だんだん静かになっていって、そして静かになった「その結果」が脱落
だとか、悟りだとか、涅槃だとかということを考えてはいけないのです。
何故ならば、「修證不二、因果一如」というではありませんか。
「今の事実(修證不二、因果一如)」ほど確実なものはありません。
自分自身のことではありませんか。
他に求めるものは何もありません。
どんなつまらない考えが起きてきても、そういう状態のまま成り潰れて
いって頂きたいと思います。
原因の因さえ作れば、結果というものは求めなくても必ず現前するものです。
現われるものです。
「唯務(ただつとめる)」それだけです。