勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

行列のできるお店

2008-08-14 00:02:06 | Weblog
 暑い夏が好きな僕にとっても、毎日の暑さに、さすがに食欲も落ちる。そんな時食べたくなるのがうなぎ。我が家から徒歩でも15分ほどで行ける、うなぎの有名なお店がある。先日友人と行った時は日曜日。道路まで並んだ列を見て引き返した。
 このお店、人通りの少ない細い道路に面し、道の向かい側は、高架を電車が走っている。今日、そのお店の前を通ると、炎天下に相変わらずの行列ができていた。ここの人気のひとつに、時期は限られているようだが、天然のうなぎがある。
 注文を受けてからうなぎを捌(さば)くので、待ち時間もたっぷり。並んでいるところに注文をとりにくる。とろけるような柔らかさは、並んでも食べる価値はある。焼き時間を待つ間には、一品料理、うなぎの酢の物“うざく”と、うなぎの卵焼き“う巻き”がお薦め、ビールも進む。

 我が家の近くには、他にも昼時になると行列のできるお店が数件ある。天ぷらで有名なお店は、アナゴの天丼がお薦めらしい。丼からはみ出した大きなアナゴに驚くが、味はいまいち。並んでまで食べようとは思わない。

 更にもう一軒、テレビでも紹介されたという、鮮魚店が経営する食事処。お薦めの海鮮丼を食べて驚いた。丼に山に盛られたなまものの下から出てきたのは、にぎり寿司。余りものが乗っているかと思ったが、聞くところによるとそれがサービスで、人気のひとつだという。味はというと、その日一日、口の中に残ったなまものの味で、気持ちが悪かった。いまも毎日店の前を通るが、相変わらず行列ができている。不思議である。行列と味は、時には別物のようだ。

籠の鳥

2008-08-13 00:16:44 | Weblog
 我が家のピーチャン(元の飼い主が呼んでいたであろう名前で呼んでいたので、そう名付けた)は、3日前に届いた白い館で一夜を過ごした。
 朝になると館から出て、そのほとんどを僕の肩の上で過ごす。言葉にならない言葉をペチャクチャと喋り、鳴き声はピーチャンと言っているようだ。

 掃除機を掛けるときも肩から降りない。僕の身体がどんなに動こうが、上手くバランスをとり、肩から肩にトコトコと移動し、腰をかがめると背中に移って鳴く。

 食事をするときも、そばに来て興味深そうに覗き込む。仕方なく籠に入れようと手を差し出すと、横歩きで逃げて行く。無理やり籠に入れるのはかわいそう。

 キッチンで水道をひねると、喜び勇んで水を飲む。肩に乗ったままトイレも一緒。PCの前に座ると、首筋や耳たぶをくちばしでつつきながら、ブツブツと何か言っている。

 夜になるといつものシャンデリアに飛び移る。そこがねぐらと決めているようだ。白い館は一夜を過ごしたきり、空き家になった。

 朝、ピーチャンの呼ぶ声で目が覚める。僕を見つけるや否や、一目散に飛んでくる。こんなに可愛い子が、身をゆだね心を許してくれるなら、人であろうが鳥であろうが、命をかけて護りたくなるのが男心。ちっぽけな男心は籠の鳥になってしまった。

有言実行

2008-08-11 21:19:16 | Weblog
 北島康介が泣いた。100メートル平泳ぎで、世界新記録で金メダルを獲得した北島康介選手。 インタビューを受け、タオルで顔を覆ってしばしうつむいた。そのタオルから顔をあげたとき、彼の目には涙が光っていた。
 寡黙な男が『不言実行』、黙々と何かを成し遂げ大きな結果を出す。カッコいい生き方のひとつである。

 しかし、俺はやるぞ、と言ってその通りの結果を出す。ひとつ間違えれば、『大言壮語』にもなりかねないが、北島選手はそれを実行してきた。彼の精神力の強さに敬意と驚異さえ感じていた。そんな男が泣いた。

 はかり知れない重圧と期待に、押しつぶされそうになったこともあるだろう。そんな姿は微塵も感じさせず、ただひたすらトップを目指す。そして見事に勝ち取った金メダル。『有言実行』の、カッコいい生き方の男が首に掛けた、輝かしい色のメダルは、ずっしりと重く、そして心地良い重さでもあるだろう。

 不言実行は誰にでもできるカッコよさだが、有言実行は真の強さを持つものにだけできるカッコよさである。

おめでとう、北島康介選手!

介護

2008-08-10 23:58:33 | Weblog
65歳の誕生日を過ぎて、あまり嬉しくない郵便物が届いた。
 介護保険制度は、2000年4月1日から施行された社会保険制度だそうだが、その内容は良く知らない。満40歳以上の者が被保険者となり、65歳以上を第1号被保険者、40歳から65歳未満の医療保険加入者を第2号被保険者というらしい。
 この被保険者証が届いて間もなく、介護保険料の納付書も送られてきた。説明によると、僕は第1号被保険者になる。安くない保険料を払わなければならないようだが、突然年寄り扱いされたようで嬉しくない。この制度を利用しないですめばよいが・・・。

貼り紙

2008-08-09 23:11:27 | Weblog
 いままで気にも留めず見過ごしていた、公園や道路の貼り紙。可愛い迷い鳥が訪れてから気になって仕方がない。
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貼り紙を見ただけでドキッとする(マウスオンでどうぞ)
 
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ましてや「探しています」などという文字には身が縮む思い
(マウスオンで・・・)

そして、とうとう見つけてしまった、鳥の絵が描かれた貼り紙

「探しています セキセイインコ」

などと書かれていたらどうしよう、恐る恐る近づいてみる
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マウスオンでご覧ください



ホッ

ホッ

ホッ

ハト ホッ ホッ


小さな恋人

2008-08-08 21:35:24 | Weblog
3日前、突然我が家を訪れた小さな訪問者は、忽ち僕の心を虜にした。
 我が家に来たそのときは、しばらく遊んだら飛び去るだろうと思っていた。しかし、その美しさと、人懐っこさ、可愛い仕草、そのどれもが愛らしく、鳴き声までもが僕に話しかけているようだ。

 扇風機の上がお気に入り。部屋から出て行く気配は全くない。飼い主は血眼で探しているだろう。飼い主が見つかるまで預かることにした。

 早速小鳥の餌を買いに行く。数件の店を探して、やっと見つかった。鳥かごも見たが、僕のイメージするものがない。心は我が家で飼うと決めている。

 PCの前に座ると、どこにいても必ず飛んできて肩に止まる。1時間でも2時間でも肩から離れない。そこに居ることを忘れて探すことも度々。そっと肩に手をやると、チッ、チィー!と話しかけてくる。キッチンに立つときも、必ず飛んで来て、肩に止まるので火を使えない。

 こんな可愛い子を、どうして手放すことが出来ようか。今日、ネットで真っ白なドーム型の鳥かごを見つけた。早速注文したが、僕の心がこの子に囚われてしまいそう。

再会

2008-08-07 11:13:58 | Weblog
 数日前のこと、あまり鳴らない家の電話が鳴った。ナンバーディスプレーの表示は番号だけ。名前を登録していない番号である。

「藤さんですよね?」と、女性の声。
「はい、そうですが」 
仕事の名前で言われたということは、お客様・・・?
「私・・・、わかるかしら?」 
ん?聞き覚えのある声だぞ・・・!
頭の中の記憶の回路がぐるぐる回る。
「ちょっと待って、思い出すから・・・」

 しかし、女性の場合うっかり名前を言えない。間違えたら言われる。「どうせ、そうでしょうよ!」なんて・・・♪ 若い頃、それで苦い経験がある。思い出せそうで思い出せない。降参した。

「○○です、ご無沙汰しています」
昔のお客様である。何年ぶりだろうか、20年近くは経っている。
「私、もう83歳になるのよ」


 びっくりしたが、懐かしい話に花が咲いた。足を悪くしているのでいまは踊れないが、元気だという。そして再会を約束した。次の日、また別の人から電話があった。

「私・・・わかる?」
またまた聞き覚えのある女性の声。昨日のこともあるので、
「思い出すから、名前を言わないで・・・、そのまま話しましょう」
と言って二言三言
「スーさん?」
「そうよ~、スーさんよ」

失礼だが、もう亡くなったと思っていた。
「びっくりしたでしょう?私、生きてるのよ。いくつだと思う?91歳よ」
「エェ~!元気な声だねぇ~!」
「元気よ、足も悪くないわよ」

 先日のブログでお話した、「私から見れば、65歳はハナタレ小僧よ」と言われた彼女である。彼女との会話は、20数年は経っているだろう。二日続けての驚きは、知り合い同士の二人が連絡し合ってのことだという。涼しくなったら3人で逢う約束をした。

 何よりも嬉しいのは、20年以上の月日が過ぎても、思い出して逢いたいと言ってくれた事。その日が来るのが楽しみである。僕も負けてはいられないぞ~♪

珍客

2008-08-06 01:38:36 | Weblog
 昼頃、突然空がくもり大粒の雨が落ちはじめた。遠くから雷鳴が響いてくる。そのとき、ベランダから鳥の鳴き声。見ると椿の枝に美しい一羽のインコ。
 そっとカメラを構える。シャッターの音と同時にフラッシュが光る。しかし驚いた様子もなく、平然と毛づくろいをしている。

 しばしの毛づくろいが終ると羽を広げ、開け放した窓から部屋に飛び込んできた。少しも怖がる様子はない。

 部屋の隅々まで探険をしながら、鏡の前で不思議そうに自分の姿を見つめている。

 やがて僕のそばに来ると、人懐っこい顔で僕を見上げた。手を出すとうれしそうに手のひらに乗ってくる。腕を渡り肩に乗るとチー・チー・チューン、と鳴いた。可愛い仕草に心が和む。外に出る気配は全くない。僕がキッチンに行けば、暖簾をくぐって飛び込んできて肩に止まる。

 お腹を空かしているようだ。茹でたとうもろこしをテーブルに置くと、美味しそうに食べはじめた。よほどお腹を空かしていたのだろう、食べては僕の肩に飛んでくる、そして遊んではまた食べる。可愛さが増してくる。

 人馴れしたインコ、どこかで飼われていたのに、迷子になったのか?仕事に行く時間が過ぎてしまった。しばし遊ばせたら外に放してやろうと思っていた。数時間一緒に遊んでいるうちに、飼い主のところに帰れなかったら生きて行けるだろうか、と思うようになった。あまりの可愛さに、本当は別れたくなかったのだ。

 部屋の窓を閉め、電気を消して仕事に行った。暑くないようにと、一箇所だけ出窓を開け、レースのカーテンを閉めた。仕事から急いで帰って部屋の電気をつけるが、何の気配もない。部屋中を探すがどこにも見当たらない。逃げて行ってしまったのだろうか。

 がっかりしていると、どこからか羽ばたく音。見上げると、シャンデリアの上ですましている。ホッとすると同時に、さてこれからどうしようかと考える。

PEACE

2008-08-04 22:08:15 | Weblog
 慶應義塾大学看護医療学部に招かれて、終末医療についての話をさせていただいた。医療・保険・看護の分野で国際貢献をしたいと考える、慶應義塾大学看護医療学部生が集まる、国際協力研究会PEACEのメンバー同士の自主的な勉強会での、僕の体験談である。 

 我がブログでも、過去に何度か取り上げたこともあるが、「在宅ホスピス」という新しい分野で活躍され、「ホームケアクリニック・川越」の代表者でもある、お世話になった川越 厚先生からの依頼であった。

 今年のメモルの集いには、出席する返事を出していたのだが、風邪をひいてしまい、参加できなかった。このPEACEの会のリーダーが、「ホームケアークリニック・川越」でボランティア活動をしているという。
 今日の勉強会は、当初10人ほどと言われていたが、会のリーダーを含めた男子3名と女子14名、あわせて17名の学生さんが集まってくれた。

 僕の「在宅ホスピス」の体験談と、質疑応答、そしてグループ毎のディスカッションの3時間は、またたく間に過ぎた。自分の考えのすべてを伝えるのは難しい。彼らの役に立つことが出来たかどうかは疑問だが、真剣に耳を傾け、時には涙して聞いてくれた彼らに感謝したい。

 このブログを投稿しようとしたいま、22時05分、リーダーからの電話で、出席した皆さんが大変喜んでくれたということを告げられた。ちょっとうれしい。

青春

2008-08-03 22:55:58 | Weblog
 季節は巡る。一年には四季があり、暑い夏も、寒い冬も、来年またやってくる。

 人生にも四季があるという。青春、朱夏、白秋、玄冬と分け、人は皆いずれかの季節をいま生きている。しかし、人生の四季は一度限り、再び訪れることはない。

 今日、僕は65年の人生を生きてきたことになる。長いような短いような、過ぎてしまえばあっという間。この歳まで生きられたことに感謝しよう。いまの僕は、朱夏はとうに過ぎ、白秋か玄冬か。

 昨日、91歳になるかたから電話をいただいた。二十数年ぶりである。「私から言わせてもらえば、65歳なんてハナタレ小僧よ」そう言われた。

 29歳の若さで生涯を終えた吉田松陰は、人はいくつで死んでもその人の四季を生きて死ぬのだ、と言っていると聞いた。

◇ 青春 ◇

-サミュエル・ウルマン-

「青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相をいうのだ」

 優れた想像力、逞しき意思、炎(も)ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却(しりぞ)ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春というのだ。

 年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月はしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。

中略

「人は信念と共に若く 疑念と共に老ゆる」
「人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる」
「希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる」

ー訳・岡田義夫さん-

 人は生まれ、育ち、老い、そして死ぬ。それが運命(さだめ)である。いくつまで生きたかではなく、どのように生きたかが問題だ。僕なりの人生を生きてきただろうか?いま、自問自答してみる。

「青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相をいうのだ」

いま、僕はかなり青春だ。ちょっとボケた青春ではあるが♪
 

不忍池

2008-08-02 19:01:48 | Weblog
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上野不忍池では蓮の花が見頃を迎えている。(マウスオンで画像が止まります)

東の空が白みはじめる午前5時、池を埋め尽くした蓮が夜明けと共に目を覚ます。

 あちらでポン、こちらでポン。音を立てて花開くと思いきや、どこからも音は聞こえてこない。

この池に40年通うという人も、一度も音は聞いたことがないという。

 静かだった池の周囲は、いつの間にかアマチュアカメラマンが取り囲む。そういう僕も同じ穴の狢(むじな)、いや、たぬき親父。

長いキャリアとこだわりをうかがわせる、いまどき珍しいこんなカメラを構える人もいる。
 
不忍池の朝は、極楽浄土のようでもあった。

ダンス

2008-08-01 10:39:43 | Weblog
 ワイドショーによると、関西のあるダンス教師が、わいせつ罪で逮捕されたという。教え子の少女の身体を触るなどのわいせつ行為をしたという。ダンスを教えているときではない。プライベートの時間にである。ダンスを生業(なりわい)にしている僕としては看過できない。
社交ダンスには、ジュブナイルクラスという、子供たちによる競技会もある。

 ダンスを教えるとき、必然として太ももや、お尻に手を触れることがある。僕がダンスを始めたのは20代の半ば頃、ライセンスを取得するために通った教室の男性の教師、女性に教えながら身体に触れるときは、必ず「ごめんなさい」とか「失礼」という言葉と使っていた。今、僕はそれを見習っている。

 世の中には自分の職業や地位・立場を利用して悪事を犯す輩(やから)が多い。そんな輩のために、その職業の人が皆同じように思われてしまう。

 ダンスホールで働く僕、昔、何かにつけ「どうせ水商売の男だから」というお客様がいた。僕は言った「職業でその人の人格を判断しないでくれ、僕自身を見てその結果、あなたが考えるような人間ならば、それでいい。しかし水商売の男だから・・・、という言い方は止めてくれ」と言ったことがある。

 男と女が組み合って踊る社交ダンス。互いの心が通じあわなければ、上手く楽しく踊ることは出来ない。ダンスは娯楽でもあるが、スポーツでもある。ダンスを始めた方はお洒落にも磨きがかかり、特に女性は輝きを増す。健康のためにも、節度を守って楽しいダンスを踊って欲しい。