小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

世間の人間の目は節穴である

2017-05-04 11:29:10 | 考察文
私は、このブログで、2014年1月28日に、「乙武洋匡氏」、のことを、批判的に書いた。

そもそも、私は、1998年に、「五体不満足」、を、出版した時から、彼の本性を見抜いていた。

「五体不満足」、が、ベストセラーになることも、予測していた。

世間の人間は、一人の例外もなく、乙武洋匡氏を、「障害があっても、くじけずに、明るく、前向きに、強く生きている、立派な青年」、と思っていた。

しかし、私は、「五体不満足」、など、読まなくても、大方の内容など、わかるし、わざわざ買うのが、バカバカしくて、買わなかった。

世間の人間は。「単なるワガママ」、を、「勇気のある、積極性」、と、見なしていた。

私も、先天的な、病気もち、だから、わかるのだが。

先天的な自分の属性は、自分の、identity なのである。

僕は、顔も、そんなに良くないし、(これは謙遜。本当は普通)、病気もち、である。

しかし、だからといって、僕は、美容整形したいとも、顔を変えたいとも思わない。

それが、僕という人間の精神を、作っている identity だからである。

自分の、identity とは、大切なものである。

これは、医学部6年の時、心臓外科(第Ⅲ外科)の、レクチャーで聞いて、今でも、はっきり、その光景を覚えていることだが。

難病や障害者の患者は、「障害者一級認定」、を欲しくて欲しくてしようがないのである。

「障害者認定」されると、色々なことが、フリーパスになるからだ。

乙武氏も、「障害者は、国家から最大限の福祉を受ける権利がある」、という、世間の常識を、逆手にとった、単なるワガママ人間に過ぎない、と、僕は最初からわかっていた。

もし、世の中の人間が、全て、一つ目小僧だったら、どうなるか?

二つ目がある人間は、異端児、異常人間、となって、恥ずかしくて、外を歩けなくなる。

「どうか、僕を一つ目にしてくれ」、と、医者に頼むか、神に祈るだろう。

彼の内容は、カラッポである。



しかし、まあ、過去のブログ記事は、自由に変えることが、できるので、彼が、不倫騒動を起こした、2016年3月、以前の、2014年1月28日に、乙武洋匡について、批判的な記事を書いた、と言っても、事後、書き直した、のだろうと、思われるかもしれない。

しかし、僕は、過去、書いた記事は、修正しないし、見ない主義である。

ブログでも、ホームページの、小説でも、書きたいことは、無限にあるからだ。

それに、ブログは、「昔、あんなことを、考えていたんだな」、と、自分の、昔の気持ち、を、知る記録にもしたいからである。

だから、僕は、ブログの過去の記事は書き直さない。面倒くさいし。

小説も、書き直す、ということを、しない。

小説は、書いている時だけが楽しくて、書き直すのは、ものすごく、退屈で、労力がいる、つまらないことだからだ。
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