前に、「共産主義はなぜ悪いか」、というのを書いた。
その時、僕は、共産主義の思想統制が悪い、と、書いた。
もちろん、それも、あるが。
それ以上に、もっと、悪いことがある。
それは、労働と、所得の問題である。
これは、人間の本質的な問題である。
ソ連も、中国も、共産主義国家として、出来た当初は、経済は。
個人の私有財産を認めない、国家の計画経済だった。
不況に強く、所得の格差の無い、富が公平である点が、いい点である、と思われた。
自由主義経済は、その逆である。
☆
さて。
僕自身を考えると。
人間とは、どうしても、怠ける動物である。
楽をしたい動物である。
それは、意志の強い、僕にも、当てはまる。
何も、仕事でなくても。何事でも。
たとえば。
僕は、健康のため、運動しなくては、生きていけない。
生きていけない、とまでは、言わないが、運動しないと、QOL(生活の質)、が、下がる。
ほとんど、何も出来なくなってしまう。
しかし、「今日は、体育館に行くの、おっくうだな」、と思って、行かない時もある。
そうすると、夜、眠れなかったり、便秘が悪化する。
しかし、それは、自業自得なのである。
だから、僕は、怠けた時は、それは、自分の意志の責任で、怠けた自分が悪いと思う。
人間は。
「努力する人間は、立派なのであって、努力しない人間は、立派でない、怠け者なのである」
この命題を否定する人は、いないと思う。
共産主義では、この感覚がないのである。
ただただ、「人間は平等であるべきだ」
という、考えなのだ。
「人間が平等であるべき」なのは、「人種や思想や血統などによる差別を、決してしていけない」、という点に於いてのみ、言えることである。
し、また、そうであるべきなのだ。
それ以外のことでは、人間は、不平等でいいのだ。
もっと積極的に言うと。
人間は不平等であるべきなのだ。
「努力して働いた人間は、収入を多く得て、働かずに怠けている人間は、貧乏となる」
というのは、当たり前の、倫理観であって、何ら間違いはない。
だから、格差が出来てしまうのは、何ら、悪いことではない。
(ただ、病人や障害者のように、働きたくても、働けない人に対しては、政府が、福祉として、生活できるよう、金を支給することは、悪いことではない。し、また、そうするべきなのだ)
また。
官僚の、天下り、や、政治家の、賄賂、など、卑劣な方法で、怠けて、高収入を得る、ことは、いうまでもなく、悪いことだ。
それによって出来る格差は、問題とするべきである。
しかし、そういうこと、以外のことでは。
「努力して働いた人間は、収入を多く得て、働かずに怠けている人間は、貧乏となる」
という物事の当然の道理から。
「人間は不平等であるべきなのだ」
☆
慶応大学の創始者の、福沢諭吉は、「学問のすすめ」、で、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」、と、人間の、平等性を言っている。しかし、その後、何と言っている。
その時、僕は、共産主義の思想統制が悪い、と、書いた。
もちろん、それも、あるが。
それ以上に、もっと、悪いことがある。
それは、労働と、所得の問題である。
これは、人間の本質的な問題である。
ソ連も、中国も、共産主義国家として、出来た当初は、経済は。
個人の私有財産を認めない、国家の計画経済だった。
不況に強く、所得の格差の無い、富が公平である点が、いい点である、と思われた。
自由主義経済は、その逆である。
☆
さて。
僕自身を考えると。
人間とは、どうしても、怠ける動物である。
楽をしたい動物である。
それは、意志の強い、僕にも、当てはまる。
何も、仕事でなくても。何事でも。
たとえば。
僕は、健康のため、運動しなくては、生きていけない。
生きていけない、とまでは、言わないが、運動しないと、QOL(生活の質)、が、下がる。
ほとんど、何も出来なくなってしまう。
しかし、「今日は、体育館に行くの、おっくうだな」、と思って、行かない時もある。
そうすると、夜、眠れなかったり、便秘が悪化する。
しかし、それは、自業自得なのである。
だから、僕は、怠けた時は、それは、自分の意志の責任で、怠けた自分が悪いと思う。
人間は。
「努力する人間は、立派なのであって、努力しない人間は、立派でない、怠け者なのである」
この命題を否定する人は、いないと思う。
共産主義では、この感覚がないのである。
ただただ、「人間は平等であるべきだ」
という、考えなのだ。
「人間が平等であるべき」なのは、「人種や思想や血統などによる差別を、決してしていけない」、という点に於いてのみ、言えることである。
し、また、そうであるべきなのだ。
それ以外のことでは、人間は、不平等でいいのだ。
もっと積極的に言うと。
人間は不平等であるべきなのだ。
「努力して働いた人間は、収入を多く得て、働かずに怠けている人間は、貧乏となる」
というのは、当たり前の、倫理観であって、何ら間違いはない。
だから、格差が出来てしまうのは、何ら、悪いことではない。
(ただ、病人や障害者のように、働きたくても、働けない人に対しては、政府が、福祉として、生活できるよう、金を支給することは、悪いことではない。し、また、そうするべきなのだ)
また。
官僚の、天下り、や、政治家の、賄賂、など、卑劣な方法で、怠けて、高収入を得る、ことは、いうまでもなく、悪いことだ。
それによって出来る格差は、問題とするべきである。
しかし、そういうこと、以外のことでは。
「努力して働いた人間は、収入を多く得て、働かずに怠けている人間は、貧乏となる」
という物事の当然の道理から。
「人間は不平等であるべきなのだ」
☆
慶応大学の創始者の、福沢諭吉は、「学問のすすめ」、で、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」、と、人間の、平等性を言っている。しかし、その後、何と言っている。