小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

僕は、動物園の動物のショーが大嫌いだ

2017-07-18 05:57:52 | 考察文
昨日、NHKで、動物園での、動物のショーの番組をやっていた。

僕は、見ていて、ヘドが出た。

あれを、日本国民の、全ては、動物に対する愛、だと、思っている。

「人間は暴力によって、他の動物、全てを支配しているのである」

↑これは、間違いない事実である。

人間が、一番、知能が発達した動物だからだ。

だから、人間は、動物を殺して、食べ、、動物を実験材料にして、医学、生物学、を発達させている。

しかし、その方が、僕は、抵抗を感じない。

なぜなら、人間が、生きていくためには、それは、仕方がない行為だからだ。

しかし。

動物を、せまい檻の中に入れて、徹底的に、芸を仕込んで、人間の、見世物にする、という行為は、別に、しなくても、人間は、生きていけるのだ。

動物園や、動物のショーなどは、無くても、人間は、生きていけるのだ。

「人間の、娯楽のために、動物を調教して、オモチャにしているのだ」

これを、動物に対する、「愛」、などと、バカな人間どもは、勘違いしている。



確かに、動物は、感情があり、飼育員との間には、「愛」、の感情の関係が生まれる。

しかし、それは結果論だ。

また。希少動物だったら、その保護、という行為は、悪くない。し、むしろ、良い。

しかし。

所詮。

動物園での、動物のショーなどは、無くても、人間は、生きていけるのであり、動物のショーとは、人間の、娯楽のために、動物を調教して、オモチャにしている行為であり、そんなもの、無くても、人間は、生きていけるのである。

動物は、自然の中で、自由に生きさせる方が、いいのだ。

それが、自然の摂理であるはずだ。

一方。

動物を、食用のために、食べたり、医学、生物学の向上のために、実験材料として、使うのは、人間が生きていくうえで、やむを得ない、仕方がない行為なのである。

だから、僕は、動物ショーの方が、見ていて、胸糞悪くなる。

なぜなら、動物園や動物ショーは、それが、無くても、人間は、生きていけるからだ。

(入場料をとることによるによる、人間の、経済活動である、という理屈もつけられるが)

これを、僕以外の、全ての人間は、動物愛護だと勘違いしている。



もし、人間より、知能の発達した、動物(A)が出現して、人間を支配し、動物A、が、あなたを、群れ(人間社会)から、隔離して、せまい檻の中に閉じ込め、あなたに、芸を仕込ませ、動物A、の見世物にする、ということになったら、あなたは、幸せを感じるのだろうか?

特に、いくらでも、無限の空間を飛び回れる、鳥を、ほんの、ちっぽけな鳥籠の中に閉じ込められたら、鳥は、幸せだろうか?

動物をかわいがる、という、言葉に名を借りた、人間の、エゴ、以外の何物でもない。
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