとだけ、感傷にひたっていよう。

だらだら

2015-10-14 20:47:36 | 日記
遠恋もどきさんのことが


急~~~~~~~~に


えらそうなことにもうどうでも…


なんて思うのは



熱が冷めたんどすな。



そしてそれは、



わたしが思いやりのない人間だからなのです。


あー……



というか。



なんか私、底が浅くていいとこないからなんですかね。


こないだの人といい、たまに気晴らしに電話でもかけてやっか、とかとでも思われてるよーな気がすんですが…。



知らないからね。



そんなことしてたら。



な~~~~~んて。



あの人も、大したことのないわたしなんかに声をかけてきたけれど


わたしも相手のどこがいいと思ったんだろう。


まあ…アラフォーでそんな身のほど知らずな思いやりのないことを言ってたら、結局は自分が置き去られてしまって泣くことになるんだろうけどね。



…わたしが人に求めるもの


それはあたたかさ。


つまりそれが自分に欠けているものなのかも。


今日、たまたま姉に会うことがあって会ったんだけど


このひとってほんとう違うなあ。わたしとは。



同じ親から生まれても、ほんと全然違う…。



しかしまあ、わたしがぐだぐだだからこうなるんですかね。



きっとそう。(笑)


↑笑ってる場合か!



でもね。



どっちにしたって。


自分の思ってること話せないと、意味ないよね。


だってそれが、自分なんだから。



相手を傷つけるって意味じゃなくて


本音でしゃべりたい。



結果がよかろうが、わるかろうが。



素でしゃべりたい、と思う。


そしたらどうなるんだろう。


どうなるんだろうね。

そうだな、

2015-10-10 01:24:33 | 日記
と思う。


もう早く寝なきゃなので今日は短く書くけど


今日のTV番組で、ダウンタウンのふたりと坂上忍さんと、ウェンツ瑛士くんとJOYが一緒に呑んで話してるの観て思った。


そう、話のやりとりがすごくよくできる人(←こういう形容の仕方もなんだけど)


芸事で一線にいる人って、こうなんだよね。


厳しいやさしさ、みたいなものというか


薄っぺらくない、要するに偽善がないってことかな


こういう人たちでないと、できない話の回しかたができるんだよね。


生半可なことではこうはいかないやり方というか。


それをしみじみ真面目に書いているわたしは、ほんとうに真面目な、ふつう…いやフツーな人。(←片仮名のほうがよりつまんない感じがするかなと。)


今日、思ったこと。



いつも周りを考えて抑えているわたしだけど、人を傷つけてしまえるほどの怒りだって、ほんとうは出すこともできる。


どんな強いひとにだって、なにも考えなければ、傷つけることはできる。


その善悪は別として。


反面、自分がどれくらいの人間かというと、全く大したことはない。


自分に対してこうあきらめてしまうのはよくないとも思うけど


でもきっと、周りのひともそう。


同じ人間で 同じように感情があり、良い面も悪い面も両方、持っている。


だから簡単にひとを見下してしまうことはできない。


そういうあんたはどうなんだ、ってやつ。


お互いさまなのだ。


わたしがすごいなと思うのは、器が大きい、あたたかい人。


今日のTVで観たような方達は特別、だけど


頭がよくて(賢くて)、もしくは包容力みたいなものがあれば


今日みたいな場面だって、もっと違う風に回していけるはずなんだ。


どうせなら頭を使って、もしくはシンプルに言ったりして


いい方向に回していければなと思う。


ほんと早く寝ないと。

結局そこそこは書いちゃったし。


おやすみなさい。

なんて

2015-10-06 19:46:57 | 日記
すばらしい気候。


秋のいまの夜の空気がすごくいい。


田舎へと帰る電車に乗っています。


その昔、田舎で滅多に電車に乗ることもなかったというわたしは、なんにも知らない田舎の世間知らずな少女だった。


まともなアルバイトすらしたことがなく、夢ばかり見ているような子だった。


そういうわたし。


今もどちらかというとちょっとぼんやりさん。


でもそれなりには働いて、いい歳こいても幼稚なところはなかなか抜けないけれど、それでもなんとか生きている。



そこまで色んな方法も知らないままこの歳まで来てしまったけれど、それでもひとりで暮らして、ときどき電車でこんなふうに田舎に帰っている。



この日記を書く前に、閲覧履歴からふと自分の4年前…正確に言うと4年半くらい前の日記を読んだのだけれど


我ながら、驚いたわ~~~。



4年半くらい前の自分、若い。(←気持ちが。(笑))


そして元気。



この頃でも悩んでいたことはあったと思うんだけど、なんか今より希望がある感じ。(笑)


4年半前、わたしこんなに、元気だったんだ。


いまのわたし。


中年になって、これからどこか伸ばせる部分なんてあるんだろうか、と そのあたりのことでかなり不安を持っている。


世間知らずで若さだけは満ちあふれてたころ


まだ若くて、まだ大丈夫だと思っていた4年半前


いま、歳くってちょっと元気がなくて、これからでもなにかをかえることなんてできるのか?
とちょっとあきらめている部分のある自分。


でもそれは、やっぱりやってみないとわからない、んだよね。


でもやってみたところで、若いころみたいにはいかない歯がゆさ。


能力は下降していくばかりじゃないのか?と思うと、もうなんとも言えない気分にもなるけれど


一度きりの人生、これからだって続いてゆくわけだから


だからもっと、よくなりたい、と思う。


もっと、よくなりたい。