物を忘れ、忘れた物を、忘れるという事は本当に大変な事です。
これは「悟後の修行」とか「悟前の修行」とかいうものではありません。
もともと修行は不用(不要)の事だからです。
「迷いが有(在)る」というのが間違いなのですから、その間違いの中で「迷いを無くした」というのは「二重の間違い」になるわけです。
しかし、それに気が付かないと間違いだという事も分からない訳ですから、一応「悟りを得た」という事がないと、本当のことがよく自分の物に成らないという事は当然のことです。
物を忘れ、忘れた物を、忘れるという事は本当に大変な事です。
これは「悟後の修行」とか「悟前の修行」とかいうものではありません。
もともと修行は不用(不要)の事だからです。
「迷いが有(在)る」というのが間違いなのですから、その間違いの中で「迷いを無くした」というのは「二重の間違い」になるわけです。
しかし、それに気が付かないと間違いだという事も分からない訳ですから、一応「悟りを得た」という事がないと、本当のことがよく自分の物に成らないという事は当然のことです。