活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

衆生(しゅじょう)について4

2018年01月19日 | 仏教

「衆生」というのも、今のように分からないものが分からないなりに

生まれて来たというのがすべてなのです。

 

それでそれが大きく成ったのです。

ですから、内容としては「仏」と同じものなのです。

 

内容としては同じものなのですが、「物心が付いたという時点」で

「此の物を私(わたくし)した」のです。

 

物心が付いて始まったそれも、子供時代ですから、その物心が付いた

時点ではそのこと(私したこと)を全く知(識)らなかったのです。

 

即ち、「自覚が無かった」のです。