活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

煩い悩む3

2017年10月25日 | 法理

この「自我」というものが、一般には「ある」と誰もが思って

いますが、「ある」のではないのです。

 

「子供の時分(物心が付いた時分)」に、不知不識に「私」と

思えたのです。

 

自分で「私」と思えた「自覚」がないにもかかわらず、

「自然(しぜん)」に「私」という観念(自己の認識作用)」が、

「自我」を形成したのです。

 

「此の物(自分自身)」を考え方の世界で処理してはいけないのです。

 

何故かというと、「此の物(私自身)」はすでに考え方から一切

離れてしまっていますから、ただ一切の物があったりなかったり

するだけなのです。