活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

兀兀打坐1

2021年06月02日 | 法理

昔は只(ただ)「兀兀(ごつごつ)」に打坐して身心脱落を期しまし

 

「兀兀」とは、「一心に努力するさま、勤苦するさま」を言います。

 

曹洞宗にも、今もこの風が残ってます。

 

しかし、「兀兀打坐」は曹洞宗に限ったことではありません。

 

「仏祖入仏の通規」です。

 

臨済宗はこの事を変形して「公案」を用いる事となったのです。

 

何故かと言えば「人の根気」が弱くなり、何か頼るものを求めるようになったからです。

 

ですから「坐ばかりの坐禅」はもう今は無くなったといってもいいかもしれません。

 

「坐禅する」この事は善いことです。

 

どこまでも善い事なのですが、悲しい事に「坐禅その物(公案その物)」を汚してしまいました。