私たち衆生はどうしても相対的な考えから脱し切れないものです。
「迷いと悟り、生と死、苦と楽」というものが、相並んで有るかの如く」に「錯覚」を起こしているということです。
「迷いのままが安心(あんじん)であり、生のままが死であり、苦その物が楽であり、楽はまたそのまま苦に成る」という事が分からないのです。
これを「無明(むみょう)」といいます。
本来一つの物であるのに、それを二つの物に見てしまう、そういう「見 (けん)」が有(在)るために相対的な考えからどうしても脱する事が出来ない訳です。
よく指導者は「迷いのままに成っていなさい、苦のままに成っていなさい」といいます。
それでなければ「真の解決」にはならないからです。
「迷い」が何らかの方法に因って「悟り」に変わったならば、その「悟り」というものは、また何かの条件に因って「迷い」に成ってしまうのです。