「宗教」というものは、人間(にんげん)が人間としての欲求から
考えられた「功利的なもの」ではないと思います。
「宗教」とは必然なものであり、人間元来の本質に実質的に徹することが
出来る指導原理を具えていて各自が満足出来る教えでなければなりません。
何故ならば、人は元来何人といえども必ず自分自らに対して手放しの
満足を欲求して止まないものだからです。
これを充たしてくれる教えを求めて止まないのが私たち衆生の有様では
ないでしょうか。
「此事(このじ、このこと)」を確実に教え得る教えが「宗教」だと思います。
世の中のあらゆる「学問」としての「物の有り方の最終目的」は、
「人間(にんげん)とは何か、物とは何か、如何にあるべきか」を
終極的に究めたいという止むに止まれぬ欲求の衝動から起きて来たものと
言い表すことが出来ると思います。