この「自我」というものが、一般には「ある」と誰もが思って
いますが、「ある」のではないのです。
「子供の時分(物心が付いた時分)」に、不知不識に「私」と
思えたのです。
自分で「私」と思えた「自覚」がないにもかかわらず、
「自然(しぜん)」に「私」という観念(自己の認識作用)」が、
「自我」を形成したのです。
「此の物(自分自身)」を考え方の世界で処理してはいけないのです。
何故かというと、「此の物(私自身)」はすでに考え方から一切
離れてしまっていますから、ただ一切の物があったりなかったり
するだけなのです。