修行が必ず不用(不要)に成る時があります。
不用(不要)というのは、何時でも何処でも何をしていても「法(道)」というものの中に居るという事です。
ですから、「人は死ぬ迄修行だ」という人がいますが、それは間違いです。
「人」には死というものはありません。
「人」だけではありません。一切の物には始めがありませんから、終わりも無いのです。
「法(道)」を究めれば終わりが無い事と同じ事です。
そして、「一切の跡形が無くなる」という事でないと、本当に「法(道)」を究められた事になりません。