マンガ、「巨人の星」には、揚げ足をとると、100以上の矛盾がある。
マンガは、元々、デタラメでいいものだから、現実性という観点から、批判するのは、嫌いである。
というか、現実には、出来ない夢のようなことを、マンガにして楽しむものなのだ。
なので、マンガの、揚げ足取りは、したくない。というのが、私の本心である。
しかし、現実との矛盾点を、書くことも、別に、そんなに、悪いこととは、思わない。ムキになって批判するのが、みつともない、と思うだけである。
「巨人の星」で、誰も気づいていない、一番の矛盾。
それは、ラストである。
星飛雄馬は、大リーグボール三号で、パーフェクトゲームを達成する。大リーグボール三号は、強打者の強いスイングによって、ボールがバットをよけて通る、魔球である。なので、強打者には、打てないが、非力なピッチャーには、打てるということになっている。
そこで、ラストバッターの伴宙太に、逆立ちを、長い時間させておいて、力が入らないほどに、疲れさせておく。そして、伴は大リーグボール三号、を長打するが、走る体力もないので、這って一塁に向かい、アウトになる。(マンガでは、アウトかセーフか、結論が出なかった)
これは、あまりにも、おかしい。星飛雄馬が、腕を壊すのは、最後の一球である。それまでは、腕は壊れていない。だから、フラフラな状態の伴が、打席に立ったら、星は剛速球を投げれば、伴は、三球三振である。なにも大リーグボール三号で、勝負する必要など全くないのだ。
そうすれば、星は、文句なく、パーフェクトゲームを達成したし、腕を壊すこともなかったのだ。
しかし、おそらく、そのことは、誰も気づいていないだろう。
梶原一騎の、ストーリーのド迫力に、引きずり込まれてしまって、読者は、冷静な思考が出来なくなってしまっている。
大リーグボール二号(消える魔球)にしたって、花形満の、意表をつく、一本足打法で、足を上げ損ねてしまったために、打たれただけで、以後、気をつければ、大リーグボール二号は、通用する。
さらには。大リーグボール一号も、破られてはいない。大リーグボール一号は、打者のバットの動きを予測して、バットに当てる魔球である。これは、星一徹とオズマによって、破られたように書かれている。ど真ん中にバットを差し出すことに、よって、大リーグボール一号は、ど真ん中に行ってしまう。それを、大リーグボール打倒ギプスの特訓によって、素早く、引き戻し、絶好球になった、ど真ん中におびき寄せた、ボールを打つ、というのが、大リーグボール一号の完璧な打倒作となっている。しかし、よく考えてみたまえ。これは、星が大リーグボール一号を、投げる、とバッターが、わかっている時だけに、通用する、ことである。バッターは、星が大リーグボール一号を投げてくるのか、剛速球を投げてくるのかの、予測は、出来ないのだ。だから、星が大リーグボール一号を、投げるとバッターが予測して、それが当たった時だけ、バッターは、大リーグボール一号を、打てるのだ。しかし、バッターは、星が大リーグボール一号を、投げてくるのか、それとも、剛速球を投げてくるのかの予測は、出来ない。むしろ、現実のプロ野球では、ストレートに山をはっている場合、山がはずれて、変化球がきたら、まず打てない。のが普通である。だから、大リーグボール一号は、星一徹とオズマの特訓をしても、通用する。のである。
他にも、色々、矛盾は、あるが、一番の問題点は、梶原一騎は、次々と、強い強敵と戦う、という、格闘技マンガの方が、書きやすいのであって、(勝負は一回だけ)プロ野球のような、何度も戦う、リーグ戦には、梶原一騎の気質には、向かないのである。
マンガは、元々、デタラメでいいものだから、現実性という観点から、批判するのは、嫌いである。
というか、現実には、出来ない夢のようなことを、マンガにして楽しむものなのだ。
なので、マンガの、揚げ足取りは、したくない。というのが、私の本心である。
しかし、現実との矛盾点を、書くことも、別に、そんなに、悪いこととは、思わない。ムキになって批判するのが、みつともない、と思うだけである。
「巨人の星」で、誰も気づいていない、一番の矛盾。
それは、ラストである。
星飛雄馬は、大リーグボール三号で、パーフェクトゲームを達成する。大リーグボール三号は、強打者の強いスイングによって、ボールがバットをよけて通る、魔球である。なので、強打者には、打てないが、非力なピッチャーには、打てるということになっている。
そこで、ラストバッターの伴宙太に、逆立ちを、長い時間させておいて、力が入らないほどに、疲れさせておく。そして、伴は大リーグボール三号、を長打するが、走る体力もないので、這って一塁に向かい、アウトになる。(マンガでは、アウトかセーフか、結論が出なかった)
これは、あまりにも、おかしい。星飛雄馬が、腕を壊すのは、最後の一球である。それまでは、腕は壊れていない。だから、フラフラな状態の伴が、打席に立ったら、星は剛速球を投げれば、伴は、三球三振である。なにも大リーグボール三号で、勝負する必要など全くないのだ。
そうすれば、星は、文句なく、パーフェクトゲームを達成したし、腕を壊すこともなかったのだ。
しかし、おそらく、そのことは、誰も気づいていないだろう。
梶原一騎の、ストーリーのド迫力に、引きずり込まれてしまって、読者は、冷静な思考が出来なくなってしまっている。
大リーグボール二号(消える魔球)にしたって、花形満の、意表をつく、一本足打法で、足を上げ損ねてしまったために、打たれただけで、以後、気をつければ、大リーグボール二号は、通用する。
さらには。大リーグボール一号も、破られてはいない。大リーグボール一号は、打者のバットの動きを予測して、バットに当てる魔球である。これは、星一徹とオズマによって、破られたように書かれている。ど真ん中にバットを差し出すことに、よって、大リーグボール一号は、ど真ん中に行ってしまう。それを、大リーグボール打倒ギプスの特訓によって、素早く、引き戻し、絶好球になった、ど真ん中におびき寄せた、ボールを打つ、というのが、大リーグボール一号の完璧な打倒作となっている。しかし、よく考えてみたまえ。これは、星が大リーグボール一号を、投げる、とバッターが、わかっている時だけに、通用する、ことである。バッターは、星が大リーグボール一号を投げてくるのか、剛速球を投げてくるのかの、予測は、出来ないのだ。だから、星が大リーグボール一号を、投げるとバッターが予測して、それが当たった時だけ、バッターは、大リーグボール一号を、打てるのだ。しかし、バッターは、星が大リーグボール一号を、投げてくるのか、それとも、剛速球を投げてくるのかの予測は、出来ない。むしろ、現実のプロ野球では、ストレートに山をはっている場合、山がはずれて、変化球がきたら、まず打てない。のが普通である。だから、大リーグボール一号は、星一徹とオズマの特訓をしても、通用する。のである。
他にも、色々、矛盾は、あるが、一番の問題点は、梶原一騎は、次々と、強い強敵と戦う、という、格闘技マンガの方が、書きやすいのであって、(勝負は一回だけ)プロ野球のような、何度も戦う、リーグ戦には、梶原一騎の気質には、向かないのである。