小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

空手指導

2016-11-10 07:07:09 | 武道・スポーツ
昨日、一年ぶりに、テニススクールに行って、テニスをした。

技、というものは、一度、身についてしまえば、1年でも、2年でも、10年でも、やらなくても、技術を忘れるということはないのである。

子供が一度、自転車に乗れるようになったら、その後、1年間、自転車に乗らなくても、すぐに自転車を乗れるのと同じ理屈である。

極めて、まれに、1000人に一人、くらい、子供の頃、自転車を乗らないで、過ごしてきた人は、大人になっても、自転車を乗れない。

そういう人でも、自転車の練習を、意識してやれば、乗れるようにはなる。

さて。技術というものについて。

もし、やらない、長いブランクの後、出来なくなっていた、というのであれば、それは、正しい、「技」、が身についていない、ということである。

たまたま、僕の、空手の技を見て、「空手を教えて下さい」、と言ってきた人が、いたので、正しい正拳突き、の仕方を教えてあげた。

代わりに、彼は、ボクシングを、多少、習ったことがあって、僕は、彼からは、シャドーボクシングの仕方を、少し、教えてもらった。

こういうと傲慢だが。

テニススクールのコーチなど、全員、指導者として、クズであり、指導者と呼べるものではない。

指導能力などない。

指導能力がある、優れた人間とは、失敗した経験があり、悩み、自分で考えて、初心者だった時の、下手な時の自分の苦労を、覚えていて、初心者から、上級者へ、変わっていく、プロセスの理論、というものを知っている人であり、それは、僕のような、数少ない人間だけである。

ほとんどの人は、新しく、何かの、スポーツを始めようと思う時、躊躇する。

上手くなれるだろうか、上手くなれないだろうか、という不安で。

上手くなれず、結局、やめてしまうことになったら、練習に費やした時間や、買った用具の無駄になったり、回りの人に対して、恥ずかしいから、ためらうのである。

しかし僕は、どんな、スポーツを新たに始めても、全く不安はない。

それは、「お遊び」、なんかではない。

僕は、「やる」、と、思い決めたら、とことんまでやる。

それでも、僕が、不安を感じないのは、上達の理論、というものを知っているからである。

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