活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

相対的認識1

2020年07月05日 | 法理

私たち衆生はどうしても相対的認識の下に物を見ています。

 

善いといえば悪いものが必ず有(在)り、悪いといえば必ず善いものが有(在)るものです。

迷いが有(在)るといえば、悟りが有(在)る等々。

 

私たち衆生は「自分」を立てて相対的な物の見方をしているために、「ものを認める」という自分の習慣がなくならないという事が有(在)ります。

 

「自己を忘れる」という事は、善悪、好嫌、上下というものがきれいになくなる事です。

 

元の私たち衆生の「本性(ほんしょう)自性」は「無性」なのです。

「本性自性に成れる」その時が有(在)るのです。

 

実に「不思議」な事ですけれども、善い事は、善い事で了っているのです。

分からない事は、分からない事で「円満に成就」しているのです。