と書くと、『来週のサザエさんは』とかつづきそう。
↑(苦笑)
ひま。
…ひまなんです。
今月中旬からは休みが多くて、今んとこそこまで急いでやんなきゃいけないことも特にないんで、暇なんです。
で、ブログなんか書いちゃってる、と…。
いやーね。
自分の家庭もないし友達もそんなにいないし、特に何かを勉強してるわけでもないから、それで暇、なんだわ。
いま、CDの『STING AT THE MOVIES』を聴いています。
スティングの、映画で使われた曲たちを集めたものだけど…
ずっと以前から聴いているけど、まだ飽きません。ものすごく、いいです。
このCD、最初に出されたものとその最初のものとは入ってる曲をちょびっと変えて新しく出されたものがあるのですが、わたしの聴いているのは最初に出されたもののほう。
これはずーっとむかし、まだわたしが若いころ(いや…そこまで『ずっと昔』でもないかも知れないけど)に買ったもので
いまは都会に出ていってもうここにはいない幼なじみの女友達と、ここの街なかの中古CDを扱っていたお店(個人店だったと思います)に寄って、そのときに買ったものでした。
なつかしいな。
その女友達には、よく誘ってもらってごはんや買い物に出かけてたなあ。
映画とかコンサート、遊びにもよく行っていたし。
よくつるんでいた。
彼女とは、いまでもほんとにごくたまには連絡を取りますが
そのたまの連絡も、いまはわたしのほうが電話をかけることがほとんど。
だから彼女のほうがわたしのことをどう思っているか、実際のところは、わかりません。
彼女と過ごした若いころを振りかえってみて、若い自分って
若いっていっても大人にはなっていたのだし、それにしてはなんて幼くてあほだったのだろう
せめて今くらい考えることができていれば…と思う反面
むかしと今、変わっているつもりで実はそんなに変わっていなかったり、いまのほうがだめになってるところもあるのかな…
と思ったりもするのでした。
今日は、切る切るといいながらまだ切れていないという遠恋もどきさん…から電話がもしかしたらあるかも知れないかなと思ったんだけど
この時間になったら、もうなさそうだな。
と思ったのもあってこれを書いてますが
はあ。
もどきさん、またもう夏まで会わないのかな。
夏に会うことがなかったら、もういい加減に、やめないとね。
もどきさんとは、元々は縁が完全に切れそうなときがありました。
友達に毛がはえたよーな関係だったけれど、ちょっと複雑になって。
えーと…もう7,8年も前のことになるのか、あれ。
そのとき、わたしは自分の容貌が、やっぱりだんだんと歳をとっていくのを
もどきさんに見せることなく、せめてもうちょっとはきれいな思い出のままで完璧に終わらせようと思ってたりしていたのですが
いま結局、まだこんな中途半端なまんま。
今日家に帰って鏡を見て、ふと思ったのです。
トシのわりには若づくりはしているけど
もうわたしもだんだん、枯れてしぼんでいくのだろうな…と。
だんだん、しわが増えてきて、たぶん今年もわずかしか会ってないもどきさんから見たら
かなり疲れちゃったこの上半期、わたしの顔もそのぶん、彼が思ってたよりたぶん老けてるはずで。
まあ顔が全てじゃないけれど
10代・20代や、30代のはじめのころみたいに『これからきれいになる』ような、きれいさがのびていくようなことなんて、ない。
(いや、考えてみたらライザ○プのCMなんかで結構な年齢でもものすごい変貌を遂げられた方たちもいるけれど(笑))
衰えていく容貌をなんとかくい止められないかとごまかしかたを考えてみたり、なんとかよく見せようとあがくのも
もうなんだか。
もどきさんは男前だから、若い子でも見つかるだろうし
わたしが切ってしまうことがすこしは痛手になるのなら、その次に出会ったひととは、すぐにまとまるかも知れないね。
こんなふうにぐだぐだとすることもなく。
なーんて。
…もう『伸びない』って、つまらない。
服を試着するとき、若いころは 違った自分が発見できた。
いろんなものにチャレンジして、新しい自分がどんどん見えていく感じだった。
いまは、似合わないものが圧倒的に、増えてきた。
体型や、外見が年齢を重ねた感じになることで、若くて軽い感じの服は似合わなくなった。
昔はシックに決まった暗い色は、いま着ると老けを増長させる。顔がくすんできたから、昔似合ってた色でも似合わなくなるものがどんどん出てくる。
この歳で『きれい』に見せることは、難しい。
もっと言えば、元々の素材か、生きざまが美しいひとでなければ
『きれい』になんてならない。
昨日もなんだかんだで前向きな言葉でまとめようとしたけれど
ああ。
こういうふうにしか出来なかったんだろうけれど
なんでもっとああできなかったんだろう。
今日はほんとにそういうことを、つくづく考えてしまう。
じゃあこれからなんかしたら、そういうもの(悔いとか)はすこしは減らせるんだろうか。
そううまくいくもんでもないだろうし、やっぱりどうやっても悔いる性格なら悔いるだろう。
どうしたらいいのか
どうしたらしあわせなのか?
考えるより動いたほうが、か?
でも今日は、そのあたりを
ぐねぐねぐねぐね、考えながら眠りについて、すごそうと思います。
また長くなりましたが
…おやすみなさい。
↑(苦笑)
ひま。
…ひまなんです。
今月中旬からは休みが多くて、今んとこそこまで急いでやんなきゃいけないことも特にないんで、暇なんです。
で、ブログなんか書いちゃってる、と…。
いやーね。
自分の家庭もないし友達もそんなにいないし、特に何かを勉強してるわけでもないから、それで暇、なんだわ。
いま、CDの『STING AT THE MOVIES』を聴いています。
スティングの、映画で使われた曲たちを集めたものだけど…
ずっと以前から聴いているけど、まだ飽きません。ものすごく、いいです。
このCD、最初に出されたものとその最初のものとは入ってる曲をちょびっと変えて新しく出されたものがあるのですが、わたしの聴いているのは最初に出されたもののほう。
これはずーっとむかし、まだわたしが若いころ(いや…そこまで『ずっと昔』でもないかも知れないけど)に買ったもので
いまは都会に出ていってもうここにはいない幼なじみの女友達と、ここの街なかの中古CDを扱っていたお店(個人店だったと思います)に寄って、そのときに買ったものでした。
なつかしいな。
その女友達には、よく誘ってもらってごはんや買い物に出かけてたなあ。
映画とかコンサート、遊びにもよく行っていたし。
よくつるんでいた。
彼女とは、いまでもほんとにごくたまには連絡を取りますが
そのたまの連絡も、いまはわたしのほうが電話をかけることがほとんど。
だから彼女のほうがわたしのことをどう思っているか、実際のところは、わかりません。
彼女と過ごした若いころを振りかえってみて、若い自分って
若いっていっても大人にはなっていたのだし、それにしてはなんて幼くてあほだったのだろう
せめて今くらい考えることができていれば…と思う反面
むかしと今、変わっているつもりで実はそんなに変わっていなかったり、いまのほうがだめになってるところもあるのかな…
と思ったりもするのでした。
今日は、切る切るといいながらまだ切れていないという遠恋もどきさん…から電話がもしかしたらあるかも知れないかなと思ったんだけど
この時間になったら、もうなさそうだな。
と思ったのもあってこれを書いてますが
はあ。
もどきさん、またもう夏まで会わないのかな。
夏に会うことがなかったら、もういい加減に、やめないとね。
もどきさんとは、元々は縁が完全に切れそうなときがありました。
友達に毛がはえたよーな関係だったけれど、ちょっと複雑になって。
えーと…もう7,8年も前のことになるのか、あれ。
そのとき、わたしは自分の容貌が、やっぱりだんだんと歳をとっていくのを
もどきさんに見せることなく、せめてもうちょっとはきれいな思い出のままで完璧に終わらせようと思ってたりしていたのですが
いま結局、まだこんな中途半端なまんま。
今日家に帰って鏡を見て、ふと思ったのです。
トシのわりには若づくりはしているけど
もうわたしもだんだん、枯れてしぼんでいくのだろうな…と。
だんだん、しわが増えてきて、たぶん今年もわずかしか会ってないもどきさんから見たら
かなり疲れちゃったこの上半期、わたしの顔もそのぶん、彼が思ってたよりたぶん老けてるはずで。
まあ顔が全てじゃないけれど
10代・20代や、30代のはじめのころみたいに『これからきれいになる』ような、きれいさがのびていくようなことなんて、ない。
(いや、考えてみたらライザ○プのCMなんかで結構な年齢でもものすごい変貌を遂げられた方たちもいるけれど(笑))
衰えていく容貌をなんとかくい止められないかとごまかしかたを考えてみたり、なんとかよく見せようとあがくのも
もうなんだか。
もどきさんは男前だから、若い子でも見つかるだろうし
わたしが切ってしまうことがすこしは痛手になるのなら、その次に出会ったひととは、すぐにまとまるかも知れないね。
こんなふうにぐだぐだとすることもなく。
なーんて。
…もう『伸びない』って、つまらない。
服を試着するとき、若いころは 違った自分が発見できた。
いろんなものにチャレンジして、新しい自分がどんどん見えていく感じだった。
いまは、似合わないものが圧倒的に、増えてきた。
体型や、外見が年齢を重ねた感じになることで、若くて軽い感じの服は似合わなくなった。
昔はシックに決まった暗い色は、いま着ると老けを増長させる。顔がくすんできたから、昔似合ってた色でも似合わなくなるものがどんどん出てくる。
この歳で『きれい』に見せることは、難しい。
もっと言えば、元々の素材か、生きざまが美しいひとでなければ
『きれい』になんてならない。
昨日もなんだかんだで前向きな言葉でまとめようとしたけれど
ああ。
こういうふうにしか出来なかったんだろうけれど
なんでもっとああできなかったんだろう。
今日はほんとにそういうことを、つくづく考えてしまう。
じゃあこれからなんかしたら、そういうもの(悔いとか)はすこしは減らせるんだろうか。
そううまくいくもんでもないだろうし、やっぱりどうやっても悔いる性格なら悔いるだろう。
どうしたらいいのか
どうしたらしあわせなのか?
考えるより動いたほうが、か?
でも今日は、そのあたりを
ぐねぐねぐねぐね、考えながら眠りについて、すごそうと思います。
また長くなりましたが
…おやすみなさい。