活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

修行が不用(不要)に成る時1

2020年07月24日 | その他

修行が必ず不用(不要)に成る時があります。

不用(不要)というのは、何時でも何処でも何をしていても「法(道)」というものの中に居るという事です。

 

ですから、「人は死ぬ迄修行だ」という人がいますが、それは間違いです。

「人」には死というものはありません。

 

「人」だけではありません。一切の物には始めがありませんから、終わりも無いのです。

「法(道)」を究めれば終わりが無い事と同じ事です。

 

そして、「一切の跡形が無くなる」という事でないと、本当に「法(道)」を究められた事になりません。