活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

波羅提木叉とは

2019年02月06日 | 仏教

「修行によって自分が無になった」とか、「坐禅によって空になった」

というような事がよく言われますが、それは間違いです。


元元無であり、空なのです。


「空」というと、有(在)るものが有る時において或る縁に因って欠落した

と考えられがちですが、そうではありません。


「空のままにものが有(在)る」ということです。


今のこの諸法は「差別(しゃべつ)」の状態です。

「空のなかにものが様々な“法”として現成(げんじょう)している」ということです。


これを「波羅提木叉(はらだいもくしゃ)」といいます。


いちいち(個個)の解脱だといわれています。

ですから、それぞれのものがすべて「空」のままに、無いながら有(在)る状態を

仏教では「空」と説明しているのです。