修行が不用(不要)に成る時2 2020年07月25日 | 法理 物を忘れ、忘れた物を、忘れるという事は本当に大変な事です。 これは「悟後の修行」とか「悟前の修行」とかいうものではありません。 もともと修行は不用(不要)の事だからです。 「迷いが有(在)る」というのが間違いなのですから、その間違いの中で「迷いを無くした」というのは「二重の間違い」になるわけです。 しかし、それに気が付かないと間違いだという事も分からない訳ですから、一応「悟りを得た」という事がないと、本当のことがよく自分の物に成らないという事は当然のことです。 « 修行が不用(不要)に成る時1 | トップ | 修行の道理1 »
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