小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

障害者と健常者を区別することが、そもそも間違い

2017-05-07 03:56:20 | Weblog
障害者と健常者を区別することが、そもそも間違い。
そもそも。障害者と健常者を区別することが間違い。なのである。
しかし。人間は、感情があるから、障害者を見ると、「可哀想だな」、とか、「生活が不便だろうな」、と思ってしまう。

人間は、どうしても、自分の主観でしか、物を見れない。

人間は、自分が、障害者の立場になったら、という見方で、障害者を見てしまう。
しかし、障害者が、どういう気持ちなのかを、正確に知っているのは、障害者、本人だけなのである。
健常者が障害者を見ると、どうしても、誤解、偏見、誤まった見方、になってしまう。
まあ、人間は、感情をもった生物であるから、それは、仕方がない。

「障害者は、健常者に対し、劣等感、引け目を、感じて、消極的になっている」

と、健常者は、障害者の外観から感じやすい。

障害者にとって、一番、有難いのは、感情の無い、ロボットである。

障害者にとっては、健常者の、同情の目が、つらいのであって、ロボットは、感情がないから、障害者は、ロボットに見られても、恥ずかしくないのである。

しかし。障害者も健常者も、同じ人間である。

障害者でも、ワガママな人もいれば、悪いことも考えれば、犯罪も犯すし、不道徳なこともする。

また、障害者は、健常者に、対し、優越感をもっている、ことだって、いくらでも、ある、だろう。

現在の、パラリンピックの技術レベルは、非常に高い。

パラリンピックの選手の中には、健常者に対して、「もし。お前らが、障害者だったら、オレみたいに、障害をもちながら、こんなに、努力できる根性があるか?」

と、内心、思っている人もいるだろう。

僕は、星野富弘さんが、うらやましい。
星野富弘さんの、気持ちは、星野さんにしか、わからないが。
頸髄損傷で、失ったものの代わりに、得た物の方が、あまりにも、大きすぎる。
詩人、画家として、全国の書店の、一番、目立つ所に、星野さんの、詩を書いた、絵葉書が並べられ、何億とかけて、富広美術館が建てられ、世界中に名が知られ、何百万人と、氏の作品を買い、はては、群馬県名誉県民にまで、なった。
富広さんが、頸髄損傷しなかったら、どこにでもいる、無名の一介の体育教師で終わっただろう。
これは、星野富広さんの、強靭な生命力、と、生きることへの、大変な、努力の結果では、あるが。

だから、健常者と障害者という区別をすること、が、間違いなのである。

ただ、障害者は、社会では、どうしても、不便な条件にある。
社会は、基本的に、圧倒的多数である健常者を基準に作られているからだ。
だから、障害者を、健常者が、バリアフリーとして、手助けすることは、必要なことだ。
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