自分自身の上に矛盾があると、物事に対して是非の念が起きて来ます。
それを「心病」と言います。
つまり自分自身の心の上に「病」が生じるのです。
「この病」は習慣ですから必ず取れます。
「この病」は取らなくてはいけないのです。
それでは、「この病」を取るには如何したら善いのかというと、どんな事でもよいのですが、
「有(在)る物が、只(ただ)有(在)った」のです。
それが私たち衆生の「今の事実」です。
その他に有(在)るのではないのです。
ですから「今の事実」が本当に分かれば良いのです。
そうすれば「心」をどうにかしなければならないという事がなくなります。
「自分の真実のあり方、“実の事実”」がはっきりしないと、どうにかしなければならないという事が起きて来るのです。
それが起きて来ると、それに囚われてどこまでも追いかけて行き限り無しに成るのです。
それですから「自分の真実のあり方、”今の事実”」を見極めようと思ったら「今の事実をそのまま手を付けない事」です。
それで宜しいのです。
何故かというと、「今の事実」はその通りに(そのままに)全身を挙げてそういう活動をしているからです。
そういう「真意(深意)」を知(識)って修行(坐禅)を行じて頂きたく思います。