「波(不安とか焦りとか落ち着きがないという)そのもの」に成れば
波それ自体は自分が動いているということに自分自身では気が付きません。
難しいことではありますが、「自分が波に成ってみる必要」があるのです。
波に成れば「此岸、彼岸」というものはありません。
ですから「此岸、彼岸」ということを取り違えると大変な問題になるわけです。
ですから、不安のままの状態に、焦りのままの状態に、落ち着かないままの状態に
「自分がいかに成り切れるかどうか」です。
それが「そのものの事実」ということです。