「生と死」の区別はどこでつけるのでしょうか。
これは大問題だと思います。
今までも仏教以外では「生と死」の区別をつけているものは
ありません。
私たち衆生は、お父さんお母さんの因縁を借りて現実にこのように
ありますが、こういう状態を人間(にんげん)は「生きている」と
いっています。
ものが見える、音が聞こえる、話が出来るわけです。
これはあくまで、「生きている」ということの説明の域を
脱しません。
「生と死」の区別はどこでつけるのでしょうか。
これは大問題だと思います。
今までも仏教以外では「生と死」の区別をつけているものは
ありません。
私たち衆生は、お父さんお母さんの因縁を借りて現実にこのように
ありますが、こういう状態を人間(にんげん)は「生きている」と
いっています。
ものが見える、音が聞こえる、話が出来るわけです。
これはあくまで、「生きている」ということの説明の域を
脱しません。