小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

孤独な医学生

2015-06-09 02:20:57 | 医学・病気
僕が奈良県立医科大学に、入った時のクラスに、一人、30代半ばの年配の人Sさん、がいた。彼は、誰とも話さなかった。僕も、無口で、内気で、内向的人間だが、友達は、欲しかった。ので、数人、友達は持てた。そもそも、医学部では、何かの、クラブに所属していないと、過去問題が手に入れられないから、どんなに、頭が良くても、努力家でも、卒業は、出来ないのである。他の学部の大学でも、同じだろう。大学とは、そういう所である。
僕の入った時の、クラスは、結構、真面目な生徒が多く、クラスのまとまりも、良かった。
しかし、僕は、大学四年の冬、過敏性腸症候群、および、それにともなう、不眠、うつ病、自律神経失調症、などか、ひどくなって、休学した。
休学して、下のクラスに、二学期に復学した。
このクラスは、ひどかった。誰とも、話さない、友達のいない、孤独なSさんが、いない時、Sさん、をクラス中で、笑いものにしていた。そのくせ、Sさんが、たまに学校に来ると、シーンとなった。僕が、入学した時のクラスは、そこまで、ひどくはなく、Sさんを、笑いものにすることも、一度もなかったし、むしろ、Sさんのことを、心配する生徒も、多少、いた。下のクラスは、ひどいクラスだな、と思った。

5年に進級した、ある授業の時、耳鼻科の研修医になりたての、女医が、出席を取っていた時、みんなが、ガヤガヤと、お喋りして、声があまりにも、うるさくて、彼女は、出席を、取りにくそうだった。僕は、教壇に出で行って、黒板に、「みんな。静かにしましょうね」と、書きたくて仕方がなかった。しかし、書かなかった。というか、書けなかった。

そんなことを、したら、おそらく、この低能で下等な、クラスのバカ連中どもは、私が、このクラスに、反抗している、とか、気取っている、とか、格好つけてる、とか、正義感ぶってる、とか、思うのは、明らかだったからだ。もちろん、このクラスにも、真面目な生徒は、かなりいるのだが、どうして、そういう注意すべきことを、注意しないのか、それが、全くわからなかった。真面目な生徒でも、感覚が鈍感なのである。
そんなことで、僕は、このクラスとは、友達が、ほとんど、出来なかった。そのため、過去問題も、手に入らないから、中間試験、や、卒業試験は、追試に次ぐ、追試だった。そのため、クラスの連中は、僕を、頭の悪いバカと、見ていた。しかし、医学部の試験なんてものは、教授は、毎年、同じ決まった問題しか出さないから、過去問題をもっているか、どうかが、全てなのである。過去問題をもっていれば、バカでも、満点を取れるが、過去問題をもっていないと、どんなに頑張って、勉強しても、試験には、通れないのである。

ちなみに、僕は、Sさんが、あまりに、かわいそうだったので、教養課程の、過去問題は、全部、とっておいて、三年に進級した時に、全部、Sさんに、まとめて、あげた。Sさんが、三年(基礎医学)に進級できたのは、僕が、Sさんに、教養課程の、過去問題を、全部、あげたからである。僕は、その時、大学の近くにある、飯屋に、Sさんを誘って、行って、少し話をした。その内容は、書かない。Sさんが、どういう気持ちなのかを、知りたかったからである。しかし、Sさんの、数少ない言葉を聞いても、Sさんが、何を考えているのかは、全くわからなかった。医学部に入ったら、誰でも、ちゃんと、卒業して、国家試験にも、通って、医者になりたいはずである。Sさんも、「医者になりたくて医学部に入った」と言っていた。それに、Sさんは、クラスで、一番といえるほど、すごい勉強熱心だった。それなら、どうして、通れるよう、努力しないのか、さっぱり、わからない。まあ僕も、話したくないことを、無理に口をこじあけて、聞きたい、とは思わない。結局、僕には、Sさんの精神構造が、さっぱり、わからない。まあ、飯屋に行った時も、あまり、根掘り葉掘り、人の心を聞くのは、失礼だと思っていたし、僕は恩着せがましいのが、大嫌いだし、また、それほど、Sさん、という人間に興味があるわけでも、なかった。結局、Sさんは、四年に進級できずに、三年で退学させられた。
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