ライプニッツの予定調和は、単純に同感できる。もちろん私も予定調和説を信じている。
しかし、ルネッサンスの宗教改革者のカルヴィンの予定調和の考え方には、疑問がある。
あらかじめ、人間の一生や、この世は、神の意志によって決定されている、と考えるのならば、その説を人に主張したり、働くことが大切だから、熱心に働け、と主張する必要もないことになる。なぜなら、人間の一生や、この世は、あらかじめ、神の意志によって決定されている、のであるから、何もカルヴィンが熱心に自分の意志で他人に働きかけて、影響を及ぼそうとする必要もない、ことになる。からだ。カルヴィンが自分の意見を主張しても、主張しなくても、人間の人生は、影響を受けないことになるからだ。予定調和は、(あらゆる)人間(特に思想家)の行動や教えが、人間の運命を変えない、という考えなのだから。
しかし、カルヴィンが、この世に生まれた事、カルヴィンの他者への働きかけの行動や教えも、あらかじめ神が計画したものであり、カルヴィン自身の行動や教えも、神の予定調和として、あらかじめ神の予定調和の中に組み込まれていた、とも考えることも出来るわけだから、矛盾はない、とも言える。
予定調和は、自由意志の否定につながる。もちろん私は、(これだけは絶対、自分の物であると、全ての人間が信じている)自由意志はないと絶対的に確信している。
しかし、ルネッサンスの宗教改革者のカルヴィンの予定調和の考え方には、疑問がある。
あらかじめ、人間の一生や、この世は、神の意志によって決定されている、と考えるのならば、その説を人に主張したり、働くことが大切だから、熱心に働け、と主張する必要もないことになる。なぜなら、人間の一生や、この世は、あらかじめ、神の意志によって決定されている、のであるから、何もカルヴィンが熱心に自分の意志で他人に働きかけて、影響を及ぼそうとする必要もない、ことになる。からだ。カルヴィンが自分の意見を主張しても、主張しなくても、人間の人生は、影響を受けないことになるからだ。予定調和は、(あらゆる)人間(特に思想家)の行動や教えが、人間の運命を変えない、という考えなのだから。
しかし、カルヴィンが、この世に生まれた事、カルヴィンの他者への働きかけの行動や教えも、あらかじめ神が計画したものであり、カルヴィン自身の行動や教えも、神の予定調和として、あらかじめ神の予定調和の中に組み込まれていた、とも考えることも出来るわけだから、矛盾はない、とも言える。
予定調和は、自由意志の否定につながる。もちろん私は、(これだけは絶対、自分の物であると、全ての人間が信じている)自由意志はないと絶対的に確信している。