小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

スポーツの技術の上達は、練習量に比例するのではなく、階段状に上達する

2016-11-10 08:10:32 | 武道・スポーツ
何か、スポーツを始める。

その時、技術の上達は。

横軸に、時間の経過(練習量)として、縦軸に、上達の度合い、というグラフを作ると。

技術の上達は、練習量(横軸)に、比例して、上達していくのではなく、階段状に、上達していくのである。

つまり。練習しても、なかなか、上手くならない期間が続く。

それでも、あきらめず、熱意をもって、練習していると、ある時、パッと、「出来た」、と、感じる瞬間があのである。

スポーツをしている多くの人は、これを経験していると思う。

これは、脳の中で、(その運動の)運動の神経回路が、つながった、ということであり、専門用語で言えば、(租協調)が出来た、ということである。

これが、上達の階段が、一気に、飛躍した時である。

(租協調が起こった時は、すぐに反復練習して、やっと、つかんだ、上達のチャンスである、租強調を、精協調にすべきなのである)

しかし、その後、練習を続けていると、また、練習しても、上手くならない時期が長く続く。

しかし、あきらめないで、続けていると、また、いつか、「出来た」、と感じる瞬間があのである。

スポーツの上達は、この繰り返しである。

そして、技が、完全に身についたら、それは、つまり、達人になったということであり、プラトーの状態であり、それ以上は、何もないのである。

スキーで言えば、SAJのバッジテストで、1級(ウェーデルンが出来るレベル)、になったら、もう、その後は、上達もクソも何もないのである。

つまり、そこが、目的地であり、終着駅なのであり、目的を達成した、ということなのである。

その後、つまり、目的を達成した後、(そのスポーツ)を続けるということは、10年一日の、同じことの繰り返し、の毎日になるということなのである。

プロ野球、プロサッカー、つまり、全ての、プロスポーツ、オリンピック選手、全て、そうである。

あとは、持久力をつけるための、ランニング、とか、パワーを、より上げるための、筋トレ、とかの練習と、なるのである。

達人になった後、さらに、続けていくと、今度は、悪いクセ、というものが、つくことが、あって、それとの闘いとなるのである。

去年だったか、巨人の強打者たちが、それまでは、打てていたのに、去年(だったか)は、打てなくなった、というのが、いい例である。

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