ギターマガジン2023年5月号 鮎川誠とトム・ヴァーレインについて

2023-04-15 19:29:47 | Dano Column
ギターマガジン2023年5月号には、今年の1月に相次いで世を去った二人のギタリスト、鮎川誠とトム・ヴァーレインの特集記事が組まれている。

鮎川誠については、大鷹俊一によるバイオグラフィ的な記事が1本と過去にギターマガジンが行ったインタビュー3本の再掲、次いでギターやアンプの機材紹介とディスコグラフィがあり、そして関係のあったミュージシャンたちへのアンケートによって構成されている。インタビューの1本目は1981年、「ピンナップ・ベイビー・ブルース」リリース時のもの、2本目は1993年、ウィルコ・ジョンソンとの「ロンドン・セッション」リリース時のもの、最後3本目として鮎川誠がパンクを語った2018年のものとなっている。これらのインタビューはいずれも興味深いものだが、とりわけ、ブルースへの想いを熱く語った部分が素晴らしい。



鮎川誠のギターについての私の関心は、彼が敬愛していたリンク・レイにあやかってダンエレクトロのギターを所有していたかどうかにあった。先月だったか、復刻版が出た鮎川誠の「60s ロック自伝」の、リンク・レイについて書かれた箇所を見ていたら、そこにダンエレクトロが「三流のギターメーカー」と書かれてあるのを見つけてしまい、悪意はないだろうと思いながらも、今回の機材紹介を見ると、ダンエレクトロ関連では2本所有していたことがわかった。1本目は1986年製のグレコDE-70という、ダンエレクトロ・ショートホーンのコピーモデルで、赤く塗装されているが、この赤は「シーナ・レッド」なのだそうだ。6弦が外されていて、5弦ギターとしての使用が想定されていたようだ。2本目は2002年製のダンエレクトロDC12で、2016年にサンハウスのメンバーだった浦田賢一から贈られたものだとのこと。レコーディングやライブで使用された形跡はないので、あくまでコレクションということなのだろうけども。

トム・ヴァーレインについては、バイオグラフィとディスコグラフィ、ジミー・リップとネルス・クラインへのインタビュー、そして「トム・ヴァーレインが愛したギターたち」で構成されている。

トム・ヴァーレインが亡くなったとき、このブログに記事を書いたが、そこで彼がなぜポール・ヴェルレーヌから名前を取ったのかについて、深い意味はないのではないかと書いたのだったが、十代の頃にリチャード・ヘルとともにデカダンな詩人に憧れていたということからすると、19世紀末の象徴派の詩人の名前には深い意味が生まれてくるし、トムがヴェルレーヌでリチャードがヘルというのも、おそらくヘルは「地獄の季節(A Season in Hell)」のことで、つまりはそれを書いたランボーにつながっていくのではないかと考えられるとすれば、さらに深い意味が生まれてくるではないか。ヴェルレーヌとランボーが破局したのと同様にトムとリチャードも決裂してしまうわけだけども。

ネルス・クラインがインタビューの中で「トム・ヴァーレインはどういうトーンを求めていたのか?」という質問に対して、「トム・ヴァーレインがリップスティック・ピックアップを気に入っていたことに共感している」と言い、「そのクリスタルのように煌びやかでクリアな音色は僕も大好きで、彼もそれを求めていたんだと思う」と答えている。ネルス・クラインも「わかっている」のだな、と思う。



そしてトム・ヴァーレインのギターについてとなるわけだが、ダンエレクトロ関連では3本のギターが紹介されている。1本目は画像は掲載されていなかったものの、初期にはダンエレクトロの4021を使用していたことが記されている。次いで2本目は白のダンエレクトロ・デラックス6036で、これは画像も掲載されているが、その説明に「3つのミニスイッチとマスターボリュームという仕様へと改造が施されていた」とあるのが引っかかる。マスターボリュームの位置は変わっているようだが、これはおそらくミニスイッチに改造したのではなく、ノブが取り外された状態になっただけ、と見るべきなのではないかと思われる。3本目はシルバートーンの1457で、トム・ヴァーレインはこのギターをいつもベッドのそばにおいて、曲作りの時などに使用していたそうだ。このことは知らなかったので、私にとっては新たな発見であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

動画で楽しむDano(413)

2023-03-25 20:34:52 | Dano Movies(洋)
Måneskin - ZITTI E BUONI (Official Video – Sanremo & EUROVISION 2021 Winners)


今から7年ほど前、この「動画で楽しむDano」において、ユーラシア大陸を周遊しながらダンエレクトロ・プレイヤーを探すという企画をやったことがあって、イタリアのミュージシャンたちもいくらかは紹介したのだったが、その頃はこのマネスキン、中学生くらいの子供たちがようやっとバンドを結成したかしないかといったところだったわけで、私が見つけられなかったのも当然のことだったわけだ。

さてこのマネスキン、モーネスキンと表記されることもあるが、どうやらマネスキンに統一しようという動きがあるそうなのでそれに従うが、イタリアのロックバンドである。2021年にサンレモ音楽祭やユーロビジョンで優勝してからイタリアのみならず全世界へ知られるようになり、昨年には初来日もして、日本でも話題になったが、メンバーはまだ20代前半の若いバンドなのである。彼らの音楽性はロックにラップやヒップホップ、レゲエやファンクなどいろいろな様式が混ぜ合わされたもの。

このバンドの女性メンバー、ヴィクトリア・デ・アンジェリカがダンエレクトロのロングホーンベースを複数本所有し愛用していることから、ダンエレクトロがそれまで楽器に興味のなかったような人にまで注目されるようになった様子は、 Twitter の書き込みなどからもうかがい知れたくらいだったので、本来ならもっと早くこのブログで取り上げるべきだったのだろうが、ここ数年は更新を怠けていたので仕方のないところなわけで。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

動画で楽しむDano(412)

2023-03-19 18:06:25 | Dano Movies(洋)
THE CURE - Boys Don't Cry LIVE @ FIB Benicàssim Festival 2005


ザ・キュアーは1978年に結成されたイギリスのバンドで、ポスト・パンクやゴシック・ロックなどと呼ばれるシーンから登場した。スージー&ザ・バンシーズやジョイ・ディヴィジョンとも共通する、暗くて陰鬱な側面を持ちながらも、それとは反対の、明るくポップな側面が同居しているのがザ・キュアーの音楽的な特徴と言えるだろう。

彼らの長い活動歴の中では、当然のことながらメンバーの入れ替わりは激しく、活動開始から一度も脱退していないのは、ロバート・スミスだけである。とはいえ、このロバート・スミスにしても1982年から1984年頃までは、スージー&ザ・バンシーズのメンバーとして活動していたこともあり、いわゆる「バンド存続の危機」といった状況には何度となく直面してきた。しかしながら、それらの危機を乗り越え、いかにもイギリス的といったダークなイメージを持ったバンドとしては世界的、セールス的にも成功し、現在に至っているというところである。

この映像は2005年のライブで「Boys Don't Cry」が演奏されているが、この時期に再加入していたポール・トンプソンがダンエレクトロの56U3を弾いている。この他にもショートホーンのDC12を弾いたりすることもあり、この頃のポール・トンプソンはダンエレクトロをよく使っていたようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年のダンエレクトロ

2023-03-18 11:01:38 | Dano Info


ダンエレクトロの新製品、今回は Divine シリーズの新しいバージョンである。

Divine とは、2、3年ほど前に、ダンエレクトロがオリジナルでいうところの「デラックス」をリイシューしたモデルのことである。「デラックス」というのはその名の通り、化粧板が貼られたメゾナイトをトップ材とし、ボディのエッジにはバインディングが施されるなど、見た目的に高級感が醸し出されるようなつくりとなっているのが特徴であるが、リイシューモデルでは、リップスティック・ピックアップが2基搭載という仕様で、ピックガードなしのタイプにフレイムメイプルとダークウオルナットの2色があり、よりオリジナルに寄せた感じのピックガード付きのタイプにはホワイトの、合わせて3色がある。この Divine が発売されたことは当然知っていたのだが、この Divine と緑のU2をリイシューした JADE 57 についてはブログに紹介記事を書くという作業を怠ってしまった。

今回の新しい Divine の仕様であるが、特徴的なのは3ピックアップとなっていること。オリジナルにも3ピックアップのモデルはあったが、音色の調整はそれぞれのピックアップに付随するトーンとボリュームのコントロールによるもので、音色はそのままに全体の音量を調節するためにはマスターボリュームでという、いささか面倒なものだった。今回のリイシューモデルはストラトキャスターのように5wayのセレクタースイッチで音色を切り替えるようになっている。トーンやボリュームもいつものようなコンセントリックノブではなく、1トーン、1ボリュームとなっている。その他、ナットもいつものようなアルミニウムではなく、ボーンナットとなっているとのこと。

今回の新製品についてもダンエレクトロの公式ウェブサイトにはまだ何もアップされていないが、レッド、ブラック、ブルーメタリック、ダークバーガンディーの4色展開となるそうで、価格は799ドルだそうだ。日本での発売がいつになるかはわからない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デヴィッド・リンドレーとダンエレクトロ

2023-03-04 15:53:46 | Music Life
David Lindley 1982 08 28 Rockpalast


訃報は続く。デヴィッド・リンドレーが死去。ここ数か月間は体調がおもわしくなかったという。78歳だった。

デヴィッド・リンドレーは1944年、カリフォルニアで生まれた。彼の父親は音楽好きで、韓国民謡やインド音楽を含むレコードコレクションを持っているような人だったという。デヴィッドさんも音楽好きで、子どもの頃からフィドルやウクレレ、バンジョーを演奏するようになり、コンテストで何回も優勝するくらいの腕前だったそうだ。

60年代に入ると、フォークリバイバルの流れでクラブに足繫く通うようになったデヴィッドさんは、フラメンコやロシア民謡、インド音楽など様々なワールドミュージックにのめりこむようになる。そういう意味では、デヴィッド・リンドレーは20世紀初頭から民俗学者や音楽学者らによって行われるようになったフィールド・レコーディングによる世界各地での民謡の採集と資料の作成・整理といった活動の成果を自らの血肉としていったのだと言えるだろう。

デヴィッド・リンドレーが最初のバンド「カレイドスコープ」を結成したのは1967年。バンドが解散した後の1970年代は、ジャクソン・ブラウンのギタリストとして活動するとともに、セッション・ミュージシャンとして多方面で活躍、ライ・クーダーと並び称されるスライドギターの名手として脚光を浴びる。1981年には自身のバンド「エル・ラーヨ・エキス(スペイン語で「X線」の意)」を結成、4枚のアルバムを発表した。ロックやカントリー、ブルースにワールド・ミュージックといった様々な音楽要素が混然一体となったユニークなスタイルは高く評価された。

デヴィッドさんは、フィドル、ウクレレ、バンジョー、マンドリン、ギター、スチールギター、ウード、ブズーキ、ワイセンボーンなど数多の弦楽器を演奏するマルチ・インストゥルメンタリストであるが、とりわけ、テスコやダンエレクトロといった50年代、60年代にシルバートーンブランドで通信販売されていたギターを愛用することで界隈でも知られていた。それまでまともな楽器として扱われていなかったこれらのギターに独特な音色の魅力があることを世界に知らしめた彼の功績は大きい。



上の動画はドイツの音楽番組「ロックパラスト」での1982年のライヴであるが、デヴィッドさんは序盤(「She Took Off My Romeos,」「Bye Bye Love」)と中盤(「Twist and Shout」)でシルバートーンの1457、序盤(「Premature」)とアンコール(「Talk to the Lawyer」)でダンエレクトロ・デラックスを弾いている。十何年か前は、曲ごとに分割された動画が上がっていたのだが、今は全部一つなぎになった動画しかないのだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

動画で楽しむDano(411)

2023-03-03 09:45:29 | Dano Movies(洋)
Paul McCartney - Band on the Run (feat. Dave Grohl) (Glastonbury 2022)


グラストンベリー・フェスティバルは1970年に開催された「ビルトン・ポップ・アンド・ブルース・フォーク・フェスティバル」に起源を持つ大規模野外音楽フェスである。2020年と2021年はコロナ禍で開催中止となったが、2022年に2年ぶりに開催となった。

今回のフェスではポール・マッカートニーが出演し、フー・ファイターズのデイヴ・グロールとともに「バンド・オン・ザ・ラン」を演奏した。ここでデイヴ・グロールはシルバートーンの1303を弾いている。デイヴさんはダンエレクトロの4011を弾いている写真もあったりするので、わりとダンエレクトロが好きなのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

動画で楽しむDano(410)

2023-02-24 20:45:13 | Dano Movies(洋)
RATBOYS - "Molly" (Live in Austin, TX 2019) #JAMINTHEVAN


ラットボーイズは2010年、当時ノートルダム大学の学生だったジュリア・スタイナーとデヴィッド・セーガンによって結成された。最初はデュオとして2015年にデビューし、アルバムをリリースした。その後、2016年にデヴィッドと旧知の間柄だったショーン・ノイマンが、翌2017年にはドラムのマーカス・ヌッチョがメンバーに加わり、4人編成のバンドとなり現在に至る。シカゴを拠点に活動している。

彼らの音楽はポスト・カントリーと呼ばれることが多く、カントリーをルーツに持ちながら、オルタナティヴな活動を続けている。この動画ではジュリアがダンエレクトロのDC3を弾いている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

動画で楽しむDano(409)

2023-02-23 14:13:30 | Dano Movies(洋)
Spring Summer - Show Yourself Out


この動画はTwitterのタイムラインに流れてきたもので、そのときまで私はスプリングサマーもジェニファー・ファーチェスもまるで知らなかったわけなのだが。
スプリングサマーはジェニファー・ファーチェスのソロ・プロジェクトで2021年から活動している。彼女はノースカロライナ出身だが、現在はロスを拠点に活動しているとのこと。彼女はまた、フランシス・コッポラの息子で、自身も映像作品の監督やプロデュースをしているロマン・コッポラの奥さんでもある。

この映像では元スマッシング・パンプキンズのジェームス・イハがダンエレクトロのコンヴァーチブルを弾いている。これはオリジナルではなく、リイシューモデルで、サーフグリーンが鮮やか。イハさんはスマパン時代にもPVでダンエレクトロのバリトンギターを弓で弾いたりしていたが、ダンエレクトロがよく似合っていると思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テレヴィジョンのダンエレクトロ

2023-02-03 17:43:19 | Music Life
Television - The Full Ork Loft Tapes, 1974


訃報は続く。トム・ヴァーレインが1月28日に亡くなった。死因は明らかにされていないが、短い闘病の後、仲間たちに見守られながら息を引き取ったという。73歳だった。

トム・ヴァーレインの本名はトーマス・ミラーという。ロバート・ジンマーマンが詩人のディラン・トマスにちなみ名前をボブ・ディランに変えたように、トーマス・ミラーも詩人のポール・ヴェルレーヌにちなみ名前をトム・ヴァーレインに変えた。なぜヴェルレーヌから名前をいただいたのかを私は不明にして知らないのだが、そもそも私は彼がどういった詩人たちから影響を受けたかといったことについても寡聞にして知らないのだった。なので推測にものを言わせるしかないのだが、ジム・モリソンやボブ・ディラン、あるいはパートナーだったパティ・スミスからのつながりでギンズバーグなどのビート・ジェネレーションやアルチュール・ランボオ、シャルル・ボードレール、シュルレアリスムといったあたりから影響を受けた、というのはありそうな気がする。ポール・ヴェルレーヌのことは好きだったかどうかもわからないのだが、名前をいただいたのは、英語読みにしたときの語感や響きが独特なので気に入ったから、くらいのことで、それほど深い意味はなかったのではないかと思われる。だいたい「自分の名前がありきたりだから違う名前にしたい」というのはあまりにも文学青年的な若気の至りという気もするが、そうしたところがトム・ヴァーレインとテレヴィジョンの魅力の一つになっているとも思う。

個人的な話をすると、高校生のころ、たまたま聞いていたラジオから流れてきた「ヴィーナス」がテレヴィジョン、トム・ヴァーレインとの最初の出会いだった。一つ一つの歯車ががっちりと嚙み合うような構築的なアンサンブルとそこから飛び出してくるようなギターフレーズに心を奪われた。すぐにレコードを買おうと思ったが、田舎のレコード店では見つからず、テレヴィジョンを聴きたくても聴けないという、悶々とした日々を過ごすこととなった。今では考えられないが、私の高校時代はこんな感じで、聴きたいものを聴くことができないという飢餓状態が慢性的にあって、「マーキー・ムーン」や「アドヴェンチャー」といったアルバムを手に入れることができたのはずいぶんと後のこと、もう大学生になっていたように記憶している(初CD化がなされた1988年か)。聴きこんでいく間にこのアルバムに関するいろいろな情報が入ってきて、「ヴィーナス」での印象的なギターフレーズが実はリチャード・ロイドによるものだったということを知ったりもしたのだが、アルバム全体を聴いてしまった後はそんな細かいことはもうどうでもよくなっていた。



さて、「ダンエレクトロ研究」なので、トム・ヴァーレイン及びテレヴィジョンメンバーのダンエレクトロとの関わりについて書いておこう。トム・ヴァーレインというとフェンダーのジャズマスターやストラトキャスターを使うことが多いのだが、リップスティックピックアップを気に入っていたようで、彼のストラトキャスターにはリップスティックピックアップが搭載されていたりする。テレヴィジョンの初期にはビグスビーを搭載したダンエレクトロの4021を弾いていたことが、残された写真からわかる。この写真には当時まだメンバーだったリチャード・ヘルがダンエレクトロの3412を弾いている姿も見つけられたりするのだが、これはトムが50ドルで買い、リチャードに押しつけたものと言われている。



このほかにもう一枚、いつの時期なのかはわからないが、トム・ヴァーレインが3ピックアップの白いダンエレクトロ・デラックスを弾いている写真が残っている。しかし、残念ながら彼らがダンエレクトロを弾いている姿は映像には残されておらず、ほとんど唯一だと思われるのが、1974年のテレヴィジョンのリハーサル風景を撮影したものである。その映像ではリチャード・ヘルこそダンエレクトロの3412を弾いているものの、トムは改造したジャガーを弾いているし、リチャード・ロイドはテレキャスターを弾いている。



リチャード・ロイドでついでに書いておけば、彼は「リアルタイム」というライヴアルバムのジャケットにダンエレクトロを抱える自身の肖像画を使っていたりするので、決してダンエレクトロと無縁ではないことがわかる。レコーディングやライヴで使用しているかどうかは定かではないが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高橋幸宏とダンエレクトロ

2023-02-01 18:07:32 | Music Life
高橋幸宏の訃報は突然にやってきた。2020年に脳腫瘍の摘出手術をしたことは知っていたし、以後は治療に専念していたこと、自身の50周年記念ライヴをキャンセルしたことなど、いろいろと聞き及んではいたものの、近いうちに復帰して元気な姿を再び見せてくれるだろうと、今にして思えば意外なほど楽観的に考えていたからだ。彼が亡くなったのは1月11日のこと。誤嚥性肺炎によるもので、70歳だった。

私は直撃世代なので、中学生の頃にYMOばかりを聴いていた時期があった。アルバムをすべて聴くだけでは飽き足らず、テレビ放映されたワールドツアーの映像も食い入るように見たし、FMで放送された彼らのライブもできうる限りチェックし、ちょっとしたアレンジの違いを楽しんだりもした。その頃の私はシンセサイザーの可能性や彼らの音楽が切り開いていく新たな地平といったものに対し、期待に胸をふくらませるばかりだったのだ。しかし、こうした蜜月状態は長くは続かず、「BGM」と「テクノデリック」で終了することとなった。私がYMOを次第に聴かなくなっていったのは、ほんの2年くらいの間に私の好きなものがシンセサイザーからギターへと変わっていき、60年代と70年代のロックに関心が向かっていったためだ。そんなわけなので、直撃世代といいながらも、私には高橋幸宏を悼む資格などないのだろう。ただ、あらゆる文化から絶縁されていた田舎の中学生が当時ヤンキーにならずにいられたのは彼らのおかげであるわけだし、音楽だけでなく、映画や文学、アートといったものへ関心の対象を広げていくことができたのも彼らがそれらの入り口となってくれたからなのだ。その恩は忘れてはいけないと思っている。



高橋幸宏は優れた音楽家であるだけでなく多彩な活動をしていたが、俳優としていくつかの映画に出演した。2009年に公開された「20世紀少年〈最終章〉ぼくらの旗」では唐沢寿明演じる主人公ケンヂのバンド仲間であるビリーを演じた。そこで彼はドラムではなくベースを演奏しているのだが、そのベースがダンエレクトロの DC BASS だったりするのだ。残念ながらこの演奏シーンではほんの一瞬しか映らなかったりするのだが、ダンエレクトロを抱えた高橋幸宏の姿はなかなかに渋い味わいがある。なぜこの演奏シーンでダンエレクトロだったのかを本人に確認することはもうできないが、彼のセンスでダンエレクトロを敢えて選んだのだと思いたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする