「真実は真実そのもの」を以てしか、知(識)る事は出来ないのです。
別の言葉で言えば、「真実は悟りに因ってのみ、知(識)り得るもの」ということです。
「真実」はそれが人に伝える為に言葉や文字に置き換えられ「人間(にんげん)の思考」によって把握された時点で「ひとつの制約された観念」に変質しており、「真実」とは懸け離れた物に成ってしまうのです。
「楞伽経(りょうがきょう)」では、「四十九年一字不説」と言い訳をしているのです。
否、「説いて説くことを知(識)らない」のです。
行って行くことを知(識)らないのです。
これが、「四十九年一字不説」の深意です。