小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

回春マッサージ物語 2 (小説)

2019-09-18 19:01:19 | 小説
私は、さっき、うけた、回春マッサージ、を、思い出しながら、無上の興奮を、感じていました。
これは、SMクラブよりも、刺激的でした。
というのは、SМクラブでは、SМ的な、エッチな遊戯をする、というのが、前提になっていますから、肉体の快感は、あっても、精神的な、本当の興奮は、得られません。
SМ店に、所属している、女性にしても、客にしても、SМ的な、遊戯をするのは、わかりきった、当たり前のことです。
哲学者の、ジョージ・バタイユが言っているように、「禁を犯すことに、エロティシズムがある」、のです。
つまり、してはならないことを、することにのみ、エロティシズム、というものは、あるのです。
夫婦、や、恋仲の男女が、密室で、セックスしても、そこには、何の、エロティシズムもありません。
男も、女も、単なる、肉体の快感を貪り合っているだけです。
しかし。
私は、電車の中で、男が、見ず知らずの女に、痴漢してしまう、心理がわかります。
それは、単に、女の体を触りたい、という物理的な欲求だけでは、ありません。
そんなことは、ファッションヘルスへ行けば、ヘルス嬢に、いくらでも、出来ます。
痴漢、という行為は、犯罪であり、してはならない行為であり、もし、女に、「痴漢―」、と、叫ばれて、警察に捕まってしまえば、人生、おしまい、です。
しかし、痴漢は、してはならない行為、だからこそ、したい、という精神的な興奮が起こるのです。
一歩、間違えば、人生、おしまい、だからこそ、スリルがあるのです。
痴漢をする男は、その、スリル、精神的な興奮を求めて、痴漢、を、しているのです。
それは、万引き、でも、同じです。
万引き、を、するのは、金に困っている、子供だけではありません。
金持ちの、夫人も、万引き、をします。
それは、金が無くて、仕方なく、万引き、しているのではなく、万引き、は、犯罪行為であり、バレたら、前科者になってしまう、という、スリル、があるからこそ、そのスリルを味わうために、しているのです。
相模大塚の、マッサージ、メンズエステ店の、セラピスト、も、客も、あくまで、マッサージという名目で、エッチな行為をしているのです。
マッサージ店、で、客に、マッサージする、サービスをする、という、旨を、所管の、地方自治体の公安委員へ、届け出ているのです。
なので、うわべは、マッサージのサービスを装っています。
アヌスへの、指入れ、も、「前立腺マッサージ」、という、「マッサージ」、には、違いありません。実際、心身をリラックスさせ、気持ちよくする、マッサージ効果は、あるのです。
店の、マッサージ師も、客も、あくまで、マッサージ、をしている、されている、ことを装っています。
私も、一度も、猥雑な、発言は、しませんでしたし、彼女も、同様に、一度も、猥雑な発言はしませんでした。
そこに、私は、SMクラブ以上の、エロティシズム、精神的な興奮、を、感じたのです。
お互い、マッサージ、を装いながら、私は、彼女に、裸を見られ、悪戯されることに、被虐の快感を感じていましたが、彼女は、どう思っていたかは、正確には、わかりません。
しかし、女も、男に、性的な悪戯をする時には、男が、それに反応して、男が、悶え、射精することに、喜びを、感じるケースが、非常に多いのです。
マッサージ、しながら、悪戯っぽい、サディスティックな快感、を、きっと、彼女は、感じていたと、私は思います。
実際、彼女は、回春マッサージ、をしている間、実に、嬉しそうでした。
さらに、ラッキーなことは、メンズエステの、料金の安さ、です。
SMクラブだと、Sコース、は、90分、3万円で、Mコースは、90分、2万円と、高いのです。
その点、メンズエステなら、120分、16000円で、断然、安い。
私は、また、近いうちに、相模大塚の、マッサージ店に行こう、と思いました。
しかし、すぐに、行っては、だんだん、慣れていき、慣れ、による、不感症、を、私は、恐れました。
それに、私の、生きている目的は、小説を書く、ことが、全て、であり、回春マッサージ、の、快感など、一時の快感に過ぎず、小説を、書き上げる、無上の喜びに、比べたら、刹那的な、享楽に過ぎません。
こんな、刹那的な、快楽が、小説を書くのに役立つ、貴重な体験になる、とは、全く思われませんでした。
私は、そう思っていたので、相模大塚の、マッサージ店には、容易には行かないように、厳しく自分に戒めました。
そして、それは、私の、自制心で、容易に、実行できました。
しかし、今は、夏です。
夏は、女が、解放的になる季節です。
小説創作が、人生の価値の全てになっている私ですが、やはり、片瀬江ノ島、や、大磯ロングビーチ、で、解放的になっている、女たちの、存在は、私を悩ませました。
それを、完全に、無視できるほど、私の精神は、頑強ではありませんでした。
それで、その欲求が、嵩じて、耐えられなくなると、私は、片瀬江ノ島、の海水浴場、や、大磯ロングビーチ、で、セクシーな、ビキニ姿で、心身ともに、解放的に、なっている、女たち、を、時々、車で、見に行きました。
もちろん、私は、女に、声をかける勇気などありませんから、見ているだけです。
男の友達が、いれば、合コンのように、ビキニ姿の女に、声をかけることも、出来るでしょう。しかし、私は、人付き合い、が、嫌いなので、男の友達もいません。
なので、ビーチで、楽しそうに、遊んでいる、男女を見ると、激しく嫉妬しました。
「ああ。私も、きれいな、ビキニ姿の女と、友達になりたい」
私は、結局、ビキニ姿の女、を、見れた、快感と、それ以上の、激しい、嫉妬心、と、口惜しさ、を、感じて、虚しく家にもどりました。
女たち、も、開放感、というより、男を挑発する、快感を、味わうため、セクシーなビキニを着て、体を晒しているのです。
もし、世の中に、男がいなかったら、女は、ビキニなど、着ないでしょう。
そして、私は、そういう女の、心理の術中に、まんまと、はまってしまっているのです。
「ああ。私は、世の、十把一絡げの、ガラクタ男ども、と違って、女と、セックスなんて、したくないんだ。私は、プラトニストなのだ。ロマンチストなのだ。美しいものには、手を触れたくないんだ。ただ、手をつないで、浜辺を歩きたいだけなんだ。海の家で、夏の出会いの、喜びを、語り合いたいだけなんだ。一言、話してくれれば、10万円の、ルイヴィトンのカバンを買ってあげてもいいんだ」
と、私は、心の中で、何度、狂おしく、叫んだことでしょう。
私は、だんだん、性欲が、嵩じて、耐えられなくなってきます。
それは、小説の創作にも、悪影響を及ぼして、小説創作が手につかないほどになってきます。
「このままでは、私は、発狂してしまう」
そういう恐怖まで、起こってきます。
それで、私は、性欲が、嵩じて、耐えられなくなると、仕方なく、相模大塚の、マッサージ店、に、電話をしました。
「もしもし。マッサージを、受けたいんですが・・・」
「はい。いいですよ。いつ頃、来られますか?」
「今から、30分後、くらい、で、どうでしょうか?」
「はい。いいですよ。以前、当店に来られたことは、ありますか?」
「いえ」
「では、相模大塚の、駅の東口に、来たら、電話して下さい。場所を、教えますから」
「わかりました」
「では、お待ちしております」
そう言って、彼女は、電話を切りまた。
私は、家を出て、車を、飛ばしました。
小田急線に、沿って、並走している、467号線を、大和駅まで、飛ばしました。
そして、大和駅、で、東西に走る、相鉄線に、沿って、走る道路を、海老名方面に向かって西に飛ばしました。
「ああ。もうすぐだ。もうすぐ女に会える」
と、はやる心が、私の性的興奮を、どんどん、高めていきました。
それは、あたかも、飢えている子供が、豪華な、食べ放題の、バイキング料理を、目前に見て、生唾を垂らしている、状態と同じでした。
ちょうど、30分、くらいで、相模大塚の、駅に着きました。
私は、車を止め、携帯電話を、取り出して、店に電話しました。
「もしもし。さっき、電話した者ですが、今、相模大塚の、東口に着きました」
「そうですか。では、近くに、郵便局が、見えますか?」
「ええ。見えます」
「では、その郵便局の、前の道を、北に、進んで下さい。そうすると、すぐに、左手、に、ファミリーマートが、見えてきます。その隣に、二階建ての、集合住宅、相模大塚ハイツ、が、あります。その、二階の、205号室です」
「はい。わかりました」
そう言って、私は、電話を切りました。
もちろん、私は、二回も、その店に行っているので、場所は、聞かなくても、わかっているのですが、私の、シャイさ、から、「以前、行ったことがありますので、場所は、わかっています」、とは、言えなかったのです。
結果として、相手は、私を、初めて来る客だと思って、待っていることでしょう。
私は、車を運転して、相模大塚ハイツに着くと、近くの駐車場に、車を止めました。
そして、相模大塚ハイツの、205号室の前に、来ました。
私は、チャイムを押しました。
ピンポーン。
すると、部屋の中から、「はーい」、という声と、ともに、パタパタ走る、足音が聞こえました。
カチャリ。
内鍵のロックが、解かれる音が聞こえました。
女性が、おそるおそる、顔を出しました。
前回、回春マッサージ、を、受けた、女性でした。
彼女は、私を見ると、ニッコリ、笑いました。
「あっ。お客さん。お久しぶりですね。どうぞ、お入りください」
私は、彼女に促されて、照れくさそうに、部屋に入りました。
「お久しぶりですね」
彼女は、笑顔で言いました。
彼女は、嬉しそうでしたが、私は、前回と、同様、嬉しい感情は、表に出さずに、マッサージを受けに来た客を装いました。
「え、ええ」
私は、控えめな口調で、言いました。
前回、ここへ、来たのは、二週間前で、その後は、毎日、小説を書いていて、昨日、大磯ロングビーチ、に、行って、多くの、色とりどりの、セクシーな、ビキニ姿の、女たちを、見て、その、ビキニに、包まれた、大きな尻、や、ビキニに、貼りついて、揺れている、胸のふくらみ、や、もっこりと、盛り上がった、恥丘の土手、や、水に濡れないように、束ねた髪、などを、見て、私は、昨夜は、興奮で、眠れませんでした。
「女が欲しい。女が欲しい」、と、呟きながら、それを、手に入れられない、欲求不満と興奮で、私は、昨夜から、勃起しっぱなしでした。
彼女は、麦茶を持ってきて、私に、渡してくれました。
私は、それで、渇いた口を湿らして、コップの半分ほどを、飲みましだ。
「お久しぶりですね」
彼女は、嬉しそうに、言いました。
「え、ええ」
私の心臓の鼓動は、これから、されることを、想像して、高まっていきました。
「今日は、どのコースにしますか?」
彼女が、メニュー表を、開いて、聞きました。
「120分のコースを、お願いします」
私は、メニュー表の、その、文字を、指さして、言いました。
彼女の顔に笑顔が浮かびました。
「はい。わかりました。では、16000円です」
彼女が言いました。
私は、財布から、二万円、出して、彼女に渡しました。
彼女は、3000円、の、おつり、を、私に、渡しました。
「では、施術室に来て下さい」
彼女は、私の手を引いて、マッサージの、施術室に、私を、連れていきました。
「では、着ている物を全部、脱いで、籠の中に入れて下さい」
彼女は、言いました。
「はい」
私は、言われるまま、着ている物を全部、脱いで、籠の中に入れました。
私は、一糸まとわぬ、丸裸です。
性器まで、彼女に、見られています。
私は、心の中で、昨日、見た、ビキニの、女たちに、勝ち誇った、気分でした。
これは、女たちへの、復讐でした。
彼女らは、男を挑発するために、きわどい、極小ビキニを着ています。
ビキニは、時代が進むほど、どんどん、小さくなっていきます。
全裸になっては、わいせつ罪、となりますから、全裸になることは、出来ません。
ビキニでは、性器と、乳首、だけを、隠せば、いいので、女たちは、胸は、乳首だけを、隠すだけの、乳房下縁が見えているような、のを、着て、下は、性器、と、尻の穴、さえ、隠せばいいので、Tバックで、尻は丸見えで、前は、Tフロントで、女の、性器の割れ目だけを隠しているたけで、恥丘の盛り上がり、も、ほとんど、見えているような、ほとんど全裸に近い、ビキニ姿の、女も多いのです。
彼女らは、わいせつ罪に、ならないのなら、それらの極小ビキニさえも、脱ぎ棄てて、全裸になって、男を挑発したい、と思っているでしょう。
しかし、それをしては、わいせつ罪になるので、出来ません。
しかし、私は、今、全裸になって、性器も、尻、も、全て、彼女に見られているのです。
体を露出して、異性に見られたい、という、快感の度合いは、彼女らより、今の私の方が、上なのです。
確かに、個室ではありますが、彼女も、私も、マッサージ、という、名目なので、日常の中での、露出行為という、エロティシズムは、十分、満足できました。
「さあ。台の上に、うつ伏せになって、乗って下さい」
彼女は、嬉しそうに、言いました。
私は、施術台の上に乗って、うつ伏せになりました。
ちょっと、足を開いて。
なので、尻の割れ目が開いて、尻の割れ目、も、尻の穴、も、彼女には、丸見えです。
ビキニの女たちは、尻の穴、と、性器、は、わいせつ罪にならないよう、隠さなければ、ならないので、股間を、全部、晒すことは、出来ません。
しかし、私は、今、股間を全部、晒しています。
そして、彼女は、チャイナドレスを着ています。
全裸を見られている、という、快感は、私の方が、女たちより、上なのです。
「では、マッサージを始めます」
そう言って、彼女は、バスタオルを、乗せて、私の体を、揉みほぐし出しました。
この時も、私は、ビキニの女たち、以上の快感を感じました。
女たちも、異性の男に、日焼け止めの、オイルを塗られたり、さらに、マッサージされたいと、思っているでしょう。
しかし、彼女らに、見知らぬ男に、それを、頼む勇気は、ありません。
なぜなら。
そもそも、女の体を、触る、という行為は、男の快楽であって、男が、女の体を触ることに、精神的快感を、女から、搾取しているからです。
女は、贅沢で、わがまま、なので、木村拓哉のような、イケメンでない、男に、体を触られることを、嫌うのです。
男に触られると、いやらしい事をされた、と思うのです。
なので、木村拓哉のような、イケメンでない、普通クラスの男に、女は、体を触られると、いやらしい事をされて、口惜しい、と思うのです。
なので、女は、「男に、オイルを塗って欲しい、体をマッサージして欲しい」、と思っていても、それをしてくれる男がいないから、虚しく、きわどいビキニ姿を自慢しているだけなのです。
しかし、男は違います。
男は、女に、体を触られても、不快には思いません。
別に、美人でなくても、普通クラスの女、や、普通クラス以下の女にでも、体を触られても、女に搾取された、とは、思わないのです。
電車の中でも、女が男に触られた、という痴漢事件は、あっても、男が、女に触られた、という、痴漢事件は、人類の有史以来、存在しないのです。
むしろ、電車の中で、女が、男の体、尻、や、マラ、を、触ってきても、(やめて下さい)、とは、言わず、逆に、(ああ。気持ちいいだ。ありがとうございます)、と思うのです。
私は、心の中で、ビキニの女たちに、(ざまあみろ)、と、笑って、男の優越感に浸って、女たちに対する復讐の快感に浸っていました。
彼女は、私の体を、十分、揉みほぐした後、背中にかけていた、バスタオルを、とりました。
「お客さん。では、オイルマッサージをします」
うつ伏せ、の、裸が、彼女に丸見えになりました。
「ちょっと、足を開きます」
そう言って、彼女は、私の、足を、少し開きました。
それは、全身に、オイルを塗る、という名目です。
しかし、それによって、私の、尻の割れ目、と、尻の穴、が、彼女に、晒されました。
彼女は、私の体に、隈なく、オイルを塗っていきました。
尻の肉にも、尻の割れ目、にも。
それは、とても、気持ち良いものでした。
女は、木村拓哉のような、イケメンでない、普通クラスの男には、尻の割れ目、を、触らせる、などという事は、許可しません。
私は、世間の女全員に、対する、復讐の快感で、心の中で、女たちに、(ざまあみろ。お前らなんて、一生、欲求不満のままだ)、と、復讐の快感を叫んでいました。
中国人のセラピスト、は、私の、全裸の全身を、隈なく、マッサージしていきました。
それは、とても、気持ちいいものでした。
私は、完全に、彼女に、身を任せていました。
全身を、隈なく、マッサージすると、彼女は、私の、尻の割れ目、を、触り出しました。
指を立て、くすぐるように、スー、と、尻の割れ目、を、なぞっていきました。
彼女は、私の、尻の割れ目を、わざと、もどかしそうに、スー、と、なぞったり、尻の穴を、指で、ツンツン、突いたりしたりしました。
「ああー」
私は、思わず、声を出しました。
「では、鼠径部をマッサージしますので、腰を上げて下さい」
と、彼女は、言ってきました。
私には、それが、命令口調のように感じられました。
「はい」
私は、被虐の酩酊で、メロメロになっていました。
私は、尻を、モッコリと、高く上げ、そして、膝をことさら、広く開きました。
彼女に、私の、恥ずかしい股間を、すべて見せるためです。
彼女には、私の、尻の割れ目、と、尻の穴、そして、勃起した、おちんちん、と、金玉、が、丸見えです。
海水浴場に来ている、ビキニの女たちも、こういう、グラビアイドルが、とる、セクシーポーズをとりたいでしょうが、そこまで出来る勇気は、無いでしょう。
そんなことを、したら、男たちの視線が、一斉に集まってしまいますから。
彼女は、私の、尻の割れ目を、わざと、もどかしそうに、スー、と、なぞったり、尻の穴を、指で、ツンツン、突いたりしたりしました。
私の、おちんちん、は、もうすでに、ビンビンに勃起していました。
彼女は、両手を、勃起した、おちんちん、と、金玉、を、挟むように、鼠径部に、手を入れてきました。
そして、怪しい手つきで、鼠径部を、触り出しました。
おちんちん、は、彼女が、手を前後に動かす度に、彼女の手首の小指側に触れています。
私の、おちんちん、は、一層、はちきれんばかりに、激しく、勃起しました。
「ああー」
私は、恥ずかしさ、と、気持ち良さの、混じった、被虐の快感で、思わず、声を上げました。
「お客さん。気持ちいいですか?」
彼女は、事務的な口調で聞いてきました。
あくまでも、建て前上は、マッサージをしている、というふうを、彼女は、装っていました。
「は、はい」
私は、カチカチ歯を噛みならしながら、苦し気に答えました。
「では、前立腺マッサージをします」
彼女は、前回、私に、前立腺マッサージをしてているので、もう、「お客さん。前立腺マッサージをしますか?」、と、私に、許可の質問は、しませんでした。
彼女は、私の、尻の穴、に、ねっとりした、ローションを塗り出しました。
そして、彼女は、自分の指にも、たっぷり、ローションを塗りました。
そして、彼女は、人差し指を、私の、お尻の穴、に、入れていきました。
スポッ、と、彼女の指が、私のアヌスに入りました。
彼女は、指を、ゆっくりと、前後に動かし出しました。
彼女が、指を動かす度に、やるせない、つらさ、と同時に、この上ない、心地いい、快感、が、私に起こりました。
「ああー」
わたしは、やるせなさ、に、声を上げました。
彼女は、ふふふ、と、笑って、私の反応を、観察するように、指を動かしました。
私の、おちんちん、は、ビンビンに勃起しています。
「それでは、回春マッサージ、をします」
そう言って、彼女は、片手で、私の、尻の穴、に、指を入れて、動かしながら、もう一方の手で、私の、勃起した、おちんちん、を、つかみました。
そして、おちんちん、を、ゆっくり、しごき出しました。
もう、おちんちん、は、ビンビンに勃起している上に、彼女は、容赦なく、お尻の穴、に、入れた指も、小刻みに、前後に、動かし出しました。
「ああー」
私は、おちんちん、と、アヌス、を、前後から、責められて、やるせない、つらい快感に、声を上げました。
「お客さん。気持ちいいですか?」
彼女が余裕の口調で聞きました。
「は、はい」
私は、正直に答えました。
彼女は、右手で、だんだん、おちんちん、を、しごく速度を速めていきました。
左手では、尻の穴、に入れた指の蠕動を、速めていきました。
おちんちん、を、しっかり、握られ、お尻の穴、に、指を入れられて、前後から、挟むように、責められているので、私は、もう、逃げようがありませんでした。
なので、(もう、どうとでもして)、と、彼女に、完全に、身を任せる、気持ちになっていました。
やがて、私の、金玉に、精液が造成され、貯蔵されていくのを、感じ出しました。
とうとう、私の、我慢の限界がやってきました。
「ああー。で、出るー」
私は、大きな声で、そう叫びながら、射精しました。
大量の白濁した精液が、勢いよく、放出されました。
「どうでしたか。気持ちよかったですか?」
彼女は、ニッコリ笑って、聞きました。
「は、はい」
私は、彼女に、さんざん、弄ばれて、みじめの極致でしたが、気の小さい私は、自分の気持ちを、正直に言いました。
私は、膝立ちを、やめて、ガックリと、脱力したように、うつ伏せになりました。
「お客さん。ちょっと、待っていて、下さい」
そう言って、彼女は、温かい、濡れたタオルを、2、3枚、持ってきました。
そして、私の体についている、オイルを、丁寧に、ふきとっていきました。
彼女は、うつ伏せになっている、私の背中に、バスタオルを、かけ、最初と同じように、通常のマッサージを、始めました。
疲れた後の、揉みほぐしの、マッサージは、とても、気持ちのいいものでした。
マッサージされながら、私は、心の中で、ビキニの女たちに、対して、(ざまあみろ)、と、優越感に浸っていました。
というのは。
性欲の発散、という点においても、男は女より、はるかに、有利だからです。
男は、精液の射精、という、目に見えた、はっきりした、性欲の発散が出来ます。
精液を出し切った後は、スッキリします。
しかし、女は、違います。
女は、男と違って、精液の発散、という、はっきりした、ものがありません。
男の性欲は、能動的です。ですから、男は、絶えず、発情しているようなものです。
男の性欲を、刺激する、女のヌード写真、や、ポルノ映画、エロ動画、は、無数にあります。
そして、性欲を発散する場所である、ソープランド、や、ファッションヘルス、メンズエステ店、なども、いくらでも、あります。
しかし、女はどうでしょうか。
世に、女の性欲を刺激する、男のヌード写真集、や、男の、ポルノ映画、エロ動画、などが、あるでしょうか?
そんなものは、ありません。
仮に、そんなものを、作ったところで、女が、それを見ても、性的な興奮などしません。
女が、性欲を発散するための、ソープランド、や、ファッションヘルス、レディースエステ店、などというものは、世にありません。
なぜなら、女の持つ、肉体美、は、男の性欲にとっての、客体、であり、男の目的物、なのです。
女の肉体は、男の性欲を掻き立てる、客体であって、女の肉体は、人間社会において、性欲に於ける主体なのです。
人間は、自分の性欲を掻き立てる、客体を必要とするのです。
女には、性欲を掻き立てる、ための、客体、というものがありません。
性欲を発散する場所も無いのです。
女の肉体は、人間社会において、性欲を興奮させる、客体である、といっても、それは、男だけにとってのことなのです。果たして、女が、女のヌード写真、や、エロ動画、などを、見て発情するなどということが、あり得るでしょうか?
あり得ません。
つまり、女には、性欲を刺激する物もなければ、性欲を発散する場所も無いのです。
そして、男の性欲は、能動的ですが、女の性欲は、受動的なのです。
女は、男と違って、いつも、発情しては、いないのです。
女が発情するためには、木村拓哉のような、イケメンに、抱かれ、全身を愛撫されているうちに、だんだんと、起こってくる、という、非常に、面倒で、やっかいな、プロセスを経なければならないのです。
そして。
男は、性欲の刺激物である、女のヌード写真、や、エロ動画を、見ることによって、オナニーで、射精することも容易に出来ます。
しかし、女には、性欲を掻き立てる刺激物というものが、ありませんから、オナニーしても、イクことは、出来ないのです。
男が、マスタベーションする率は、100%ですが、女が、マスターベーションする率は、60%程度なのです。
そして、マスターベーションによって、男は、射精できますが、女は、マスターベーションしても、容易には、イクことが出来ないのです。
こう、考えてみると、性欲の発散、という点において、男は、女より、はるかに、有利です。
私は、回春マッサージを、されながら、「女は、男を挑発するために、やたら、ゴテゴテと化粧するしか能のない、みじめな、ナルシストに過ぎない。ざまあみろ」、と、勝ち誇った、快感を感じていました。
そんな、優越感も、マッサージの気持ちよさ、と、相まって、私を心地よくしていました。
そんな時。
「お客さん。そろそろ、もう一度、前立腺マッサージを、しますか?」
と、女性が聞いてきました。
私は、
「はい。お願いします」
と、心地いい気持ちで、言いました。
「はい。わかりました」
彼女は、言って、私の背中にかけていた、バスタオルを、取り去りました。
そして、また、オイルを、うつ伏せになっている私の全身に、塗って、全身を、指圧し出しました。
そして、さっきと、同じように、足を開いて、尻の割れ目、にも、オイルを塗り、尻の割れ目、を、スー、と、なぞり出しました。
私は、心地いい気分だったので、すぐに、おちんちん、が、勃起してきました。
「お客さん。お尻を上げて下さい」
言われて、私は、尻を上げました。
彼女は、指先と、肛門に、ローションをつけて、指先を、私の、尻の穴、に、入れました。
そして、もう一方の手で、勃起した、おちんちん、を、しごき出しました。
彼女は、右手で、だんだん、おちんちん、を、しごく速度を速めていきました。
左手では、指の蠕動を、速めていきました。
おちんちん、を、しっかり、握られ、お尻の穴、に、指を入れられて、前後から、挟むように、責められているので、私は、もう、逃げようがありませんでした。
なので、(もう、どうとでもして)、と、彼女に、完全に、身を任せる、気持ちになっていました。
やがて、私の、金玉に、精液が造成され、貯蔵されていくのを、感じ出しました。
とうとう、私の、我慢の限界がやってきました。
「ああー。で、出るー」
私は、大きな声で、そう叫びながら、射精しました。
大量の白濁した精液が、勢いよく、放出されました。
「どうでしたか。気持ちよかったですか?」
彼女は、ニッコリ笑って、聞きました。
「は、はい」
私は、自分の気持ちを、正直に言いました。
彼女は、また、温かい、濡れタオルを、何枚も、持ってきて、私の体のオイルを、丁寧にふきました。
その後は、また、うつ伏せになって、彼女は、私の背中に、バスタオルを、乗せて、通常のマッサージ、をしました。
そうしているうちに、2時間が経ちました。
「お客さん。時間です」
彼女に言われて、私は、起き上がって、籠の中から、服を取り出して、着ました。
彼女は、冷たい麦茶を持ってきてくれました。
「はい。どうぞ」
言われて、私は、麦茶を、一気に全部、飲み干しました。
「マッサージ、気持ちよかったですか?」
「はい」
彼女は、ニコッと笑いました。
「また、来て下さいね」
名残惜しそうに、言われながら、私は、部屋を出ました。

私は、車で家にもどりました。
家に帰って、私は、布団に寝ころびながら、パソコンで、ビキニ姿の女の、写真を、見ながら、女の、優越性、ということを、考えていました。
女の優越性とは、何なのだ?という問い、です。
世の中では、圧倒的に、男より、女の方が、もてはやされています。
それは、女が美しいからです。
週刊漫画、や、週刊誌、の表紙は、すべて、ビキニ姿の女、です。
女の写真集というものは、あっても、男の写真集、というものは、ありません。
女の写真集は、売れますが、男の写真集など、売れません。
車内、飛行機、図書館、その他、全ての公共施設、民間施設、のアナウンスの声は女です。
ATM、や、駅の切符販売器、その他、この世の、全ての、機器の、使い方の、説明をしているのは、女の画像と声です。
テレクラでも、男は、金を払って、女が出るのを待っていますが、女は、金など、払いません。
天皇、や、皇太子が、結婚して、皇后と、二人で、オープンカーに乗って、街中を、走行する時もそうです。
国民は、男である天皇などに、全く関心を持っていません。
眼中にありません。
国民が見て、熱狂しているのは、美しい、皇后に対して、です。
秋篠宮の、紀子妃、にしてもそうですし、今生天皇である、雅子妃にしても、そうですし、退位した、平成天皇と、美智子妃、との、結婚の時でも、注目されたのは、美智子妃、であって、天皇は、添え物です。
海外でも、イギリスでは、ウィリアム王子が、結婚しても、注目されるのは、キャサリン妃、であって、ウィリアム王子は、国民の眼中にありません。
チャールズ皇太子が、結婚した時も、注目されたのは、ダイアナ妃、だけです。
そして、ダイアナ妃の、写真集は、飛ぶように、売れましたが、チャールズ皇太子だけの、写真集など、売れません。
そう考えると、この世は、圧倒的に、女に有利なように、出来ているように、見えます。
しかし、はたして、そうでしょうか?
私は、さっき、相模大野の、マッサージ店に行って、それに、疑問を持つようになりました。
女より、男の方が、性欲の発散、においても、世の中を楽しむことに、おいても、圧倒的に、男の方が有利なのです。
それは、女が、美の主体だからです。
女は、男を楽しませるために、美の主体、を、保ち続けなくてはならないからです。
女が、外出する時を考えてみましょう。
女は、すっぴん、で、外出することは、絶対、出来ません。
男の目があるからです。
女は、絶えず、男の視線に、おびえて生きていかなくてはならないのです。
女は、外出する時、絶えず、化粧しなければなりません。
鏡を見ながら、ファンデーションをし、アイシャドウを塗り、ビューラーで、睫毛を反らし、髪型を決めて、髪の手入れをし、髪の毛を染め、口紅をつけ、ネイルに一本、一本、時間をかけて、マニキュアを塗り、耳にピアスをつけ、足指には、ペディキュアを塗り、パッドを入れたブラジャーを着け、香水をかけ、今の季節に合う、服装を慎重に選んで、自分を完全に、飾り立てなければ、外出することが、出来ないのです。
それには、ものすごく、手間と時間が、かかるものです。
女は、外出する時、最低でも、2時間は、かけて、自分を、完全に、飾り立てなければ、外出できないのです。
何と、手間のかかることでしょう。
何と、不便なことでしょう。
それに対して、男は、何の手入れもせず、起きたての、ボサボサの髪で、あり合う服で、下駄履きで、外出することが、出来ます。
外出するのに、何の、手入れ、も、しなくても、出来るのです。
手入れに、1分も、時間を要しません。
というより、手入れ、など、しないで、男は外出できるのです。
なぜなら男は、美の主体ではないからです。
この事だけ、みても、いかに、男の方が、女より、社会的に、有利かが、わかります。
さらに、それだけではありません。
女は美の主体で、あり続けなくてはならないので、食事にしても、腹一杯、食べたい物を、食べるということも、出来ません。
そんなことを、したら、太ってしまって、プロポーションが崩れて、醜くなるからです。
プロポーションが崩れて、醜くなった女には、何の価値もありません。
女は、みな、ダイエットしているのです。
食生活においても、女は、食べたいけれど、食べられない、という、欲求不満を、持ち続けて生きているのです。
女は、みんな、摂食障害の患者なのです。
その点、男は、食べたい物を、腹一杯、食べられます。
若い時は、新陳代謝が、活発なので、熱として、発散され、太りません。
大人になって、新陳代謝が低下しても、男は、筋肉量が多いので、女より、新陳代謝が、上です。その上、少し、食べ過ぎて、皮下脂肪、や、内臓脂肪、がついても、男は、筋トレ、や、ランニングなど、運動をすれば、簡単に、体についた脂肪を落とせます。
しかし、女は違います。
女の肉体の、美しさ、というものは、男のように、単に、筋肉をつければ、いいというものでは、ありません。
女のボディービルダー、という、人も、いますが、あれを、見たことがある人なら、わかりますが、何と、美しさの無いことでしょうか。
女の肉体は、筋肉の無い、華奢な、肩、腕、スレンダーな体幹、の方が、美しく、そして、乳房、は程よく脂肪がついていて、大きくなくてはならず、尻、と、太腿、は、張りのある、太い、丈夫な筋肉、と、程よい脂肪、が、ついていて、太く大きいのが、美しさには必要なのです。
牛肉では、適度に脂肪がある、サーロインステーキの方が、美味であるように、女の肉体も、適度に、脂肪があって、それでいて、スレンダー、な肉体が、女には、要求されるのです。
これは、男のように、単純に、筋トレして、筋肉をつければ、出来る、というものではありません。
また、女は、美肌を保つため、エステサロンに通わなければならず、乳房を大きくするための、バストアップマシン、なども、買わなくてはなりません。
その出費も、そうとうな額です。
また、女は、行動も不自由です。
女は、自分の脚の美しさ、を、男に、見せたいので、スカートを履かなくてはなりません。
脚を、多く露出するためには、それなりに、裾の短い、ミニスカートを履かなくては、なりません。
しかし、ミニスカートを、履いてしまうと、階段を登っている時や、エスカレーターに乗っている時や、電車で座っている時など、スカートの中の、パンティー、を、見られないよう、気を使い続けなくてはなりません。
女にとって、自慢の美脚は、見せたいものですが、パンティー、は、見られたくない、ものだからです。
さらに、女は、しゃがむ、という行為も、出来ません。
ミニスカートを履いて、しゃがむと、パンティー、が見えてしまうからです。
なんと、女は、生活に不便なことなのでしょう。
その点、男は、ズボンを履いていますから、そんな心配など、全くなく、どこでも、体を、自由に、動かせるのです。
さらに、女は、排泄行為においても、不自由、極まりありません。
男なら、野外で、小便をする時は、人のいない方を向いて、ズボンのチャックを外せば、人がいなければ、どこでも、立ったまま、小便が出来ます。
しかし、女は違います。
女は、立ちションベンなど、出来ません。
女が、野外で、小便をするためには、かがんで、パンツを、膝まで、下げて、そして、スカートが、濡れないように、スカートを、まくり上げながら、しなくてはなりません。
お尻を出しているので、小便をする時も、人に、見られないよう、人が、来ないか、どうか、心配しながら、オドオドと、するしかないのです。
しかし、男は違います。
男が、立ちションベンをしている時、人が来たなら、おちんちん、を、見られないよう、少し、体の方角を変え、人に背を向ければ、そのまま、続けて、小便を出し切ることが、出来るのです。
さらに、男は、おちんちん、と、尻の穴、が、離れていますから、尻の穴の雑菌が、尿道に入る、ということも、ありません。
しかし、女は、尻の穴、と、膣口、と、尿道口、が、すぐ近くにありますので、容易に、尿道感染を起こしてしまいます。
女とは、なんと、あわれ、な、生き物なのでしょう。
さらに、女には、毎月、生理、という、つらいものがあります。
そのため、タンポンを、膣の中に、入れて、生理用ナプキンを、着けておかなくては、生きていけないのです。
そして、女は、子供を産むことが、女の幸福ですが、女は、妊娠したら、どんどん、腹が膨れて、醜くなっていきます。
そして、子供を産む時の苦痛は、地獄の苦しみ、そのものです。
そして、子供を産んでしまうと、女の体は、崩れていきます。
女が、二人、子供を産んで、買い物のため、自転車の、前後に、子供を乗せて、走っている姿など、何と、醜いものでしょう。
何と、女とは、哀れな生き物でしょう。
さらに、歳をとっても、男なら、いつまでも、女に性欲を持てます、が、女は、美の主体なので、歳をとって、美が壊れていくと、何の価値も無い生き物となります。
スポーツをする時も、そうです。
男だったら、激しいスポーツをする時には、邪魔な髪の毛は、切ってしまえば、それで、すみます。
しかし、女は違います。
女の髪の毛は、女の命ですから、髪の毛が、邪魔でも、切ることは、出来ないのです。
長い髪の毛は、後ろで、輪ゴムで、束ねて、不便な思いをしながら、プレーするしか、ないのです。
また、学問、や、芸術、に、おいても、女は男に劣ります。
これは、男尊女卑、などという、昔の習慣から来ているものでは、決してありません。
歴史を振り返ってみても、女の哲学者などという人がいたでしょうか?
一人もいません。
女の科学者というものが、長い歴史の中で、いたでしょうか?
いません。
キュリー夫人のように、ほんの僅かな、例外がいるだけです。
それは、なぜか、というと、女は美の主体ですから、仕事をする時でも、いつ、いかなる時でも、自分が、美しく見えるよう、お洒落に、気を使いながら、しなくてはなりませんから、男のように、仕事に専念するということが、出来ないからです。
漫画、や、小説、絵画、などの芸術においても、女の作品は、男の作品に劣ります。
少女漫画は、女性が描いていますが、あれを見ても、わかるように、女には、女を、美しく、可愛らしく、描くことは、出来ないのです。
女の漫画家が、少女漫画で描く、女は、何か、鄙びた、存在感の薄い女です。
それは、なぜか、というと、女は、美の主体だから、です。
美の主体が、「美」、を、描くことは出来ません。
なぜなら、女は、女というものの、嫌な面も、知っており、そのため、「女は、決して、美しい、きれいな生き物でない」、ということを、知っていますから、女を正直に描こうとすると、女の嫌な面、に、引っ張られてしまうので、女を美しいだけの、人間とは、描けないのです。
その点、男にとっては、女の容貌、も、女の肉体も、女の優しさ、も、客体であり、憧れの対象ですから、男は、女の美しい所だけを、取り出して、理想化して、描くことが出来るのです。
それは、小説においても、言えます。
私は、女の作家の書いた、小説で、魅力のある、可愛い、女、というものを、読んだことがありません。
そもそも、私は、女の作家の書いた小説は、ほとんど読みません。
男の作家にとっては、女は、憧れの客体ですから、女を美しく、優しく、書けるのです。
女は美の主体ですから、女の楽しみ、といったら、男たちに、「美しい」、と、見られる、快感、しか、ないのです。
つまり、女は、ナルシズムの快感しか、ないのです。
女が、ナルシズムの快感を楽しめるのは、10代から20代の、結婚するまでの、独身の、ほんのわずかな時間に過ぎません。女とは、いわば、セミのような、可哀想な生き物なのです。
こんなことは、私には、昔っから、直観力によって、感覚的に、わかっていることでした。
私は、大学三年の時から、小説を書き始めました。
私は小説に、どうしても、可愛い、女性を、登場人物として、出さなくては、気が済みませんでした。
そして、男も、登場させて、二人が、関係しあう、恋愛小説を書いてきました。
小説に出す、女には、モデルにしている人もいました。
もちろん、モデルなどいない、頭の中で、作り出した、女も、多くいます。
しかし、私は、現実の女を、忠実に、描く、という、スタンスは、とっていません。
モデルが、いる場合でも、私が書く女は、その女の性格の、いい所だけを、抽出して、描いた、理想化された虚構としての女、であり、あくまで、観念の女、なのです。
もし、本当に、外見においても、心においても、本当に、「美しい、優しい女」、というものが、この世の中に、存在するのであるのならば、私は、小説など、書かないでしょう。
つまり、私は、仏教で、言う所の、「色即是空」、で、いえば、私は、女の、「空」、を書いてきた、といえるでしょう。
私は、それらの事を、ワードで、文章に書いて、「男の優越性」、というタイトルをつけました。
そして、パソコンのデスクトップに、置きました。
もちろん、そういうことは、以前から、感覚的には、わかっていました。
私は、感覚的に、理解していることを、しっかりと、言葉に出して書くことで、曖昧だったものを、確固としたものに、したのに、過ぎません。
私は、私を悩ましていた、女の実体、を、より正確に認識することによって、女に悩まされていた、自分を、その呪縛から、解放できた、と思いました。
私は、毎日、小説を書くことに集中できました。
私の、生きている目的は、「小説を書く」、という行為だけなのです。
小説を書いていて、海水浴場で、体を露出している女たち、のこと、が、頭に浮かんでも、私が、書いた、女に対する、考察の文章である、「男の優越性」、を、読むことで、心を落ち着かせることが、出来るように、なりました。
しかし、頭で、そして、理屈で、わかっていても、ある程度の、時間が経つと、官能の欲求、が、起こってきました。
それは、どんなに、食欲、や、性欲、の原理、を、学問的に、理解しても、人間である以上、食欲、や、性欲、が、起こるのと、同じ理屈です。
それで、毎日、小説を書いていても、片瀬江ノ島の海水浴場で、ビキニ姿でいる女たち、を、見たい、という欲求が、つのってきて、その官能の悩み、で、小説創作が手につかなくなるほどに、なると、車で、片瀬江ノ島の、海水浴場に行き、ビキニ姿の女たち、を、見ました。
やはり、彼女らを、見ると、彼女らと、関わりたい、という欲求、と、それが出来ない、欲求不満、に、悩まされて、虚しく、家に帰ってきました。
仏教の、あらゆる、経典でも、「色即是空」、の後には、必ず、「空即是色」、と、続きます。
つまり、人間は、「空」、つまり、観念、だけの世界には、生きられないのです。
そして、片瀬江ノ島の、海水浴場に行き、ビキニ姿の女たち、を、見て、彼女らと、関わりたい、けれど、それが出来ない、欲求不満、を、解消するために、私は、相模大野の、マッサージ店に、行って、回春マッサージ、をしてもらって、欲求不満を解消する、という、生活を、繰り返しました。
私は、エロチックな小説も、多く書きます。
エロチックな小説を書いている時は、私の感性で、書ける、最高のエロティシズムを表現しようとします。
なので、エロチックな小説を書いていると、性欲が嵩じてくるのです。
耐えられないほどに。
なので、夏が終わり、9月になって、ビキニ姿の女、を、見られなくなっても、エロチックな小説を書いていて、性欲が嵩じてきて、小説が書けなくなるほど、耐えられなくなると、2週間に1回、くらいの割り合いで、相模大野の、マッサージ店に行って、回春マッサージ、をしてもらって、嵩じ過ぎた性欲の処理をしてもらいました。
しかしです。
ある時、性欲が嵩じて、それを、解消しようと、相模大野の、マッサージ店に、電話すると、つながりませんでした。
「この電話番号は現在、使われていません」
という、NTTの音声案内が出ました。
私は、急いで、パソコンを開いて、相模大野の、マッサージ店、のHP、を、見ました。
すると、相模大野の、マッサージ店の、HPが、なくなっていました。
これは、私にとって、大きな痛手でした。
というのは、私の、ストレス発散の場を失ってしまったからです。
おそらく、警察に摘発されたのでしょう。
メンズエステ店は、表向きは、マッサージ店、を名乗っています。
法的には、都道府県の公安委員会への届出が必要なのですが、現状は、届け出を出していない店がほとんどなのです。
そして、届け出を出していないので、税金も払っていません。
ほとんど、違法の商売なのです。
それでも、全国の、メンズエステ店は、あまりに多すぎて、警察も、取り締まりきれないのです。
全ての、メンズエステ店の、HPでは、「当店は性的サービスは、行っておりません」、と、書いてあります。
しかし、それは、健全なマッサージ店、であることを、装うためであり、実際には、性的サービス、を、行っている店も、あれば、行っていない店、も、あるのです。
どの店が、性的サービスを、行っているかは、わかりません。
しかし、性的サービス、を行っていることが、警察に知られると、摘発される可能性があるので、性的サービスを行っている、メンズエステ店、は、少ないのです。
私は、たまたま、運よく、相模大野で、最高の、回春マッサージ、をしている、メンズエステ店、を見つけることが、出来ました。
メンズエステ店、は、藤沢市、や、大和市、には、たくさん、ありますが、数少ない、回春マッサージ、を、している、メンズエステ店、を、見つけ出すことは、至難の業、なのです。
しかし、店がなくなってしまったのですから、仕方がありません。
私は、あせって、いくつかの、メンズエステ店、に行ってみました。
しかし、回春マッサージ、をしている店はありませんでした。
回春マッサージ、を、していることが、バレると、警察に摘発されますから、ほとんどの、メンズエステ店、では、回春マッサージ、は、していないのです。
私は、残念に思いながらも、もう、これで、メンズエステ店、に行くことなく、小説創作に専念できる、という、ほっとした面も、ありました。
私は、毎日、小説創作に、励みました。
しかし、やはり、男一人、というものは、さびしいものです。
マクドナルドなどで、男と女が、楽しそうに話しているのを、見ると、うらやましくて、仕方がありません。
「ああ。私も、可愛い、きれいな、優しい、恋人が欲しい」
と、私は、ため息まじりに、呟きました。
私は、テレビは、ニュースしか、見ません。
そして、ニュースを、見ることが、唯一の、息抜き、でした。
それは、世の中で、起こっている事を知りたい、という、誰もが、もっている欲求でありますが、同時に、美しい女子アナ、を、見ると、心が、癒されるからです。
女子アナ、は、海水浴場で、ビキニ姿、を、男に見せびらかせて、ナルシズムに浸っているだけの、つまらない女とは、違います。
女子アナ、は、みな、美しいのは、もちろん、ですが、性格が、真面目です。
女子アナは、テレビで、全国放送されますから、イヤリングをつけ、適度な、お洒落、の、身だしなみは、しています。
しかし、女子アナ、は、過度に、ナルシズムに浸る性格では、ありません。
なぜなら、彼女らは、ビキニ姿になって、ビキニ写真集を、出版する、ということを、しません。
性格が穏当なのです。
ニュースウォッチ9、の、井上あさひ、鈴木奈穂子、桑子真帆、など、みな、真面目な性格です。
報道ステーションの、小川彩佳さん、などは、日本が世界に誇れる、絶世の女子アナ、といえるでしょう。
そもそも、小川彩佳さんは、まさに、才色兼備、です。
小川彩佳さんは、学校では、成績はいつも、トップの主席でした。
大学二年次には、学科の成績最優秀者に贈られる学業奨励賞を受賞しています。
その上、日本舞踊(花柳流名取)、の永世名人、免許皆伝であり、TOEICは、915で、日本語、英語、スペイン語、は、ペラペラです。
小川彩佳さん、の、お父様は、慶応大学医学部の、耳鼻科の教授です。
そのため、大学進学の時は、医師である、父親に、医学部に行って欲しい、と、言われ、彼女は、東大理科三類(医学部)、を受験して、トップの成績で、合格しました。
しかし、彼女は、青山学院初等部、青山学院中等部、青山学院高等部、と、青山学院で学んできた、恩義と、青山学院の、学長に、「どうか、大学も、我が校に、進学して下さい」、と、泣いて頼まれ、大学は、青山学院大学の、国際政治経済学部、国際政治学科、に進学しました。青山学院としても、彼女ほどの逸材を輩出したとなれば、学校の名声も上がるのです。
もちろん、彼女は、青山学院大学の、国際政治経済学部、国際政治学科、を首席で卒業して、テレビ朝日に入社しました。
ここまでくると、好き、を、通り越して、小川彩佳さんは、近づくのも、恐れ多い、神のような存在です。
しかし、小川彩佳さん、以外でも、女子アナ、は、総じて、真面目で、成績優秀な人が多いのです。
私は、ネットで、女子アナ、らの、画像を、眺めて、「はあ。女と関わりたい」、と、ため息をつきました。
それは、女子アナ、に限らず、女一般、に、広がっていきました。
そんなことで、私は、また、だんだん、生きた女と、付き合いたい、という、欲求が、つのっていきました。

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