活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

自分自身を看る

2021年06月22日 | 法理

「自分自身を看る」と「自分自身の動き」の中には大きく分ければ「思いの動き」と「機能の動き」というのがあります。

 

いわゆる「精神界と肉体の働き」です。

 

精神界の方がやっぱり厄介なのです。

 

機能の働きというのはそんなには難しくはないと思います。

 

否応なしにその時で終わってしまうからです。

 

どうしてもその時限りで終わらざるを得ないように出来ているのです。

 

ですけれども、この「六根の意(心)の働き」の方は、不思議な事にその時だけで終わっているはずなのに尾を引くのです。

 

それくらいで済めばいいのですが、思いがだんだん膨らんで自分の中にそれが実在しているように思うのです。

 

「縁」に触れて思いが出て来たと気が付いた時、行う事は一つだけです。

 

「思いを止めるだけ」です。

 

日常生活は次から次へと行う事があるわけですから、その思いにしがみついていたら置いていかれてしまいます。

 

「事実」とのギャップがどんどん出来てしまいます。

 

私たち衆生はそれで苦労しているのです。

 

例えばバレーボールを行っていて失敗したって球はどんどん動いていくわけです。

 

その時どうしたらいいか、と言っても何も条件はありません。

 

ただ球にどれだけ付いていくかということだけではないでしょうか。

 

プロの選手は失敗しようが何しようがその事は放っておいて「今、動いている球に付いているだけ」の練習をするのです。

 

この体も朝から晩までスポーツをしているようなものです。

 

「活動」しているという事はいってみればスポーツみたいなものです。