小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

少年とOL

2021-06-04 03:37:59 | 小説
「作家でごはん」に、出した、掌編小説「少年とOL」に、すももりんごさんという女性が、こうコメントしてくれました。

その前に、「少年とOL」の掌編小説。

「少年とOL(小説)」

一人の少年が自転車を止めてうらやましそうに海水浴場を眺めている。少年の名前は山野哲也。内気で引っ込み思案で、友達も一人もいないので、勉強しかする事がないのである。夏だというのに毎日机に向かって勉強している。目前の砂浜で満面の笑顔で夏を楽しんでいる男女が、山野の目には絶対手のとどかない別世界の人間のように見えるのである。山野は泳ぐのが好きだったので、自分も夏を楽しもうと一夏に何回か、海沿いの公営プールに自転車で行って思うさま泳いだ。が、一人きりというのはこの上なく虚しかった。山野はうらやましげにビーチを眺めた。
「あーあ。僕には入れない世界なんだな」
山野はブレーキレバーをギュッと握って、溜め息交じりに心の中でつぶやいた。
「さあ。プールへ行こう」
山野が呟いた時、山野はポンと後ろから肩を叩かれた。振り返ると週間雑誌の表紙から抜け出したような、綺麗なビキニ姿の美しい女性が笑顔を向けている。
「ボク、彼女を待っているの」
「い、いえ」
「彼女いないの」
山野は恥ずかしそうに無言で肯いた。
「私、東京から来たの。夏の出会いを求めて」
「よかったら、今日、一緒に遊ばない?」
「ぼ、僕なんかでいいんですか」
「願ってもないわ」
「でも、もっとお姉さんと同じ年くらいのハンサムな人がいいんじゃないですか。僕にはもったいなくて申し訳ないです」
「いいから行こうよ」
彼女は山野の手を曳いて、ビーチの方へ歩き出した。
「本当言うと、ボクに目をつけていたの。男の人って、しつこくつきあいを要求してきたり、Hな事に強引に誘う人が多いのよ。その点、ボクくらいの子なら安全なのよ。」
「それに私、ボクのようなおとなしい子が好きなの」

海の家に荷物を預けて、海水パンツ一枚になって出てくると、彼女は待ってましたとばかり山野の手をつかんで、満面の笑顔で海へ向かって駆け出した。
海水にそっと足を浸すと彼女は、
「冷たいー」
と、叫んで、体を硬直させた。
はてしのない無限の青空。
ギラギラ照りつける真夏の太陽。
ビーチに流れるサザンの爽やかな曲。
セクシーなビキニ姿の美しい年上の女性。
(ああ。これが青春というものなんだな)
山野は嬉しさのあまり、大声で笑い出した。
「どうしたの。山野君」
「うれしいんです。最高に」
彼女はクスッと笑って、山野の手をギュッと握った。
二人は手をつないで、寄せ手は引く波と戯れたり、水をかけ合ったりした。
昼食は荷物を預けた海の家で食べた。
山野はヤキソバとオレンジジュースを注文した。彼女はたこ焼きとコーラを注文した。
「山野君。アーンして」
と彼女が言うので、山野が口を開けると、彼女はたこ焼きを爪楊枝で刺して、山野の口の中に放り込んだ。山野が咽るのを彼女はイタズラッっぽく笑った。
「今度は私にもして」
と言われて山野は申し訳なさそうに、ヤキソバを少量箸でつまんで彼女の口にそっと入れた。

その後はもっぱら日光浴の休息となった。
海の家で借りたビニールシートを砂浜の上に敷くと彼女はその上にうつぶせに寝て、日焼け用オイルを山野に渡した。
「山野君。ぬってくれない」
「ど、どこにですか」
「もちろん体全部よ」
山野はおぼつかない手つきで足首から膝小僧のあたりまでプルプル手を震わせながら塗った。それ以上はどうしても触れられなかった。変なところに触れて彼女の気分を損ねてしまうのが恐かった。
「あん。そんなんじゃなくって、水着以外のところは全部ちゃんと塗って」
今度はしっかりオイルを塗ることが山野の義務感になった。山野は彼女に嫌われたくない一心からビキニの線ギリギリまで無我夢中で塗った。
スラリと伸びたしなやかな脚。細い華奢なつくりの腕と肩。細くくびれたウェスト。それとは対照的に太腿から尻には余剰と思われるほどたっぷりついている弾力のある柔らかい肉。それらが全体として美しい女の肉体の稜線を形づくっている。
「気持ちいいわ。山野君のマッサージ。ありがとう」
彼女は目をつぶったまま、うっすらと微笑した。
山野は、はたしてこれが本当に現実なのかと思って頬っぺたをつねってみた。痛かったので、これは現実だと確信することにした。

急にゴロゴロッと雷鳴が鳴って、ポツリポツリと雨が降り出した。彼女はむくっと起き上がって手をかざした。
「ああ。残念。雨が降り出しちゃったわね。帰ろうか」
「はい」
二人は海の家に戻った。彼女は白のタイトスカートに薄桃色のカーデガンを着て出てきた。
「あそこで少し休もう」
彼女は海岸沿いの道を隔てたファミリーレストランを指差した。
二人は店に入ると海の見える窓際の席に向かい合って座った。
「山野君。携帯持ってる」
「はい」
山野は急いで携帯をカバンから出した。彼女はそれをとるとピピピッと操作してから山野に返した。
「へへへ。私の携帯の番号とメールアドレス、登録しちゃった」
「あ、ありがとうございます」
「よかったら山野君のアドレス、教えてくれない」
「はい」
山野は急いでメモ帳をちぎって自分の携帯の番号とメールアドレスを書いて彼女に渡した。
彼女はすぐにそれを自分の携帯に登録した。
「山野君。よかったら、また会ってくれる」
「し、幸せです。お姉さん」

夏休みが終わった。皆、北海道へ行ったの、海外へ行ったの、と自慢している。山野は眼中にない。一人が山野をからかった。
「おい。山野。お前、どうせ家で勉強ばかりしてたんだろう。だがな太陽の元で青春を謳歌するってのは、素晴らしい事なんだぜ。まあ、ガリ勉はせいぜい頑張って東大へでも、どこへでも行ってくれや」
「でも官僚になっても賄賂はするなよな」
ははは、と笑って彼らは去っていった。山野は彼らの揶揄を俯いて聞きながら、彼らが去ると同時にフンとせせら笑いながら、携帯のメールの着信ボタンをおして昨日きた美奈子からのメールを嬉しそうに開けた。
「山野君。この前はありがとう。今度の日曜、大磯ロングビーチへ行かない。勉強のジャマでなかったら。大磯駅で正午に待ってます。美奈子」
(おくれているのはお前達の方さ)
「はい。全然勉強のじゃまじゃないです。喜んで行きます。山野」
こう書いて、得意気に送信ボタンを押した。



すももりんごさんの感想。

浅野浩二様。少年とOL(小説)を読みました。無垢でまだ大人の男女関係を知らない受験生の少年がモデルのようなお姉さんと出会った。お姉さんが一人でいる事情や気まぐれで声をかけられた。そして夢のような出会い。
「私、東京から来たの。夏の出会いを求めて」
「よかったら、今日、一緒に遊ばない?」
「ぼ、僕なんかでいいんですか」
こういう心理的描写は想像が広がり小説の中に引き込まれます。いつの間にか自分がそのお姉さんになり、いたずらで純朴で無垢な少年の可愛い欲を満たしてやろうと思ったりします。綺麗なお姉さんなのに何故出会いを求めて一人でいるの?想像が広がります。夏の様子も良く分かります。こういう小説はもっと長く書いてください。期待してます。本文は単に文字だけです。小説を否定してる訳でないのです。想像力が変にありすぎて、その文字だけが一人歩きしてしまうのです。



これは、僕が、中学生の頃の願望を、小説にしたものです。
内気で、友達もいなく、由比ヶ浜の、海水浴場に入りたくても入れなかった、願望を小説にしたものです。この小説は、成熟した大人の女に憧れる男の子のために、書きました。
中学生くらいの男の子は、こういう願望をもっている子が多いんじゃないかと思います。
しかし、女の人が、小説の女の人に、感情移入してくれる、とは予想外でした。

「年下の少年と大人の女の恋」の小説は、他に、「図書館」、「ボディーボードの女」、というタイトルで、書きました。
ホームページにアップしてあります。
>本文は単に文字だけです。小説を否定してる訳でないのです。想像力が変にありすぎて、その文字だけが一人歩きしてしまうのです。
これは、「男女入れ替わり物語」の感想です。



ルイ・ミモカさんの感想。

浅野さんの作品があったので、読ませていただきました。

読みやすく、歯切れのよいリズムを持った文体だと思います。

キャラクターもそれぞれに個性的で、楽しく読めました。

登場人物のセリフなど、生き生きとした感じがあってよかったです。

こういうテンポの良い文体って、読んでいて気持ちいいなって思いました。

これは、お世辞ではなく、本心だと思います。
自分でも、全くその通りだと思ってますので。



「作家でごはん」に小説を投稿している人の作品は、玉石混交といった感じで、上手い人は、すごく上手い。
しかし、小説をラストまで書かないで、つまり完成作品ではなく、小説の冒頭部分だけを、投稿している人が非常に多い。
僕は、この心理が全くわからない。
僕は小説は、料理を作るコックの心理と同じだと思っている。
これは、芸術一般に言えることだと思う。
コックは、出来あがった料理だけを、客に出したいと思っていると思う。
料理を作っている途中は見られたくはないと思っていると思う。
(客のなかには、調理過程を興味本位で見たいと思っている人もいるかもしれないが、そういう人は少ないと思う)
しかしコックの方では、調理過程で、まだ、出来あがっていない料理は、絶対、客に見せたくないと思っていると思う。
そして、コックの喜びは、完成した料理を、お客に出して、お客が、「うわー。美味しそうー」と喜ぶのを、見る喜びが、コックの喜びなのだと思う。
小説(芸術一般)も、そうだと思う。
なので、未完成作品を投稿する人の心理が僕には、全くわからない。
もちろん、僕も、書きかけの作品は、たくさんあるが、それは、パソコンに保存しておいて、絶対、書きかけの作品など、人に見せない。
僕の小説は、全部、完成した作品しか、出していない。
ブルース・リーが、死んだ時、多くのファンは、ブルース・リーに関する映像は何でもいいから、見せて欲しい、と熱烈に訴えた。
未完成の「死亡遊戯」も上演して欲しいとファンは言った。
実際、未完成の「死亡遊戯」を上演しても、興行収入は十分、あっただろう。
しかし、監督のレイモンド・チョウは、未完成作品を、発表することは、映画監督としての自分の、プライドから、どうしても耐えらえない、と言って、ストーリーを考え、役者を集め、ブルース・リーの死後、5年の歳月をかけて、1978年に、ちゃんとストーリーのある作品として完成させて公開した。
三島由紀夫も、「欧米人の作家では、書きかけの次回品の、あらすじ、を言ったり、冒頭を読んだりする作家がいるが、とても勇気のあることで、自分にはとても、そんなことをする勇気は出来ない」と言っている。
つまり、作品を書き出しても、それが、成功作になるか、失敗作になるかは、わからないし、小説は、大まかな輪郭を持って書き始めるが、書きながら、ストーリーが、出来ていくものだし、書きながら最初の予定と違った作品になることもあるし、(むしろ、その方が小説創作の本道であると、ほとんどの作家が主張している)。
だから、書き始めでは、作品は、海の物とも山の物ともつかない、状態である。
それに、下手をすると、完成できず、中絶してしまうこともある。
だから、冒頭の部分だけを人に見せるというのは、極めて恥ずかしいものである。
作品を評価するなら、完成させた作品の最後まで読んでから、評価して欲しい、ということだろう。
僕も全く同感なのだが。

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