人間にはどうしても「煩悩」があって、いくら「事実のまま」
と言われても満足(納得)出来ないのです。
ですから、どのようにしたら今のこの働きのままの自分(事実このまま)
というものを、満足(納得)させることが出来るだろうかという
生き方を探ることになるのです。
これは、「貪顚痴」という「三毒」の煩悩の中に入ってしまう
わけですけれども、本当は「生き方」というものは探れるもの
ではありません。
「生き方」を求めて一体何を満足(納得)させるのでしょうか。
いわゆる「六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)」という人の機能
というものを「生き方」によって満足(納得)をさせるのか、
という当然そういう問題になってこなければなりません。