ダンワールドから皆さまへ

体と心と脳の健康づくり
人と社会と地球の健康づくりをサポートします。

体×脳のコラボが健康寿命をのばす!

2019-06-29 10:00:33 | コラム

こんにちは、ダンワールドです。

 

いつまでも“元気”でいられるには、どうしたらいいのか・・・。昔から、ウォーキングや体操が心身ともに「元気の素」になると言われていましたが、最近の研究では、脳も大事なカギを握るということが明らかになってきています。脳の中には、“元気”を出し続けさせるようなシステムが脳の中にあるというのです。例えば、脳内のドーパミンという物質は、記憶力などはもとより、運動能力を維持するうえでもたいへん重要な役割を果たすということが分かっています。

 

年老いたサルの実験では、ドーパミンを増やす操作を薬で施すと、若いサルと同じくらいに記憶力が戻ったそうです。また、動きが鈍くなった老ザルにドーパミンを施すと力が出て、運動のスピードが速くなるという成績が出ているのだとか。

 

私たち人間も同様です。脳が活性化していると、体も元気になりやすくなります。やる気も起こりやすくなります。また、その逆の流れもしかりで、心地よく体を動かすことでドーパミン系が刺激され、脳の若返りにつながります。つまり、体と脳が上手にキャッチボールをしあうことが、健康寿命をのばすコツだということです。


夏はぽっこりお腹解消のチャンス!?

2019-06-26 11:00:27 | コラム

こんにちは、ダンワールドです。

 

薄着の季節がやってきて、お腹の脂肪が気になっていませんか。突き出たおなかは、お腹の筋肉が「使えていない」ことの象徴かも知れません。

 

最近、お腹の筋肉の使い方がよくわからない人が増えているといいます。横になった状態から手を使わずに上半身を起こそうとしても、起き上がれないのは、その典型。筋力は一定程度あるのに、筋肉を意識して使ったことがないため、うまく機能しないのです。

 

私たちの腹部には、薄い筋肉が重なり合っています。このうち、体を前後に曲げる時は腹直筋、上半身を左右にねじれば内腹斜筋、外腹斜筋が伸び縮みします。運動嫌いで車ばかりに頼ったり、仕事でパソコンを使いねこ背になる時間が長かったりしていると、これらの筋肉を上手に使い分けることができなくなります。

 

大事なのは、まずお腹を使う「意識」を養うことです。意識を持つことで、ふだんの生活の中でも筋肉を鍛えることができます。立つ姿勢を作っているのも背筋と腹筋のバランスですから、しっかりと意識が働いていれば、立っているだけで腹筋を強化できます。また、呼吸だけでもお腹の内側のインナーマッスルを鍛えることができます。それがダイエットにつながります。


もうすぐ夏祭りシーズン!祇園祭とは

2019-06-22 10:00:34 | コラム

こんにちは、ダンワールドです。

 

梅雨が明ければ、すぐに夏祭りのシーズンが到来します。この時季になると、ぜひとも行きたくなるのが日本三大祭りの一つ、京都の祇園祭です。

 

祇園祭は、京都の八坂神社(通称・祇園社)の祭礼で、「祇園御霊会」(ぎおんごりょうえ)、略して「祇園会」(ぎおんえ)ともいいます。

 

近年では、7月10日の神輿洗に始まって、29日の神事済報告祭で幕を閉じるのが通例です。なかでも、17日と24日には「山鉾巡行」と「神輿渡御」(みこしとぎょ)があり、16日と23日の「宵山」とともに有名な行事となっています。

 

その起こりは、平安時代の初期、869年(貞観十一年)に、国じゅうに疫病がはやったとき、八坂神社の社司、卜部日良麻呂が、勅令によって、陰暦6月7日に、長さ二丈(約6メートル)の鉾を、当時の日本の国の数にあわせて、66本つくって立て、6月14日には、それらの鉾を神輿といっしょに、神泉苑(当時の天皇の遊覧場)へ送ったと伝えられます。

 

それ以後、疫病のはやるたびに行なわれていましたが、922年(天禄三年)、円融天皇の病傷平癒の祈願に対する奉謝の意から、臨時祭が行なわれ、それ以来、毎年祇園祭を行なうことになったものといわれます。

 

室町時代の末期、応仁の乱で、京都が戦火をうけたため、山鉾巡行も中止することになりましたが、豊臣秀吉が戦国の世を平定するとまもなく、積極的にその復興をはかり、江戸時代にはいって、町人の経済力が増すとともに、山鉾や神輿も豪華なものに変わってきました。

 

毎年、国内外の観光客が大勢見物におしよせます。夏の京都のハイライト、いや日本のハイライトの一つといえるかも知れません。


四神相応とは

2019-06-15 08:36:41 | コラム

古代の中国では、東西南北の4つの方向に、野獣のような姿をした神がいると考えられていました。そして、この4つの神にちなんで建物や家の立地場所を選ぶことが推奨されました。この考え方のことを「四神相応」(しじんそうおう)といいます。

 

四神とは、古代中国で東西南北の4つの方向にいるとされた神です。中国の神話に登場します。神といっても珍獣のような姿をしており、いわゆる「霊獣」(聖獣)です。

 

四神にはそれぞれ名前がついていて、東にいるのが「青龍」(せいりゅう)。西にいるのが「白虎」(びゃっこ)。南が「朱雀」(すざく)。北が「玄武」(げんぶ)です。四神は各自の担当する方角において、人間たちを守ってくれています。

 

現代の風水では、この4つの神の配置もとに、理想的な住居を追求します。それぞれの神を特定の「地形」に置き換えたうで、その地形の条件を備えた場所こそが、理想だと考えているのです。その考えによると、東の理想的な地形は「川」です。西は「大きな道」。南は「平野、池・沼」。北は「山」です。これらの立地条件をそなえた場所こそが最高の「吉」をもたらすといいます。

 

昔の中国の支配層は、どこに都を定めるべきか、熱心に研究を重ねました。皇帝や貴族たちにとって、王朝や一族を末永く繁栄させることは極めて重要な問題であり、なるべく好ましい場所に宮殿を建て、先祖を埋葬しようとしていたのです。その際に重視したのが四神相応です。

 

四神相応は日本にも伝わりました。京都の平安京は、東に鴨川、西に山陰道、南に巨椋池と平野、そして、北に船岡山や鞍馬山がありました。まさしく四神相応に則した都市だったと考えられています。


もうすぐ「入梅」

2019-06-08 08:35:25 | コラム

もうすぐ梅雨シーズンの到来ですね。梅雨入りは、昔から「入梅」(にゅうばい)とも呼ばれていました。この入梅が暦のうえで本来いつなのかは諸説あるようですが、一つの説では、「芒種」(ぼうしゅ)のあとの「壬の日」だったとされます。その説に従えば、現代では6月10日ごろになります。

 

梅雨(ツユ)という漢字は、「黴雨」と書くときもあります。梅の実の熟するころだからとも、物に黴(かび)が生えるからだともいい、6月上旬から7月上旬にかけて起こり、稲作に欠かせない雨期です。

 

地域にもよりますが、6月中旬ごろから本格的となり、20日すぎに中休みがあって、後半は豪雨が増えるのが一般的なパターンです。

 

梅雨明けは「出梅」(しゅつばい)ともいいます。こちらは暦の上では夏至のあとの最初の庚の日(6月26日ごろ)といった説があります。

 

その後に訪れるのが、「半夏生」(はんげしょう)です。夏至から11日目にあたる7月2日ごろに該当します。「半ば夏」だから半夏で、このときに女性用の薬草を生じるので半夏生と呼ばれます。このころには梅雨もあけ、田植えも済んでいるのが通常です。

 

半夏生は七十二候(しちじゅうにこう)の一つです。七十二候とは、1年を72に分けて季節の変化を示すことをいいます。旧暦の五日間を一候としてカウントします。

 

ジメジメした季節こそ、健康管理が大事です。セルフヒーリングでカラダと心を整えましょう。


アーユルヴェーダとは

2019-06-05 17:00:17 | コラム

アーユルヴェーダは世界最古の伝承医学です。インドで生まれました。サンスクリット語の「アーユス」(生命)と「ヴェーダ」(知恵)に由来します。人間が本来持つ自然治癒力を利用した健康法の一つです。

 

約4000年前にはすでに古典が完成していたといいます。インドではアーユルヴェーダの公立大学、病院、診療所があります。患者の精神状態と体力、消化力のバランスを重視した治療で予防医学に秀でているとされます。アーユルヴェーダの病院には、内科、外科、小児科のほか、解毒科、精神科などがあり、神経系や内臓の慢性疾患の対処に役立っているそうです。

 

アーユルヴェーダの薬には漢方と同様、生薬があります。金、銅、鉄などの鉱物を無毒化した「鉱物薬」もあるのだとか。医師の問診を基に、食事、生活の改善を指導し、そのうえで薬を患者の体質に合わせて使うそうです。

 

アーユルヴェーダでは、それぞれの人が持つ「本質」や「状態」にあわせた生活を送ることが大切だと説かれています。すべてのものには「地」「水」「火」「風」「空」の5つのエネルギーが働いていると考え、天気などの自然現象だけでなく、私たち人間の体もそのエネルギーの影響を受けています。この理論に基づいて、自分の心と体の「状態」を把握することがアーユルヴェーダの第一歩になります。

 

アーユルヴェーダは、同じくインド生まれのヨガとも関係が深いです。ヨガ人気の高まりとともに、日本でも注目されるようになりました。


長寿の賀

2019-06-01 17:20:25 | コラム

こんにちは、ダンワールドです。

 

日本の大事な風習の一つとして、「長寿の賀」があります。年配の方が節目の年齢に到達したときに行うお祝いです。

 

平安時代には、早くも40歳を「五八の賀」(5×8=40)と称して、初賀とする習慣がありました。その後、50歳、60歳と十年ごとに祝賀を行なっていたそうです。

 

現代人からすると、長寿の祝いとしてはいかにも早すぎますが、これは当時の平均寿命が短かったからですね。

 

中世以後は42、61、70、77、88歳と祝う風習ができ、このうち42は後に男の厄払いに変わり、現代にいたっています。

 

今では、以下が一般的なお祝いのタイミングになっています。

 

古稀(70歳)・・・「人生七十古来稀れなり」という杜甫(唐の詩人)の詩からとったことば。

 

喜寿(77歳)・・・「喜」の文字を略した字が「七十七」に似ているところからきている。

 

米寿(88歳)・・・「米」という言葉を分解すると「八十八」になる。

 

白寿(99歳)・・・「白」は「百」という文字に一画足りない。

 

 

賀寿の期日は、必ずしも誕生日とはかぎらなくて、たとえば正月28日とか、旧2月1日とかいうふうに、一定の日に行なうこともあるようです。

 

お祝い品としては、例えば紫色の布団のような縁起物のほか、家電製品などの実用品や盆栽などの趣味のものを贈ることが多いようです。お元気な方なら、旅行や温泉に行っていただくのもよいでしょう。

 

費用は、たいていは兄弟、教え子、後輩などが共同でととのえる場合が多いようです。