阿部晋三の正体が、完全に、わかった。
結論から言うと。阿部晋三は、単なる頑固で、わがままなダダッ子と同じ、心境なのである。そして、麻原彰晃にも、似ている面があるのである。
小泉純一郎元首相が、郵政民営化の主張を、貫き通したのは、郵政民営化が、国民のためになる政策だと、確信していたからである。もちろん、郵政民営化には、最初から、メリットもあれば、デメリットもある、ということは、小泉元首相も、知っていたはずである。どんな政策だって、メリットと、デメリットの両面がある。しかし、小泉元首相は、民営化するメリットの方が、デメリットより、はるかに、上回るだろう、と確信していた、から、その信念を貫き通したのである。しかし、そこには、国民のため、という、他人を救いたい、という思い遣りの心があった。基本的に、良い性格の人間だった。だから、政権が長く続いた。
一方。安倍晋三は、小泉政権の時に、幹事長になった。そして、北朝鮮の拉致問題に、熱意を持っていた。その点が、国民に評価され、期待された。また、顔も良く、性格も、穏やかなのに、芯が強い人間だと、見なされ、期待された。
実際、安倍晋三のスマイルは、政治から離れれば、すがすがしい。
民主党政権のダメさから、民主党政権が惨敗し、自民党が圧勝し、国民は、阿部晋三に、期待をかけた。
しかし、権力がなかった頃は、阿部晋三の性格の良い所だけが、発揮されていたが、第一次安部政権として、権力を手にした頃から、だんだん、性格が、わかままになっていった。傲慢になっていった。さらに、狡猾にもなっていった。また、46歳で幹事長となり、49歳という若さで、総理大臣になった、ということが、自分が、特別な、優れた人間だ、という、自信を持ってしまった。
さて。安保法案であるが。
これも、小泉元首相の郵政民営化と同様、それが、日本の防衛のためになる、と、思ったから、打ち出したのである。その時は、国民のため、という思いも、確かにあったのである。野党の猛反対は、覚悟の上だったろうが、数の力で、押し通せると、タカをくくっていた。のである。
その時点では、国民は、政治゛に無関心だったから、大規模デモなども、起こらないだろうと、タカをくくっていた。のである。
そしてフタを開けてみると、当然の、野党の猛反対。である。しかし、第一次安部政権の時に、野党の質問に、対する、ごまかし答弁の味も、自信も、やり方も、身につけていた。衆議院、参議院の、数の力で、法案は、通せるのだから、と、安保法案の成立に対して、楽観視していた。
そして、国民に選ばれた、国民に人気のある、このオレ様。という、傲慢な態度になっていた。「このオレ様に逆らう気か?」という、傲慢な態度である。しかし、国民を、あまく見過ぎていた。
大学教授にせよ、検察にせよ、あらゆる、権力、権威、の座にある人間は、自分に対する、プライドから、自分が、一度、決めたことを、撤回したり、自分の、過ちを、認めることは、不愉快きわまりない、ので、絶対、しない、というか、出来ない、のである。つまり、「ごめんなさい」とか、「私が間違っていました」とか、「私の提案は撤回します」など、つまり、自分の非を認めることは、不愉快で、出来ないのである。相手が、逆らえば、逆らうほど、ふてくされる、のである。ましてや、阿部晋三は、裕福な、申し分のない、家庭に生まれ、あまやかされて、育った、坊ちゃん、だから、なおさら、なのである。
阿部晋三にとっての、安保法案は、小泉の郵政民営化と、違って、絶対、今、なにがなんでも、通さなくては、ならない法案である、という使命感のあるものでは、なくなっている。
単に、甘やかされて、育った、坊ちゃん、が、感情的に、不愉快だから、ふて腐れて、意地を張っているだけなのである。もう、そこには、国民のため、という、思いも、薄れている。
これが、阿部晋三の、今の心境である。
結論から言うと。阿部晋三は、単なる頑固で、わがままなダダッ子と同じ、心境なのである。そして、麻原彰晃にも、似ている面があるのである。
小泉純一郎元首相が、郵政民営化の主張を、貫き通したのは、郵政民営化が、国民のためになる政策だと、確信していたからである。もちろん、郵政民営化には、最初から、メリットもあれば、デメリットもある、ということは、小泉元首相も、知っていたはずである。どんな政策だって、メリットと、デメリットの両面がある。しかし、小泉元首相は、民営化するメリットの方が、デメリットより、はるかに、上回るだろう、と確信していた、から、その信念を貫き通したのである。しかし、そこには、国民のため、という、他人を救いたい、という思い遣りの心があった。基本的に、良い性格の人間だった。だから、政権が長く続いた。
一方。安倍晋三は、小泉政権の時に、幹事長になった。そして、北朝鮮の拉致問題に、熱意を持っていた。その点が、国民に評価され、期待された。また、顔も良く、性格も、穏やかなのに、芯が強い人間だと、見なされ、期待された。
実際、安倍晋三のスマイルは、政治から離れれば、すがすがしい。
民主党政権のダメさから、民主党政権が惨敗し、自民党が圧勝し、国民は、阿部晋三に、期待をかけた。
しかし、権力がなかった頃は、阿部晋三の性格の良い所だけが、発揮されていたが、第一次安部政権として、権力を手にした頃から、だんだん、性格が、わかままになっていった。傲慢になっていった。さらに、狡猾にもなっていった。また、46歳で幹事長となり、49歳という若さで、総理大臣になった、ということが、自分が、特別な、優れた人間だ、という、自信を持ってしまった。
さて。安保法案であるが。
これも、小泉元首相の郵政民営化と同様、それが、日本の防衛のためになる、と、思ったから、打ち出したのである。その時は、国民のため、という思いも、確かにあったのである。野党の猛反対は、覚悟の上だったろうが、数の力で、押し通せると、タカをくくっていた。のである。
その時点では、国民は、政治゛に無関心だったから、大規模デモなども、起こらないだろうと、タカをくくっていた。のである。
そしてフタを開けてみると、当然の、野党の猛反対。である。しかし、第一次安部政権の時に、野党の質問に、対する、ごまかし答弁の味も、自信も、やり方も、身につけていた。衆議院、参議院の、数の力で、法案は、通せるのだから、と、安保法案の成立に対して、楽観視していた。
そして、国民に選ばれた、国民に人気のある、このオレ様。という、傲慢な態度になっていた。「このオレ様に逆らう気か?」という、傲慢な態度である。しかし、国民を、あまく見過ぎていた。
大学教授にせよ、検察にせよ、あらゆる、権力、権威、の座にある人間は、自分に対する、プライドから、自分が、一度、決めたことを、撤回したり、自分の、過ちを、認めることは、不愉快きわまりない、ので、絶対、しない、というか、出来ない、のである。つまり、「ごめんなさい」とか、「私が間違っていました」とか、「私の提案は撤回します」など、つまり、自分の非を認めることは、不愉快で、出来ないのである。相手が、逆らえば、逆らうほど、ふてくされる、のである。ましてや、阿部晋三は、裕福な、申し分のない、家庭に生まれ、あまやかされて、育った、坊ちゃん、だから、なおさら、なのである。
阿部晋三にとっての、安保法案は、小泉の郵政民営化と、違って、絶対、今、なにがなんでも、通さなくては、ならない法案である、という使命感のあるものでは、なくなっている。
単に、甘やかされて、育った、坊ちゃん、が、感情的に、不愉快だから、ふて腐れて、意地を張っているだけなのである。もう、そこには、国民のため、という、思いも、薄れている。
これが、阿部晋三の、今の心境である。