活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

迷悟について4

2017年10月10日 | 法理

本当に「功夫だけに成った時が即ち身心脱落の時」です。


ですから、功夫だけに成り切れないために、結果として身心脱落が

出て来ないのです。

 

本当に真剣に「ただに成る、ただに成った時に、求めるとか求めない

とかにかかわらず無所悟無所得のその今に、自分が明らかに目醒める」

ということがあるのです。

 

それがないということは、やっぱり二人連れの坐禅をしている

ということです。

 

「ただと自分」、「公案と自分」

というものが、絶えず相対的な関係にあって坐っているということです。

 

だから自ずから結果が出て来ないのです。