決して自分自身の心を費やして「波」を抑えようと思ってはいけません。
そこには、多少の「時間」というものが必要ではありますが、そうでなければ
「絶対の安心(あんじん)」というものはありません。
私たち衆生の「今の状態」というのは、みんな「自分の事実の上(不安のまま、
焦りのまま、落ち着かないままの状態)に立っているのではありませんか。
「その事実をその事実のまま」に自分のものにするというのが「本当(本来)の修行」
のあり方なのです。
決して自分自身の心を費やして「波」を抑えようと思ってはいけません。
そこには、多少の「時間」というものが必要ではありますが、そうでなければ
「絶対の安心(あんじん)」というものはありません。
私たち衆生の「今の状態」というのは、みんな「自分の事実の上(不安のまま、
焦りのまま、落ち着かないままの状態)に立っているのではありませんか。
「その事実をその事実のまま」に自分のものにするというのが「本当(本来)の修行」
のあり方なのです。