「死というものが怖い」という人がいます。
これは自分というものを持って亡くなったことを想像するからです。
「人の死」でも同じことが言えます。
「此の物全体」が死ぬのですから、「自分が死ぬ」という事は分かるはずが
ないのです。
所謂、人の死は死だけではありません。
私たち衆生は今こうしているうちにも「生死(しょうじ)」というものを
繰り返しているのです。
いつでも生死を繰り返し繰り返し、しているのですから間違っても
概念的に人の機能が働かなくなって冷たくなった様子だけを「人の死」
と思わないようにしないといけません。