小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

叔父との再会

2015-03-24 02:57:41 | Weblog
3月12日(木)に、叔父(母親の弟)が来た。
叔父は、去年の秋、自由学園の同窓会に出で、川崎の多摩ニュータウンに親しくなった人が、出来たので、その人に会いに行くついでに、「久しぶりに話さないか」と言ってきたのである。
私は、叔父が、かなり好きだったので、二つ返事で了解した。叔父は、静岡の大井川を越した金谷に住んでいる。私も叔父も、中学、高校は、自由学園なので、結構、話が出来るのである。また、私は、小学校の四年の時、半年くらい、金谷で過ごして、金谷小学校に通ったので、その時、叔父とは、多少、話す機会があった。(その辺のことは、自分史、ビタ・セクシャリス、で書いている)今年の正月に、叔父から年賀状が来た。10年前に、叔父と会う機会があって、「何してるの?」と聞いてきたので、「小説書いてる」と言ったら、見せて欲しい、と言ったので、フラッシュメモリに、15作くらい、無難な、小説を入れて、渡した。叔父は、私の小説を読んでから、私を、見直すようになった。小説なんて、たいした物じゃないだろうと、おそらく先入観をもっていたのだろうが、確かに、たいした物じゃないけど、私は、軽い気持ちで、いい加減に書き流す小説なんかは、書かない。大袈裟な言い方をすれば、全身全霊を込めて、必死で書いている。だから、ちゃんとストーリーにも、なっていて、読みやすいし、読み応えもあるのである。叔父の年賀状には、「まだ、小説を書いているのなら、ぜひ読みたい」と書いてあった。なので、叔父が来た時、フラッシュメモリに、15作くらい、無難な、小説を入れて、渡した。叔父は、10年前に会った時は、かなり、老けていたが、今回、会ったら、思ったより、老けていなかった。ノルディック・ウォーキングをしている、と、聞いていたので、かなり、鍛えているのだろう。近くの和風レストランに入った。久しぶりに再会なので、叔父は、豪華な料理を注文するかと思ったが、とろろ蕎麦しか注文しなかった。食生活もカロリーを考えているのだろう。私は、聞き手になろうか、話して、になろうか、と思ったが、聞きたいことの方が多かった。叔父は、恋愛結婚で、きれいな人と結婚した。どういう機会に、どういう経緯で知り合ったのか、それが知りたかった。面白ければ、脚色して、創作も加えて、小説にしたいと、思っていた。大体、小説家なんて、ものは、絶えず、小説になるネタを探しているのである。しかし、叔父は、恥ずかしがって、あまり話してくれなかった。話は、たわいもないものばかりだった。ただ、沖縄に住んでいる私の父親が、叔父にも、沖縄に住むよう勧めている、ということを知った。叔父は、なぜ、沖縄なのか、わからないようだった。私は、もちろん、すぐに分かった。私の父親は、横暴で、わがままで、「他人に厳しく、自分に甘い」人間なのである。あんな、わがままな人間は、めったに、いるものではない。父親は、楽なこと、楽しいこと、面白おかしいことを、求めることしか、考えていない、だらけきった人間なのである。そして、もちろん、バカである。叔父は、母とは兄弟なので、母に対する認識は正確である。しかし、叔父は、父に対しての認識は、あまり正確ではない。私は、「私は、体調、健康が悪くて、病気との戦いの人生だから、将来の計画など立てていない。いつ死ぬかわからない。だから、毎年、今年一年、必死に生きることが、私の人生設計で、来年のことは、考えていない」と言った。そしたら、叔父は、「なるほど。そうだったのか」と、私の人生観を理解したようだった。また、私は、結婚や子供を生むことに関して、「世間では子供が生まれると、諸手で喜ぶだけだが、私はそうは思わない。なぜかというと、子供が、病弱でなく、健康で、顔も、かわいくて、頭も良ければいいが、そうでなかったら、可哀想だから、私は慎重なので、そういう危険な賭けはしない主義」と言った。叔父は、2500ccの、富士重工の、立派な車で来た。それは、なぜだか、わからない。定年で年金暮らしなのに。私なんかは、1000ccの中古車だが、燃費がかかるので、前、車、買う時、660ccの軽自動車にすれば良かったと、つくづく後悔している。
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