私は、さっそく、彼女の服の上から、彼女の、胸、や、尻、を触りました。
女の体に触れるのは、3年ぶり、でした。
彼女は、早く、脱ぎたそうな、様子でしたが、
「待って」
と、私は言って、彼女が脱ぐのを制しました。
私は、しばし、彼女の服の上から、隆起した胸、や、尻、や、太腿、を触りました。
(ああ。これが女の体だ。柔らかい。温かい)
と、私は、鼻息を荒くしながら、彼女の体を、服の上から、痴漢のように触りました。
「脱いでいい?」
彼女が聞きました。
「うん」
十分、触って、痴漢の楽しみを、味わったので、私は、彼女が脱ぐのを許可しました。
彼女は、上着を脱いで、スカート、も、脱ぎました。
ブラジャー、と、パンティー、だけになった所で、私は、また、彼女の体を触りました。
彼女の、パンティー、は、Tバックで、尻は、ほとんど、丸見えでした。
(ああ。これが女の体だ。柔らかい。温かい)
と、私は、鼻息を荒くしながら、彼女の肌を、触って楽みました。
(女の体とは、こんなに、柔らかいものだったのか)
と、私は、あらためて、気づかされたような思いでした。
彼女は、パンティーを脱ぎました。
パンティー、の下は、きれいに、毛が剃って、ありました。
私は、興奮しました。
私は、女の恥肉をつまんで揉みました。
私は、ビキニ姿の女の写真を見ている時、パンティー、の、恥肉の盛り上がり、に、最も興奮します。
しかし、女は、恥肉の盛り上がり、を、触られても、感じないらしい、ことを、私は、経験で知っていました。
女は、恥肉の下の、性器、を、触られると、感じるのです。
恥肉は、女にとっては、性感帯では、ないらしいようなのです。
私は、立って、片手で、彼女の恥肉、や、尻、を、触りながら、片手で、乳房を揉み、そして、彼女の口に、自分の唇を触れさせました。
しばしして。
「風呂に入ろう」
「うん」
と、なって、二人で、風呂に入りました。
私は、彼女を、後ろから、抱くようにして、風呂に入りました。
彼女の背後から、片手で、彼女の乳房を揉んだり、乳首を、コリコリさせたりして、もう一方の手で、彼女の性器を、探りあて、指を入れました。
湯、が、潤滑油の役割り、を、はたして、抵抗なく、指を入れることが出来ました。
私は、思うさま、女の体を、楽しもう、と思いました。
しかし、性器に指を入れても、私は、何も感じませんでした。
今度は、彼女の体を、私の方に向かせ、キスしました。
唇が触れ合うと、私は、彼女の口の中に、舌を入れました。
すると、彼女も、舌を出してきました。
そして、お互いの、舌と舌を、からめあいました。
「もう出よう」
「うん」
と、なって、二人で、風呂から出ました。
その後は、ベッドに、二人して、乗りました。
「電気、暗くする?」
彼女が聞きました。
「いや。明るい方がいい」
私は、女の体を、とことん、見たかったので、そう言いました。
一応、マッサージ、ということになっているので、彼女は、
「うつ伏せになって」
と言いました。
「うん」
私は、一応、マッサージ、ということになっている手前、うつ伏せになりました。
「どこが、凝っていますか?」
「全身」
彼女は、裸の私を、マッサージし出しました。
彼女の、マッサージ、の技術は、まあ、上手でした。
彼女は、私の、足、から、太腿、尻、へと、マッサージ、していきました。
片足をマッサージすると、もう一方の足を、彼女は、マッサージ、しました。
私は、グラビアアイドルが、とる、セクシーポーズのように、膝を立て、尻を高く持ち上げました。
ことさら、尻の穴、や、おちんちん、や、金玉、を、見せたかったからです。
彼女は、私の、尻、を、指先で、サワサワしたり、勃起した、おちんちん、を、しごいたりしました。
尻の割れ目、も、彼女は、スー、と、なぞってくれました。
私は、滝川ミカさん、以来、久しぶりに、回春マッサージ、を、受けました。
ですが、うつ伏せ、だと、彼女の、顔も、体も見えません。
私は、女の体を、とくと見て、思うさま、触りたかったので、
「じゃあ。寝て。今度は、僕が、マッサージ、するよ」
と、言いました。
「はい」
彼女は、私の言うことは、何でも、きいてくれました。
彼女は、ベッドの上で、うつ伏せになりました。
マッサージする、と言った手前、私は、一応、彼女の体を、足、から、脹脛、尻、腰、背中、肩、腕、と、急いで、マッサージ、していきました。
そして、今度は、
「仰向けになって」
と言って、彼女を、仰向けにさせました。
私は、仰向けになった、彼女を、足、から、太腿、腹、乳房、肩、腕、と、急いで、マッサージ、していきました。
そして、私は、彼女の足の裏を、私の頬、や、口、や、目、に、押し当てました。
そして、足指を、一本、一本、口に含んで、舐めました。
私は、仰向けに寝ている、彼女の足、を大きく開いて、尻の穴、や、尻の割れ目、や、性器の割れ目、を、網膜に焼きつけるように、しっかりと、見ました。
(女の体は、こうなっているんだ)
と、あらためて、思い知らされた思いでした。
私は、片手で、恥肉を、揉みながら、片手で、乳房を揉み、そして、キスしました。
唇が触れ合うと、私は、彼女の口の中に、舌を入れました。
すると、彼女も、舌を出してきました。
そして、お互いの、舌と舌を、からめあいました。
彼女が、私を受け入れてくれている、ことは、明らかでした。
私は、女と、ペッティングしても、何も感じません。
女を、気持ちよくするために、精一杯、奉仕しているようで、別に、それでも、全く構わないのですが、彼女は、喘ぎ声を出さないので、それが残念でした。
私は、彼女を、気持ちよくさせるため、指を、女の性器の穴に入れました。
私は、女の、小陰唇が、鶏冠のようで、嫌いでした。
性器に指を入れて、いると、少し、濡れてきました。
彼女が、反応してくれると、こっちも、やりがい、が、あります。
私は、彼女に、顔面騎乗させたり、69の態勢をとったり、私が、仰向けに、ベッドに、寝て、彼女を、私の体の上に乗せて、抱きしめたりと、あらゆる、態勢で、女の体、を、味わい尽くしました。
時計を見ると、10時50分になっていました。
彼女は、気持ちがいいのか、おっとりした性格からなのか、「もう、そろそろ、時間です」、とは、言い出しませんでした。
しかし、11時になれば、店の方から、電話してくるでしょうから、
「じゃあ、風呂に入ろう」
と、言って、また、最初のように、二人で、風呂に、入りました。
私が、彼女の背後に座って、彼女を、後ろから、抱くように、して。
彼女の背後から、片手で、彼女の乳房を揉んだり、乳首を、コリコリさせたりして、もう一方の手で、彼女の性器を、探りあて、指を入れました。
「もう、出よう」
「はい」
となって、私と彼女は、風呂から出ました。
彼女と私は、服を着ました。
ちょうど、その時、彼女の携帯電話が、ピピピッ、と、鳴りました。
彼女は、携帯をとりました。
「はい。詩織です」
私には、相手の声は、聞こえませんが、店からの、「もう、時間、で、終わり」、を告げる電話でしょう。
「はい。わかりました」
と、彼女は、携帯の相手に言いました。
私と、彼女は、ホテルを出ました。
ホテルの前には、エステ店、からの、彼女を迎える、車が来ていました。
「さようなら」
と私が言うと、彼女は、
「また、来て下さいね」
と言いました。
私は、彼女と、別れました。
私は、車で、高速道路を飛ばして、家に帰りました。
〇
家に帰って、布団の上に入っても、興奮は、続きました。
ペッティングしていた時、私は、何も感じませんでした。
「何も」、とまでは、言いませんが、私は、女との、セックス、に、快感を感じられません。
フェラチオされても、何も感じませんし、むしろ、そんな、汚い所を女が、舐める、ことなど、女が、可哀想に思えてしまいます。
私にとって、セックスとは、男が、一方的に、女の性感帯を、刺激して、女を、喜ばす、ことなのです。
それでも、全く、構わないのですが、女が、喘ぎ声、を、出して、反応してくれると、嬉しいのですが、反応してくれないと、さびしい、のです。
それは、小説創作でも、全く同じで、「読者を楽しませよう」、という思いで、小説を書いても、読者に、「つまらない」、と、言われると、さびしく、「面白い」、と言われると、「嬉しい」、心理と同じです。
幸い、今まで、私の書いてきた小説を、人に読んでもらって、「つまらない」、と、言われたことは、ありませんが。
太宰治も、「小説とは、読者を、面白がらせる、サービスである」、と言っています。
私は、セックスしていても、おちんちん、を、女の、まんこ、に、入れたい、という気持ちが、起こりません。
そんなことをして、何が楽しいのか、さっぱり、わかりません。
エロ動画を見ていても、ペッティング、なら、まだ、許せるのですが、「本番」、の「挿入」の、シーン、になると、とたんに、萎えてしまいます。
見たくも、なくなるのです。
これは、セックスの、やり方の嗜好、好みの行為、などというものではなく、私という人間に、深く根ざした、心理であり、私の人格、であり、私の思想です。
セックスにおける、「本番」、の「挿入」、とは、「子供(人間)を産む行為」、であり、私は、「子供(人間)を産む行為」、を、素直に、喜べないのです。
それどころか、私は、人間を産む、という、行為、を、嫌っているのです。
「人間なんて、この世に生まれて来ない方がいい」、と、私は思っているのです。
それは、私が、生きていて、辛いからです。
ですから、他人を見ても、生きることが、辛そうに、思えてしまうのです。
〇
私は、物心つく、3歳の頃から、喘息が発症し、いつも、発作が出るのに、おびえ、吸入薬(β2刺激薬)、を、いつ、いかなる時も、手放せず、アレルギーで、いつも、季節の変わり目には、悩まされて、いました。
アレルギー性鼻炎で、いつも、鼻水が出て、鼻をかまなくては、なりませんでした。
小学校、中学校、と、顔をけなされ続けました。
20歳になると、過敏性腸症候群が発症しました。
これは、非常に辛い、けいれん性便秘、で、視床下部、が、滅茶苦茶になっているので、それによる、自律神経失調症、不眠症、うつ病、で、体が壊れてしまっているので、毎日が、不眠、と、便秘、との闘いです。
大学は医学部に入りましたが、大学4年の冬、体調が悪化して、休学しました。
大学3年の時、「小説家になろう」、と、やっと、自分が、本当に、やりたい事を見つけることが、出来ましたが、健康状態が悪いので、なかなか、創作が、進みません。
まだ、現時点で、151作、しか、書いていません。
海外に行ってみたい、と思っても、不眠、と、便秘、に対応するために、水泳、と、筋トレ、と、ランニング、をしなくては、不眠、と、便秘、が、どんどん、悪化していきますから、出来ません。
10年前に、ハワイに、一週間、行ったことがありますが、一週間、が、限度でした。
このような自分の苦しみ、など、書きたくはないのですが、私が、「人間なんて、この世に生まれて来ない方がいい」、と、思っている理由を、述べるためには、仕方がありません。
私は、心配性なので、自分が、生きているのが辛いので、他人に対しても、悲観的に、見てしまうのです。
しかし、「人間なんて、この世に生まれて来ない方がいい」、と言い切ってしまうと、人類は、滅びてしまいます。
なので、容貌が悪くなく、持病が無く、健康で、生きがい、が、あって、幸せな人生が送れる、という、保証のある人なら、生まれてきても、いい、と、思っているのです。
しかし、そんな、保証など、生まれる前には、ありません。
生まれた後でも、ありません。
それと、容貌が悪くなく、持病が無く、健康で、あっても、交通事故で、車で人身事故を起こしたり、あるいは、その逆で、車にはねられて、半身不随になってしまったり、豪雨災害などの、天災で、妻も、娘も、家も、仕事も、全て失ってしまう、可能性だってあるのです。
妊娠すると、「めでたい。めでたい」、と言っている世間の人間を見ると、私は、彼らは、能天気な人間だな、と思ってしまいます。
しかし。
久しぶりに、女を抱いたことによって、長く、たまっていた、欲求不満が、解消されました。
しかし、私は、
「小説家は、現実に、触れ過ぎてはいけないし、触れなさ過ぎてもいけない」
と、思っています。
小説家は、欲求不満があるから、小説が書ける、のだと思っています。
彼女が、いないから、恋愛小説、が書けるのです。
憧れの女性がいるのに、告白できないから、小説が書けるのだと思います。
実人生に、不満があるから、小説が、書けるのだと思います。
絵画、や、写真、で、考えると、それは、明らかです。
憧れの女性だから、その女性の写真を、見て、興奮し、喜びが起こるのです。
憧れの女性だからこそ、その女性を、スケッチしたい、と思うのです。
もし、憧れの女性と、めでたく結婚することが、出来てしまったら、どうなるでしょうか?
「結婚する」、ということは、「その女性を完全に手に入れた」、ということであり、「その女性の、全てを知ることが出来た」、ということです。
自分の妻の写真を見て、喜ぶ夫、などいるでしょうか?
目前に実物がいる、というのに。
自分の妻の、所有物に対する、フェティシズムなどが、起こるでしょうか?
「人間は知らないことだけに、価値があって、知ってしまったことは、何の役にも立たない」
と、ゲーテは、言っています。
劇画原作者の真樹日佐夫も、「作家なんて、みんな、無い物ねだり」、と言っています。
つまり、手に入れたいけれど、手に入れられない、欲求不満が、小説創作の原動力なのです。
つまり。
「手に入れたい物を手に入れてしまうと、夢であったものが、夢でなくなってしまう」
のだと思います。
しかし、それと同時に。
あまりにも、現実と関わらないで、想像力のみに頼って、小説を書いていると、主人公、や、登場人物、が、空想的な、空々しい、ものとなり、小説が、空々しい架空の、お話、になってしまう、危険もあると思います。
ドイツを舞台にした、小説を書くには、自分が、ドイツに行って、ドイツの、空気に触れ、ドイツの人々、や、景色、雰囲気、を、肌で、感じることが、どうしても必要なのです。
菊池寛が、言っているように、「小説家は、現実と関わる」、という体験、が、必要なのだと思います。
なので、私は、
「小説家は、現実に、触れ過ぎてはいけないし、触れなさ過ぎてもいけない」
と、思っています。
今回、久しぶりに、女の体を、触れたことは、私の心にも、大きな、影響をおよぼしました。
良い面と、悪い面、の、両方があります。
良い面を言うと。
世の男たち、は、女と、セックスを、いつも、楽しんでいるのに、私は、出来ない、という、欲求不満が、解消されたことです。
女を、写真だけで、見ていて、女の体が、大理石のような、感覚に陥ってしまっていた、のに、現実の女を、触ったことで、女の体が、柔らかいことを、久しぶりに、実感できたことです。
激しく興奮して、性欲も、高まりました。
悪い面を言うと。
女の性器、(醜い小陰唇)、を、まじまじと見てしまったことで、女に対して、幻滅してしまった、ことです。
女の性器の構造は、どの女も、同じなので、憧れていた、女性、(女子アナ、や、女優、モデル、グラビアアイドル)、その他、全ての、女一般に対して、彼女らも、美しい、スカートの中の下着の中、や、ビキニの、美しい、盛り上がりの中には、あの、醜い、鶏冠のような、小陰唇、が、あるのかと、思うと、幻滅してしまうことです。
哲学者のジョージ・バタイユ、が、「至高性。呪われた部分」、と、言っているように、女の性器は、醜い物です。
醜いから、下着、や、ビキニ、で、隠さなくてはならないのです。
もし、女の性器、が、美しいもの、だったら、隠す必要はありません。
美しいものだったら、女は、人に見せようとします。
私は、女の性器を見て、女一般に対して、幻滅してしまいました。
写真に撮られた、美しい女たちは、醜い小陰唇を、隠しています。
写真は、カメラマンによる芸術です。
ビキニ姿なら、どんなに、ビキニが、小さくても、小陰唇は、隠せます。
全裸であっても、太腿を閉じることで、小陰唇は、隠せます。
そして、写真の中の女達は、そうして、性器を隠しています。
SM写真の場合、パイパン(無毛)、に、股縄をする場合、股縄は、女の股間を責めるものですが、股縄によって、結果として、女の、股間、は、隠れます。
あるいは、大きく股を、開かされている姿も、ありますが、そういう場合、わざと、性器の前に、布、や、酒徳利、を置いたり、女に、太腿を閉じさせて、恥じらいの格好をさせたり、褌を履かせたり、して、女が性器を見られないようにしている、恥じらい、の格好をさせます。
あるいは、大きく股を、開かされている姿の場合でも、カメラを、性器が、見えない位置から撮ったりしています。
それが、エロチックなのです。
写真を見る人たちは、性器、が、見えそうで、見えない女の裸体に、「もどかしさ」、を感じて、興奮するのです。
あるいは、大きく股を、開かされている姿でも、大陰唇、の割れ目、が、しっかりと、閉じられていれば、エロチックなのです。
大きく股を、開いて、自分で、小陰唇を、広げて、膣前庭を、見せたり、あるいは、小陰唇が、広がって、膣前庭、まで、見えてしまう、写真は、幻滅なのです。
しかし、小陰唇、や、膣前庭まで、見えてしまう、姿であっても、写真の女には、触れることが、出来ません。
なので、小陰唇、や、膣前庭まで、見えてしまう、姿であっても、写真である、という、障壁が、女に、触れられない、という、「もどかしさ」、の、興奮を起こす、のです。
しかし、私は、久しぶりに、女の体を、隅々まで、見てしまったため、写真の女に、現実の女の肌の、柔らかさ、温もり、そして、性器、を、見たり、触ったりしてしまった、思いがして、失望しました。
彼女は、若い子、でしたが、腹が、ポッチャリ、していて、モデルの女は、スレンダー、でいて、胸、や、尻が大きく、彼女の体、とは、違うのではないか、とも、思いました。
しかし、やはり、女の体、の構造は、同じなのです。
私は、女に対する、幻滅の思いが、続くことを、恐れました。
しかし、それは、私の、取り越し苦労でした。
一週間も、すると、また、写真の女たち、が、魅力的に見えてきたのです。
それに、女の肉体を、どんなに、知っても、女の魅力とは、やはり、その女の、心です。
〇
私は、彼女に会った翌日から、また、書きかけの、小説、「回春マッサージ物語」、を、書くことが、出来ました。
小説の中の、エステ嬢、の、女たちは、私の記憶の中で、生きていて、彼女たちの、魅力は、優しさ、であり、美しさ、であり、彼女たちに、弄ばれて、興奮した、体験なのです。
それに、小説は、8月30日(金)、から、書き始めていて、9月12日(木)、の時点では、もう、ラストまで、書いてしまってあります。
あとは、細かい、所を、修正、するだけです。
作品を、書いている時には、「・・・です・・・ます調」、の、「敬体」、で書いていたり、「・・・だ・・・である調」、の、「常体」、で書いていたり、と、バラバラでしたが、「敬体」、で、統一しました。
書いている時は、書きたい、山場、を、念入りに、書いて、前置き、が、雑に、なっている、所が、多くあって、そこを、直します。
そして、この、「修正」、が、私にとっては、苦痛、で、面白くなく、時間も、4、5日、から、1週間も、かかることも、あります。
他の人は、どうか、知りませんが。
私は、プロ作家は、雑誌の、連載小説、を、よく書けるな、と、感心してします。
「小説」、とは。
坂口安吾は、「文学とは、最初の、予定を、はみ出して、勝手に人物が行動していって、思いもよらない、ストーリーに、発展していく所に、文学の創造の面白さ、がある」、と言っています。
安部公房も、同じこと、言っています。
安部公房は、坂口安吾、以上に、激しく、その主張をしていて、安部公房は、
「ストーリーを、始めから、ラストまで、考えて、書いた小説は、全くつまらない」
と、言い切っています。
芥川龍之介、は、「一つの作が出来上るまで」、という、文章の中で、こう言っています。
「大抵は筆を取る前に考えて、その考えた通りに書いて行くのが普通である。その普通というのは主に短いものを書く場合で、長いものになると書いているうちに、作中の人間なり事件なりが予定とは違った発展のしかたをすることが往々ある。そういう風に人物なり事件なりが予定とちがって発展をする場合、ちがった為に作品がよくなるか、わるくなるかは一概に言えないであろうと思う」
芥川龍之介は、全作品、が、ほとんど、短編小説であり、しかも、小説の構想を、書く前に、考え抜いていて、「今回は、このテーマで書こう」、という、知性的で、理詰め、の小説家なので、「小説は、書きながら、ストーリーを、考えていく、方が面白い」、という思いは、あまり、持っていないように思います。
私は、昔、シナリオ教室を、受けたことがあります。
その時、聞いたことで、印象に残っていることがあります。
それは。
「シナリオライターには、二つの、タイプが、あって、倉本聰さんは、ストーリーを、最初から、ラストまで、途中の細かい、設定まて、徹底的に、考えて、ストーリーを、作る。一方、内館牧子さんは、主人公、や、登場人物、の、一人一人の、性格、仕事、家族関係、学歴、趣味、住んでいる場所、など、を、徹底的に、考えて、作り上げる。そうして、大まかな、あらすじ、を、考えて、書き出すけれど、登場人物たちが、勝手に、動いてくれるので、ストーリーが、勝手に、出来あがっていく」
らしいのです。
この場合、内館牧子さんの方が、「文学の、創造、の面白さ」、が、ある作品、ということになると思います。
内館牧子さん、は、脚本も書きますが、小説も、数多く書いていますが、倉本聰さんは、脚本、に専念していて、小説は、書いていない、ということも、関係している、のではないか、と私は思っています。
大体、小説家は、そういう、考えの人の方が、圧倒的に、多いと思います。
それは、それで、私も、賛成するのですが、一つ、問題点もあると、思います。
それは、「こういうふうな小説を書こう」、と、大まかな、イメージで、書き出した小説を、書きながら、書いているうちに、どんどん、新しい、面白い、ストーリーが、思いついて、そっちの、方へ、どんどん、ストーリー、を、変更していくと、確かに、小説は、面白くなると思いますが、そうすると、最初の方で書いた、ストーリー、と、矛盾してくる、ことが、出てくる可能性が、ある、ということです。
ここを、小説家、は、どう、対処しているのでしょうか?
ストーリー、を、変更していく、といっても、「最初の方で書いた、ストーリー、と、矛盾しないように、気をつけながら」、という意識を持ち続けながら、書いているのか、あるいは、ストーリー、に、矛盾が、出来てしまっても、いいや、と、開き直って、書いているのでしょうか?
その、どちらか、だと思います。
あまりにも、矛盾があり過ぎる小説、というものは、文学作品、として、いかがなものか、とも思います。
しかし、雑誌への、連載小説の場合は、それを、まとめて、単行本、として、出版する時に、矛盾点を書き直して、修正すれば、問題はない、と思います。
しかし、専業作家の場合は、忙しくて、そうしている人は、少ないように、思います。
では。
ストーリー、を、変更していく、といっても、「最初の方で書いた、ストーリー、と、矛盾しないように、気をつけながら」、という意識を持ち続けながら、書いている、ということに、なるのではないか、と思われます。
実際の所は、私には、わかりません。
〇
9月26日(木)のことです。
私は、10年前から、ほとんど、毎日、家の近くの、××整形外科医院に、通っています。
電子針、や、低周波電流、ウォーターベッド、などの、整形外科の、治療機器が、自律神経の安定に、効果があるからです。
肩が悪くなってから、××整形外科医院の院長に、行くように、勧められた、藤沢湘南台病院の、スポーツ整形外科に、行きました。
私の、肩は、かなり、治っていたので、行く必要も、感じていませんでした。
しかし、私は、肩の不具合、に、ついて、聞けることは、何でも、聞いておこうと思っていましたので、行きました。
しかし、どうせ、ヤブ医者だろうと、高を括っていました。
案の定、予想通り、ヤブ医者でした。
私が、先生に、
「私は、水泳、と、ランニング、と、筋トレ、を、しています。水泳は、週2回くらいで、筋トレ、も、週2回、くらいです。水泳は、1日、最低4時間は、泳ぎます。多い時では、6時間、泳ぐことも、あります。趣味のためではなく、健康のために、嫌々しているのです。QOL(生活の質)、を上げるために、しているのです」
と、言ったら、先生は、うざったそうな顔つきで、
「一体、何を聞きたいんですか?」
と、聞き返しました。私は、
「今年の夏、肩を痛め、動かせなくなりました。MRIを撮ったら、棘上筋に炎症、が、起こっていました。滑液包に、水も溜まっていました。関節唇の損傷もあります。今は、かなり、回復していますが、これからも、水泳は、続けなくてはなりません。水泳が、けいれん性便秘の改善に一番、いいからです。1日、6時間も、泳ぐような、オーバーワークは、ひかえた方が、いいのでしようか?それとも、肩を、これ以上、痛めないためには、泳ぐ時間を、短くした方が、いいのでしょうか?」
と、聞きました。
すると、先生は、苦虫を噛みつぶしたような顔で、返答に窮していました。
私が何を聞きたいのか、わからなったのでしょう。
それで、
「ちょっと、看護婦さんと、話して」
と、言いました。
私は、別室に、移されて、看護婦さんと、話しました。
私が、
「水泳は、嫌だけれど、しなくては、なりません。水泳が、けいれん性便秘の解消のために、一番、いいからです。しかし、水泳をした後は、少し肩が痛くなります。なので、泳ぐ時間を短くした方が、いいのでしょうか?それとも、いくら泳いでも大丈夫なのでしょうか?」
と、聞きました。すると、看護婦さんは、
「水泳をした後に、肩が痛くなるのなら、水泳をしなければ、いいでは、ないですか?」
と言いました。私は、
「もちろん、市民体育館で、ランニング、と、筋トレ、も、しています。それも、便秘の改善に、効果はあります。しかし、水泳の改善の効果には、圧倒的に、水泳の方がいいのです」
と言いました。すると、看護婦さんは、
「じゃあ、あなたは、一生、泳がなくては、ならないのですか?」
と、聞きました。それで、私は、堂々と、
「そうですよ。私は、死ぬまで、一生、泳がなくてはならないのです」
と、言いました。
看護婦さんは、首を傾げていました。
過敏性腸症候群(けいれん性便秘)、というものを、全く、知らなくて、(もちろん、スポーツ整形外科の医師も知らなくて)、たかが、便秘なのに、なぜ、「水泳をしなくては、いけないのか」、ということが、理解できないのです。
彼らは、「便秘」、というと、「常習性便秘」、しか知らず、「けいれん性便秘」、のことは、全く知識が無いのです。
確かに、水泳をしなくても、生きては、いけるでしょう。
しかし、水泳を、やめてしまうと、QOL(生活の質)、が、ぐっと、落ちてしまい、小説、が、書けなくなります。
私は、小説、を、書くためだけに、生きているので、小説、を、書くことは、私の、「命」、そのもの、なのです。
過敏性腸症候群が、いかに、つらいものかは、なったことのない人には、理解できないでしょう。
過敏性腸症候群でも、軽傷のものも、あれば、重症のものも、あります。
私の場合は、重症です。
過敏性腸症候群は、「便秘」、だけに、とどまりません。
視床下部が、壊れているので、自律神経が失調しているので、夜も全く、眠れません。
私は、いつも、夜の、11時30分、頃に、睡眠薬を飲みます。
それでも、眠れませんので、夜中に、24時間、営業の、マクドナルド、に、行って、ミルク一本、注文して、明け方まで、ねばって、わざと、体を疲れさせます。
そして、朝の5時頃に、家にもどって、徹夜の疲れから起こる眠気で、寝ている、という、毎日を過ごしています。
極めて、おかしなことですが、そうするしか、眠りに入れないのです。
けいれん性便秘、で、視床下部、が、滅茶苦茶になっているので、それによる、自律神経失調症、不眠症、うつ病、で、体が壊れてしまっているので、毎日が、不眠、と、便秘、との闘いです。
幸い、食べることは、出来るのですが、便秘のため、どんどん、ふん詰まりになって、苦しくなるので、結局、食べることも、出来ないのです。
快食、快眠、快便、の、全て、が、やられているのです。
大学4年の時には、勉強も、生活も、とても、出来る状態ではなくなり、休学しました。
休学した時には、自殺することを、本気で、考えました。
「たかが、便秘で自殺するバカがいるか?」
と、世間の人間は、思うでしょうし、「便秘が苦しくて自殺した」、などと、知ったら、世間の人間は、「アホだ」、と、笑うでしょう。
しかし、もし仮に、「過敏性腸症候群が治る、か、片足を切断する、か、どっちかを選べ」、という、ようなことが、本当にあったとしたら、私は、間違いなく、「片足を切断して下さい」、と、頼むでしょう。
技術の発達で、最近の義足は、性能が良く、パラリンピックのアスリート、でも、見られるように、タイムは、落ちますが、健常者と同じように、走ることが出来るのです。
外出する時も、ズボンを履けば、片足が義足の障害者であることを、隠せますし、健常者で通せます。
それより、過敏性腸症候群、そして、それに、ともなう、自律神経失調症、のために、不眠症、で、意識が冴えず、頭が、ボーとして、小説が、書けない方が、よっぽど、苦痛です。
快食、快眠、快便、で、頭がちゃんと働き、普通の生活が、出来て、小説が書けるのなら、その方が、私には、よっぽと、幸せです。
「ゲゲゲの鬼太郎」で知られる、漫画家の、水木しげる、さんは、戦争で、片手を失ってしまいましたが、片手で、漫画を描き続けました。
水木しげるさんの、全作品の量は、膨大な量です。
つまるところ、心の病気の苦しみ、を、経験したことのない医者は、心の病気は、何もわからない、と思います。
私は、大学4年の冬、過敏性腸症候群、および、それに伴う、自律神経失調症、で、休学しました。
そして、自殺防止の会、とか、薬物中毒の会、とか、神経症の会、とか、いくつもの自助会に、出てみました。
神経症の会、は、一人一人、が、自分の病気の悩みを、言って、共感しあい、アドバイスしあうものです。
私が、「過敏性腸症候群、自律神経失調症で大学を休学した」、と言ったら、ある人(A)が、「大学を休学したのが、いけない。頑張るべきだった」、と言いました。
しかし、もう少し、詳しく話して、「私は、今、うつ病です」、と言ったら、Aさんは、途端に、態度を変えて、「ああ。あなたは、うつ病、だったんですか。うつ病患者は、頑張っては、いけないんです」、と、言いました。
神経症、とか、うつ病、とか、精神の病気の人の中には、自分の、つらい病気を、何とか、治そうと、心の病気の本を読んで理解している、人が、結構、いるので、「うつ病」、に、関しても、理解している人がいるのです。
また、大学休学中には、私のことが、教授会で、問題になっている、と、大学が、知らせて、きました。
私は、休学中は、武蔵野中央病院の心療内科に、かかっていました。
そして、主治医の大谷純先生は、「うつ病で、三ヵ月の治療が必要」、という、診断書を大学に、三ヵ月、ごとに、送っていました。
しかし、基礎医学の教授は、それが、理解できない、らしいのです。
基礎医学の教授も、医学部を卒業して、医師国家試験にも通って、臨床医も経験しています。
しかし、基礎医学の教授は、「うつ病」、が、理解できない、らしいのです。
私は、大学を卒業して、千葉県の、下総精神医療センター、という所で、二年間、研修しました。
そこで、驚いたことは。
精神科医なのに、うつ病の患者に、対して、平気で、「頑張って」、と言っている、医者が、何人もいたことです。
「うつ病患者に、頑張れ、という、言葉は、禁句である」
と、精神医学の教科書には、書いてあります。
しかし、医学部の勉強量は、膨大で、医学生は、健康そのもの、ですし、健康そのもの、でなければ、医学部の膨大な勉強を、こなすことは出来ません。
なので、国家試験の時は、精神科の教科書に書いてある、
「うつ病患者に、頑張れ、という、言葉は、禁句である」
ということを、感覚的には、理解できないけれど、理解できないまま、頭で、暗記しています。
なので、医師国家試験には、通ります。
しかし、一旦、医師になってしまうと、精神科医となっても、うつ病の患者に対して、平気で、「頑張って」、と言ってしまうのです。
動物と人間の違いに、大きな一つのことがあります。
それは、「動物は、うつ病にはならい」、「動物は、自殺しない」、「動物には悲しみの感情が無い」、ということです。
野生の動物は、片足を怪我して、ビッコになっても、あるいは、両足が、動かなくなっても、悲観して、泣いたり、しません。
動物が、悲観して、自殺することなど、ありません。
ペットを飼えば、動物は、飼い主になつきます。
飼い主が、来れば、喜んで、はしゃぎます。
しかし、飼い主が、死んでも、ペット、が、飼い主の、「死」、を、悲しんで、泣く、ということは、ありません。
飼い主の、「死」、を悲しんで、ペット、が、うつ病になる、ということもありません。
次の、飼い主を探すか、次の飼い主が、見つからなかったら、自分で、エサを探して、生きようとするだけです。
動物には、悲しみの感情が無いからです。
確かに、動物を実験によって、うつ状態にさせることは、出来ます。
いくら、頑張っても、エサが手に入れられない、という、状態にすれば、動物は、だんだん、行動が、鈍くなっていきます。
脳の、セロトニン、や、ドーパミン、の量が減るからです。
しかし、どんなに、動物実験で、動物をいじめて、「絶望」、の、状態にしても、動物は、決して、自殺しません。
悲しみ、の、感情が無いからです。
つまるところ、心の病気の苦しみ、を、経験したことのない医者は、心の病気は、何もわからない、と思います。
彼らは、癌、とか、肺炎、とか、肉体の病気は、その原理を理解していますし、外科手術、や、内科的治療によって、治療したり、治したりすることは、出来ます。
しかし、心と関連した、「心療内科」、や、「精神科」、の患者は、理解できません。
そして、医者は、外科、や、内科、の、肉体の疾患でも、患者の、「痛みの感覚」、は、理解できません。
医者は、健康でなければ、勤まらない仕事だからです。
私は、喘息、過敏性腸症候群、不眠症、うつ病、を、経験しています。
ですから、喘息、過敏性腸症候群、不眠症、うつ病、の、患者では、その、「苦しみの感覚」、も、理解できます。
しかし、私は、リウマチは、経験したことは、ありません。
ですから、リウマチ、の患者、が、「痛い。痛い」、と、痛がっていても、それが、どのような、「痛み」、なのかの、「感覚」、は、わかりません。
私は、心療内科医の、池見酉次郎先生、を尊敬しています。
池見酉次郎先生は、若い時から、自身、過敏性腸症候群、の便秘型、の患者であって、一生、過敏性腸症候群、に、苦しみながら、臨床医として、そして、医学者として、生きました。
体が弱く、他にも、不眠症にも、なったこともあれば、喘息発作、を、起こしたこともあります。
過敏性腸症候群、の程度、は、かなり、重症で、高校生の時、過敏性腸症候群、によって、学業が、出来なくなって、一年間、休学したほどです。
神経症になって、慈恵医大の、「森田療法」、を、受けてみたり、過敏性腸症候群、を治そうと、あらゆる、治療法、を、試しました。
池見酉次郎先生の、研究業績は、膨大な量です。
それは、池見酉次郎先生が、過敏性腸症候群、の、「痛みの感覚」、まで、理解しているからです。
「過敏性腸症候群、の、原因、と、その治療法は、何なのだろうか?」
という、疑問を、解こうとする、意欲、情熱、が、他の健康な医者とは、比べものにならないほど、高いからです。
だから、本気で、必死になって、寝る間も惜しんで、研究しますから、優れた、研究成果を、出すことが出来るのです。
病気になって、体調が、悪い時は、健康回復に、精一杯、努力する、ことが、本当に、やらなくては、ならない事だと思います。
(もちろん、癌などは、自分の努力では、どうすることも、出来ませんから、医者に、治療を、お任せするしかなく、癌になった時に、どんなに、ハードなトレーニングをしても、無意味です。し、逆効果です。患者が出来ることは、安静にしていることと、医師、か、看護師、か、栄養管理師、が勧める、栄養のある食事をすること、くらいです。世には、免疫力に効果がある、と、言われている食べ物、など、が、ありますが、癌になった時に、そんな物を食べても、何の効果も無いと思います)
病気になって、体調が、悪い時は、健康回復に、精一杯、努力する、ことが、本当に、やらなくては、ならない事だと思います。
しかし、それは、つまらないことです。
今年の夏は、絶望的で、
「もう、これ以上、生きていても、小説は、書けないのではないか?」
と、あきらめていました。
しかし、8月30日(金)、から、絶望的だった、体調不調が、回復し出して、小説が、書けるように、なりました。
これは、本当に、嬉しいことでした。
その後、どんどん、健康状態が良くなって行って、今、では、何でも、書けます。
しかも、新しい、小説のアイデアが、頭の中で、次から次へと、どんどん、湧いてくるのです。
去年も、そうでしたが、私は、12月になって、寒くなってくると、こんどは、寒さ、のために、小説が、書けなくなります。
そのため、今年も、10月、11月、は、大丈夫だろうと、私は、予測しています。
予測は、当たるか、当たらない、かは、わかりませんが。
なので、9月、は、朝、起きてから、夜、寝るまで、一日中、小説を、書きました。
他の事は、一切、しませんでした。
10月、11月、も、当然、そうします。
もちろん、適度な息抜き、は、しますが。
ニュースも、見ないで、小説を書いています。
ニュースなど、テレビで、見なくても、ネットのYAHOO・JAPANで、10分も、かからず、読めます。
私は、今年の夏、
「人間は、やりたい事をやるのではなく、今、本当に、やらなくては、ならない事をやるべきである」
ということの、大切さ、を実感しました。
私の場合は、肺炎の治療、肩の故障のリハビリ、そして、肩の故障の、原理を、深く理解すること、です。
8月30日(金)、からは、健康状態がいいので、今は、小説を書いています。
「回春マッサージ物語 (原稿用紙換241算) 」、を2週間で、書き上げた後、次は、何を、書こうか、と、迷いましたが、今、書いている、「今年の夏」、を、書くことに決めました。
今、一番、書きたい物だったからです。
それに、時間が経ってしまうと、その時々に、感じた、思い、や、起こった出来事、を忘れてしまって、書けなくなる危険があります。
はたして、いい作品になるだろうか、という不安を持ちながら、書き始めました。
これは、小説、とは、言えず、自分史、エッセイ、評論文、の方に、近いかもしれない、とも、思います。
あるいは、私小説、か、心境小説、と、言えるかもしれません。
私小説の定義を見てみると、
「私小説とは、日本の近代小説に見られた、作者が直接に経験したことがらを素材にして、ほぼそのまま書かれた小説をさす用語である。心境小説と呼ぶこともあるものの、私小説と心境小説は区別されることがある」
と、書かれてあります。
心境小説の定義を見てみると、
「作者が日常生活で目に触れたものを描きながら、その中に自己の心境を調和のとれた筆致で表現した小説」
と、書かれてあります。
なら、「今年の夏」、は、私小説、か、心境小説、と、言えるかもしれません。
しかし、どんな、ジャンル、と、呼ばれるか、ということは、どうでもいいことです。
作品は、面白ければ、それでいいのだ、と、思っています。
私は、今まで、私小説を嫌っていたので、フィクションの、小説ばかり、書いてきました。
しかし、フィクションの、つくり話の小説ばかり、書いていると、
「お前は、私小説は、書けないのか?」
という、心の声が、聞こえてきました。
なので、今年の夏、起こった出来事、と、それに対して、私が感じたこと、を、素直に書いてみました。
書いているうちに、「あっ。結構、いいじゃないか」、と、思い出しました。
そもそも、私は、人との、付き合い、が、全く無いので、私が、私小説を書くと、自分の気持ち、を、書くだけに、なるのは仕方のないことです。
それに。
私は、ストーリーが、複雑に入り組んだ、いわゆる面白いストーリーの、小説よりも、心境小説、告白小説の方が、好きです。
小説は、確かに、基本的には、ストーリーのある、「お話」、だと思います。
そして、小説の多くは、映画化できます。
しかし、心境小説、告白小説、は、映画化できません。
佐藤春夫の、「田園の憂鬱」、梶井基次郎の、「檸檬」、ほか、梶井基次郎の全て小説。三島由紀夫が、20歳までに書いていた、「花ざかりの森」、「岬にての物語」、などは、ほとんど、ストーリーの無い、小説です。
太宰治の、「人間失格」、も、三島由紀夫、の、「仮面の告白」、も、映画化できません。
自分の、思いを、表現した、告白小説だからです。
それらの小説を、強引に、映画化したら、主人公が、一人で、ブツブツ、自分の思いを、独り言で、言っているだけの、おかしな映画になってしまうだけです。
登場人物がたくさんいて、会話文、が、たくさんあり、ストーリーが、展開していく、小説でなくては、映画化は、出来ないのです。
今は、小説を書いているので、(書けるので)、幸福です。
私は、小説を書いていれは、幸せ、なのです。
しかし、私は、今年の夏、
「人間は、やりたい事をやるのではなく、今、本当に、やらなくては、ならない事をやるべきである」
と、いうことを、学びました。
そして、それにも、「喜び」、は、あります。
病気になって、「健康」、という、持っていたものを、失ってしまいましだが、それを、直視し、それを、治そうと、徹底的に、病気の原理を調べ、リハビリをして、ほとんど元通りに、治りました。
それは、新しい、小説作品を、完成させる、という、「創造性」、のある行為では、ありません。
つまらない、嫌な、ものです。
しかし、「もう絶望だ」、と、思っていたのに、それが治って、「将来に対する希望」、が、もてるように、なった時の、喜び、も、この上なく、嬉しい喜びです。
私は、今後、また、スランプ、になって、「絶望」、になっても、
「人間は、やりたい事をやるのではなく、今、本当に、やらなくては、ならない事をやる」
ということを、実践しようと思っています。
しかし、今は、健康なので、そう思えるのであって、「本当に絶望」、になった時にでも、そう思えるか、どうかは、わかりません。
私は、ロマンチストでは、ありません。
私は、ロマンチストを嫌っています。
私は、徹底的な、リアリストです。
ですから、
「すべての苦しみには、意味がある」
だの、
「苦しみとは、神が与えてくれた恩恵である」
だの、
「苦しみが人間を成長させる」
など、の、聞こえのいい、格言は、全く信じていません。
そういう事を、誇らしげに、言う人は、格好をつけて、気取っている人、としか、思っていません。
もし、私が、「植物人間になってしまったら」、「マフィアに捕まって、拷問されたら」、「ヘレンケラーのように、視覚、と、聴覚、を、失ってしまったら」、それでも、私は、その苦難に、立ち向かえる、とは、とても、思えません。
かなり昔のことですが、歯科治療を受ける時に、イエス・キリスト、を、もちだして、「主よ。どうか、痛くありませんように」、と、祈ったことがあるほど、私は、気が小さい、人間です。
私は、いつもは、無神論者であり、「神なんて、そんなものは、いない。神なんて、人間の想像力が産み出した産物だ。そんなものを、信じてるヤツはバカだ」、と、絶対の自信を持って、います。
しかし、私は、ちょっとでも、困難な立ち場になると、世界一、敬虔な、クリスチャンになるのです。
そして、「主よ。どうか、お助け下さい」、と、誰よりも、(ペテロよりも、マルチン・ルターよりも、パスカルよりも、ローマ法王よりも)、信心深く、心から、祈るのです。
なので。
今年の夏、の、「肺炎」、と、「肩の痛み」、は、私が、克服できる、範囲の、困難、だった、と思っています。
しかし、なぜだか、今年の夏、は、イエス・キリスト、に祈ったりすることは、一度もありませんでした。
私は、ボディービルダーの、マッスル北村さん、を尊敬しています。
マッスル北村さんは、日本で、トップレベルの、ボディービルダーでした。
そして、彼は、ボディービル、だけではなく、東大理科二類、に、合格したり、その数年後に、東京医科歯科大学の医学部にも、合格しています。
しかも、その動機が、ホンモノで、学問を追求したいために、東大理科二類に入り、医者になって、病人を救いたい、ために、医学部に入ったのです。
こういう、動機が純粋な人は、優れた学者になるでしょうし、優れた医者になるでしょう。
何事にも、全力で、打ち込んでしまう、素晴らしい、性格です。
そして、性格も、明るく、優しく、他人に対して、思いやりがある、パーフェクトな人間としか思えません。
しかし、マッスル北村さんは、せっかく入った、東大理科二類、も、東京医科歯科大学の医学部、も、中途退学してしまいました。
日本の大学は、入るのが、難しくて、合格してしまったら、100%、卒業できます。
それに、大学生は、受験生と、違って、ゆとり、がありますから、スポーツの好きな人は、勉強、と、スポーツ、を、両立することは、簡単に、出来ますし、している人など、いくらでも、います。
なぜ、マッスル北村さんは、せっかく、純粋な動機で、入った、東大、や、医学部、を、やめてしまったのかは、理解できません。
私は、努力、に、おいても、能力、においても、人格、においても、私より、はるかに、優れた、マッスル北村さん、に、対して、恐れ多くも、「ああなっては、いけない」、と思っています。
医学部に入った以上は、他に、やりたい、ことが、在学中に、見つかっても、医学部を卒業して、医師国家試験にも、通って、おくことは、「けじめ」、として、我慢すべきこと、だと思っています。
私も、医学部に、入ってから、在学中に、「小説家になろう」、とまで、本気で、思うほど、にまで、なりました。
そもそも、私は、医者になって、患者を救おう、などという、高尚な理由で、医学部に、入ったのでは、決して、ありません。
自分が、幼少の頃から、病弱で、一生、医者に、ペコペコ、頭を下げ続けるのが、屈辱だったので、自分が、医者になって、ヤブ医者どもを、見返してやろう、という、医者に対する復讐、という動機で、医学部に入ったのです。
なので、在学中から、だんだん、医者になることは、どうでも、よくなってしまい、小説を書くこと、だけが、自分の、人生の全ての価値観になっていきました。
しかし、私は、医学部に、入った以上、医学部を卒業して、医師国家試験にも、通って、おくことは、「けじめ」、として、我慢しようとは、思っていました。
なので、在学中にも、小説は書きましたが、時間のかかる、長編小説は、書かず、(そもそも、体力の無い私には、長編小説は、書けません)、原稿用紙で、10枚、から、一番、長くて、80枚、の、小説を、数作しか、書いていません。
もちろん、医師国家試験、の勉強が始まってからは、小説など、書いている余裕などは、ありません。
そして、医師国家試験にも、合格しました。
別に、それが、偉いことだとは、全然、思っていません。
それが、普通だと思っています。
勉強で頭を酷使している時は、スポーツ、や、運動で、体、を、動かす、ことが、息抜き、として、いい、と思います。
私も、勉強で、頭を酷使し続けて、頭が疲れた時は、ほんの数分、空手のキックを、して、息抜き、をしていました。
マッスル北村さんの、心理は、どうしても、理解できませんが、
「人間は、やりたい事をやるのではなく、今、本当に、やらなくては、ならない事をやるべき」
という点で、(理解不可能な人間である)、マッスル北村さん、のように、なっては、いけない、と思っています。
人間は、命があってこそ、勉強、にしろ、運動、にしろ、何か、が、出来るのです。
死人が、はたして、ボディービル、をしたり、小説を書いたり出来るでしょうか?
今年の夏、は、何も出来なかった、苦しみ、だけの、夏でした。
しかし、色々な、ことに、気づかされました。
それに、「楽しかった」、だけの、人生、からは、小説は、書けません。
友達と、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、と、ひと夏に、ヨーロッパを、旅行しても、「楽しかった」、だけでは、小説は、書けません。
もちろん、未知だった、世界を知った、「感動」、は、起こるでしょうが。
そして、視野が、広くなるでしょうが。
苦しかった経験の方が、小説になるのです。
小説、でも、漫画、でも、アニメ、でも、ドラマ、でも、それは、明らかです。
「正義の味方」、の、ヒーロー、が、「悪」、を、やっつける、ヒーローものの、アニメ、で、それは、明らかです。
「正義の味方」、が、「悪」、を、最初から、一方的に、やっつけて、退治する、だけでは、面白くも何ともありません。
「正義の味方」、が、「悪」、に、徹底的に、やられて、もう、ダメだ、という、「絶望」、の危機、に陥ってしまうけれど、それを、「正義の味方」、が、知恵、と、勇気、で、乗り越えて、「悪」、をやっつける、所に、ドラマがあり、面白さ、が、あるのです。
そういう点でも、今年の夏、は、とても、有意義な夏、だったのかも、しれません。
私は、何歳まで、生きられるのかは、わかりません。
なので、年が明けて、新年になると、「今年一年間、精一杯、生きよう」、と思って生きています。
別に、「新年から一年」、と、思わなくても、「秋から一年」、と思ってもいいのですが、世の中の習慣が、そうなっていますし、寒い冬から、だんだん、季節が温かくなっていく、春となり、新緑が、繁っていく夏となり、夏が過ぎると、収穫の、秋、となり、そして、寒い冬となります。
植物にとっても、冬が、スタート、で、夏が、ピークで、収穫の秋を過ぎて、冬が、ラスト、です。
理にかなっています。
そして、人間でも、それは、同じです。
寒い冬、で、オーパーを着こんでいたのが、春になっていくのにつれて、だんだん、過ごしやすくなり、そして、ランニングシャツだけで過ごせる、夏となり、夏が過ぎると、また、秋から、冬、へと、寂しい、寒い、季節となります。
なので、年が明けて、新年になると、私は、「今年、精一杯、生きよう」、と思って生きています。
その次の年のことは、考えていません。
何が起こるのか、わからないからです。
しかし、ともかく、今年の夏、は、何も出来ませんでしたが、とても、有意義な夏、だった、と思っています。
令和元年10月4日(金)擱筆